DAY 1
最初の希死念慮は16歳の冬に訪れた。
「死にたい」という気持ちは容赦がなく、当時の僕はそれをやり過ごす方法も知らなかったから、絶えず襲い来るそれに真っ向から対峙し、浅い眠りの狭間、わずかに差し込む窓からの光を手繰り寄せるように膝を抱えて泣いて過ごした。泣くと少しだけ僕は満足したが、大して持続しなかった。
それは、時と場所を選ばず、ふいにドア口をノックする訪問販売員のごとく僕の心を訪ねてくるのだった。ある時は友人と集まった深夜のファミレスで、ある時は恋人と行った映画館の座席で。それまで楽しげに振る舞っていた僕の目が急にぽっかりと虚無の穴を映し出すことで、彼らを随分と不安にさせたと思う。
ーーそんなに難しく考える必要はない。
当時の友人の一人が僕に言った言葉だった。しかし、僕は何も難しいことなど考えているつもりはなかった。ただ息をするのがつらいのだと、ただ普通に息をしたいのだと、伝えたいだけだった。
ちなみにこの友人は、それから4年後に、真冬の冷たい川に身を投げてこの世を去った。故郷を出て一人暮らしをしていた部屋のベッドで彼の死を知り、僕が最初に思い出したのが、「そんなに難しく考える必要はない」と言った彼の、あっけらかんとした笑顔だった。
いったい、何が僕らをそうさせてしまうのだろう、と考える。正道を逸れて幾重にも枝分かれした人生の隘路に、なぜ迷い込んでしまうのだろう? まるで一切の荷物を持たず、自ら遭難しに向かっているように感じることがある。
今日は、彼が死んで10回目の命日だ。彼と初めて会ったときから、つまりは最初の希死念慮が僕の元に訪れてから14年が経つが、いまだにそれはふいに戸口に佇んでいる。16歳の冬から変わらず、僕はこの季節を呪っている。凍てつく寒さの只中で、このドアを開けたらどうなるのだろうと考えているのだ。