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生活に転んだ(東京都在住30代男性歌人の場合#7)
位置につく場所を知らずに助走するピストル音は急に鳴るから
文芸創作誌Witchenkare vol.12に掲載されているすずめ園さんの「人間生活準備中」というエッセイを読んだ。
過去に行っていたアイドル活動の終盤から、アイドルを辞め、仕事と文筆業を両立する現在に至るまでの出来事や感情の経過が書かれているのだが、とてもよかった。
ライブアイドル界隈では、アイドルからアイドルに転生することや、アイドルを辞めて裏方に回ったり、業界から離れた仕事に就職するなど、さまざまなアイドル後の人生があるが、ファンしては、辞めるところまでの過程を見ることはあっても、辞めた後に隣接した業界で働きだすまでの過程をありのままに聴くことはあまりないので、すごく興味深かった。
全体を通じて「アイドルを辞めて人間になっていく」という軸があるのだが、「アイドルだって人間」という考え方をする人もいる中で、「OLの私や、大学で卒論を書いたりバイトをするような、アイドル以外の自分の姿が、頭の中に存在してほしくなかったのだ」という一節に強烈に描かれるアイドルとしての美学は、きわめてまぶしく、それゆえに、アイドルを辞め、仕事も辞め、鬱々とした無職期間を経ることになるのだが、文章や自由律俳句をはじめ、「アイドルへの前向きな諦めを自覚し、他の選択肢に気づいてからは、人間らしい幸せにも興味が持てるようになった」と感じられる現在に至っている。
「前向きな諦め」というのは、すごくいい言葉であり、すごく残酷な言葉だ。
想いが強く、こだわりが強く、のめり込んでいたものほど、諦めなければ、次に進めない。
私の場合。
中学生の頃に、太宰治、坂口安吾、田山花袋にのめり込んで、小説を書くようになり、高校生になってからは、大人計画、阿佐ヶ谷スパイダースにのめり込んで(といっても、田舎暮らしなので、たまにNHKBSの深夜放送や時々CS契約をしていた先生が気を利かせてくれて録画してくれたビデオを見たり、演劇ぶっくという雑誌や書籍化された台本しか見れていないのだが)、演劇を始め、大学も演劇サークルで、作・演出・出演をしていた。
しかしながら、手ごたえのない日々が続く。
高校生の頃は、高校演劇向きではないという理由で評価されず、大学生の頃は、そもそもあまり量が書けず、年に1回だけの公演で誰かに見つかることもなく、刻一刻と迫る卒業へのタイムリミットの中で、好景気の売り手市場を背景に極めて普通に就職してしまった。
これはひとえに自分の弱さの結果である。
中高大の10年間、ずっとこだわって打ち込んできた文章や表現活動を捨てて、固定給をもらえる生活を選んだのである。
私は、生活に転んだ。
文芸や表現の世界との関わりを断って仕事に打ち込む。
生活は、時間を埋めていく。
生活は、言い訳をさせてくれる。
しかし残念ながら、元来仕事に邁進するタイプではないのだろう。
仕事で成果が出ても、「ああ、終わってよかった」としみじみ思うだけで、周りのスーパー社会人たちがハイテンションに仕事を振り返ったり、出世につながる次のプロジェクトに向けてせっせと売り込みをかけはじめる中、「ああ、もう帰りたい」と毎日思うだけなのである。
そして、楽しかったこととして思い出すのは、いい文章を書けて他人がにやっとしてくれたり、脚本を読んだ役者さんが興奮しながら独自の解釈をしてくれたり、自分が舞台でアドリブで話してウケた、とかそんなことばかりなのである。
ゆえに、転んでしまったので仕事は頑張りながら、こっそりエッセイを書いたり、短歌を書いたりして、数年ごとに忘年会で漫才をしたりして過ごしている。
すずめさんの文章を読んで、前向きに諦めることの尊さを感じながら、後ろ向きで諦められない自分の不徳に感じ入っている。