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「聞こえる」つらさとHSP
先日、長らく行っていないデパートに立ち寄る機会があって、高島屋の入り口に足を運ぶと、、、
耳の穴の中から、高速で輪ゴムを脳に向かってピンピンピンピンと、弾かれました。「痛っ!!」
そうです。ネズミ除けの超音波です。
超音波が聞こえる、、、
久しくデパートや、大型店の類のところに行っていなかったので、忘れていたけれど、私はこの<〇〇除け超音波>が聞こえます。
この、超音波は、私に限らず、若い人は凡そ18KHz~聞こえるということなので、恐らく、15あたりから聞こえてるのかもしれない、と推測。
ヒト(10代の若者)18KHz〜38KHz
小型動物、ねずみ、げっ歯類13.5KHz〜17.5KHz
苦手な音を集めるとこんな感じになった。以下は苦手順
●女性ボーカルの歌(仮に好きな女性ボーカルだったとしたら、全て低音VOICE)
●2階建ての家で1階のテレビの主電源がついてままの状態(ちなみにテレビは水平発振回路というところから15.75KHzの周波数が出るらしい)
●複数のこどもの大声
●Youtubeの、棒読みちゃん(機械が読み上げるロボットボイス)
●商業施設入口付近の〇〇除け高周波
苦手な音を特定、、!
youtubeあたりから、耐えれない音に変化してくような感じ、、。
共通点を上げるとすると、音のなかでも、私は<高い音><高周波>の聞こえがよく、かつ、その処理能力がインプット量に対して低いのだと思う。
これこそ凹凸ですな。
いやしかし、ここまで言語化するのに、だいぶかかった!!!
ねずみ除けが聞こえる、と人にいうと、
「若い人アピール」だ、と会話のなかで揶揄で終わったり、
「そんなのみんな聞こえる」という自分の違和感が他人の一言でなかったことになっていったり、
youtubeのロボット音や複数の子供の大声が苦手なのは、一定数いるので、自分の許容量が少ないからだ、、と毎度自分のふがいなさにがっかりしたり、、、
そんなことの繰り返しで、自分の不得意に対してはすべて
「自分の許容量が、人より少ないから」
という結論にまとまっていき、常に弱い自分を責めに責めまくってていたのですが、、、、、、
いやまてよ、、、、
じつは、多くの人は、この高周波の類をそもそも、自分ほどキャッチしていないのでは!?
と思うようになったのです。
他者と自分の”当たり前”をじっくりみていくと
自分が「HSPの気質を持っている」と言うには、
学校や職場など集団行動がとれない程のものでもなかったし、無理すれば耐えれる音や感情の処理の範囲もおおいので、自分がその群とは思ったことはかつて一度もなかったのです。
でも、よくよくかんがえたら、、、
すべて「無理すればなんとか耐えれる」ということで行動していたし、「みんなも耐えながらいろいろやりくりしている」と、思い込んでいたのです。
が、しかし、
HSP周辺の自己研究を進めたり、対話のワークショップで他者の当たり前を聞く機会が増えていく中で、、、、、
え?もしかして、耐えてない?
気にもしてない?
なんなら、聞こえてない?
という事実が判明していったのです。
当たり前だから言語化もしない、という怖さ
自分にとっての、当たり前すぎる当たり前、というのは、
当たり前すぎて、<人もみな同じ>と捉えすぎているようにおもいます。
じぶんにとっての当たり前は、人と明確に比較する機会がなければ、一生言語化されないまま、じぶんの中で<ただ在るもの>となり、
それが才能であろうと、生きづらさの原因であろうと、しっかりとは理解されないまま、発揮されたり、誤解される要因になっている。
それくらい当たり前というものは、自分の中に溶け込みすぎているからです。
この、<自分にとっての当たり前>を言語化し、それを他者と比較していくことの大切さは身をもって体感をしているし、
いろいろな生きづらさを持っている人たちに寄り添う手段として、とても有効だと思います。
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