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わたしが幽霊になってから、2017年のこと、そして対岸との交信はつづく

2017年の終わりに書いていたものを見つけ、読み返しました。

(この記事自体も2018年に書きかけたものをベースに書いています)

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今年祖父が亡くなり、もうすぐ一周忌になる。
自身の体調もすぐれることが一切なく
氷が溶けきることはなかった一年だった。

冷凍されたなかでも
変化は確かにあった。

わたしは肉体から金属がなくなり生身の人間になったし、
大きな事を指で数える程度やり、越えた。

つまり、たぶん、一年ここにいられたと思うのだ。

祖父が息を引き取る時、
わたしも同時に消えてしまうのだと思った。
でも、消えてはいないような感じで
今日まで生きているような感じで…。
いきられたのだとおもう。
ここから消えずに堪えることができた。
それはよかったことなのだと
あと一月後にきっと思うんだろう。


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いちがつという記事にも書いたように、長い冬のような日々を過ごしていた頃。

2014年に自身が車に轢かれて死にかけて、記憶を一部無くし、

それからずっと、自分が生きているのか、

この体と、このわたしという意識とは同一のものなのか、

本当にここにいまわたしは存在しているのか、

いや、幻なんじゃないか、

そんなことをずっとずっと考えていた。

そして2016年に祖父が亡くなり、

その祖父が息を引きとるときに、

自分の存在がはっきりするのではないかと

どこかで期待をしていた。

祖父の死もまた、「本当」とは言い切れないのに。

でも祖父が火葬されてから一周忌までの間、

わたしは自分が消えずに、ここに在るっぽい感覚を

絶えず握りしめて確認し続けた。

なんとかここに居続けているみたい、

消え切ってはいないみたい、

そう感じることができた。

(2014年に事故に遭ったところで一度ズレてしまったので、わたしは透過率60%くらいの幽霊なのである)

それからもしばしば自分がまだ60%でここにいる、という確認を行いながら、

これまで生きて?きた。


わたしはこれからも、何年、あるいは何十年と60%の透過率を維持してこの世界に存在?するのかもしれない。

するんだろうか。


ここ6年間、消えた40%の存在をいろんなパターンで仮定してきたので、

そのうちの有力説を二つあげ、ここに書いておこうと思う。


①パラレルワールド説

2014年の事故の際に、わたしは当日を含めた3日間の記憶を失くしている。

当日の朝起きたところで途切れ、次の瞬間には全身血と包帯まみれでICUから一般病棟に移るところだった。

一人暮らしの部屋で朝起きたわたしが、なぜ病院にいるのか、血まみれのボロボロなのか理解できなかったし、

警察の説明を受けても、

(それ、知覚してないんだよなあ)

と思ってしまった。

その後、やはり自分で知覚してないことは受け入れなくてもいいんじゃないかと思ったりして、

40%のわたしは朝ごはんを食べて大学に行こうとしたけどやっぱりやめて家で絵を描いていた、と今は思う。

何かがズレて、こちらに来てしまったので、60%しかない。

んだと思う。

実は毎年事故のあった季節になると特段気分の波が大きくなり激しいうつ状態になるし、

車が近くを過ぎる時、ぶつかる感覚をはっきりイメージできる。

だから知覚はしているのかもしれない、、、

でもそれは豊かな想像力が作り上げたものかもしれない。

そこはわからない。

所謂事故のフラッシュバックでパニックになることはない。

それよりもわたしは、入院中、体を固定されて寝たきりになっていた、

その不自由さでパニックと不眠とうつを覚えてしまった。

いまもそれが続いている。


②帰る(還る)場所に帰った説

ニライカナイをモチーフに作品をつくったことがある。

生まれるときにやってきて、死んだらかえっていく

海の向こうの場所である。

ニライカナイ以外でも、死んだ魂は天に昇るなどして、

戻るべき場所に戻り、

次の「生」を待つ。

輪廻転生とか。

わたしの見解では、

命?とか魂とか、意識、精神、核のようなものの

本来の状態は「死」の状態だと思う。

死んでるのがデフォルト。

だから、ホームとしてあの世とかがあって、

たまたま活動というか、一時的な状態として「生」きている。

と思う。

わたしは怠け者だし、弱いので、

2014年の、その時の、拍子で、40%が帰ってしまったんじゃないか、

と思ったりしている。

40%向こうにいるので、

死をある程度前向きに捉えている気もする。

と言っても、死の状態に対しては前向きだけど、

死ぬというアクション、イベント自体は怖い。

死に方、死ぬ瞬間の、肉体と中身が引き剥がれる際の痛み、

単なる肉体の痛み、

それらをやるのが嫌だし怖いなあと思う。

ともあれ、わたしは、対岸や向こう側、other sideのことを

あちらに在る40%のことを

いつも、考えている。


とりあえず頻繁に考える説はこの二つ。

どちらも共通するのは

ここではないどこかがある

ということ。

どこかに40%が存在している。

その場所を常にイメージしながらこの6年やってきた。

これからも、ここでの存在がなくなるまで

わたしは40%の在る場所をイメージし続けると思う。

いつか100になるのだろうか。

そもそも2014年以前は100だったのか?

100だと信じて疑わなかっただけなのかもしれないね。

はじめから、幽霊だったのかもしれない。

1なのかもしれないし。

あと99どこかに分散している恐れも十分ある。

まだまだ存在の仮説は立てられそう。

いまここに知覚しているこの幽体と、

どこかにある分裂したわたしと、その場所と

ずっとずっと交信をし続けていきます。


p.s.これから投稿の際にはドローイングを添えたい、と思って描きました。

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