【アーカイブス#44】ロン・セクスミスの新作 *2013年1月
ぼくが最も気に入っているシンガー・ソングライターの一人、カナダのロン・セクスミス(Ron Sexsmith)が素晴らしい新作『Forever Endeavour』を発表したので、今回はそのアルバムのことを書いてみようと思う。
ロンにとっては、1991 年の最初のアルバム『Grand Opera Lane』から数えて 13 枚目となるこのアルバム、内容的なことを一言で言うなら、死と愛を見つめた作品集ということになるだろう。死の不安、死の恐怖と向き合う中から、自分が手に入れた愛の大切さを見つめ直す、そんな「シリアス」な歌が数多く収められている作品だ。しかしそこは優れたソングスミス(作詞作曲家)のセクスミスのこと、そうした重く深いテーマを、選び抜かれた言葉での豊かな表現、親しみやすいメロディ、そして名伯楽にしてロンの古くからの同志のミッチェル・フルームによる管弦楽器を多用した優しくあたたかく美しいアレンジとによって、いずれの曲も、心の中にすっと入り込んで来ていつまでもその奥に留まり続ける、3 分間の珠玉の曲に仕上げている。
2011 年の夏のツアーの真っ最中、ロン・セクスミスは喉に腫瘍があると診断され、MRIや超音波の検査を受けることになった。そして今回のアルバムのレコーディングの途中でもコンピュータ断層撮影の検査を受けて、すべてが大丈夫かどうか再度確かめる必要があった。
結果的にその腫瘍は悪性ではなかったが、それがはっきりするまでの数ヶ月間、ロンは絶えず死の不安に襲われ、今回のアルバムが自分の最後の作品になるのではないか、自分に残された時間は少ないのではないかと、あれこれ考えて眠れずに悶々とする夜を過ごすことになった。しかもしばらく会っていなかった友だちや仲間が相次いで自分のもとを訪ねて来たりすると、みんなは別れを告げに来ているのではないかとますます不安をかきたてられることにもなった。
『Forever Endeavour』に収められることになった曲の多くは、ロンが死の恐怖と向き合ったその時期に書かれている。それらの曲の中で彼は、「何を考えてみてもむだなだけ/意気消沈してすっかり落ち込んでしまう時/目に入るのは地べただけ/落ちて行くしかない時は」(「Nowhere To Go」)と、ひたすら悲観的になってしまったり、「今もぼくの耳に聞こえる/うんと昔、原っぱの向こうから家に帰りなさいとぼくを呼ぶ母の声が/今もあの声がぼくの心の中で響いていて/時が経つにつれてどんどん深まって行く」(「Deepens With Time」)と、子供の頃の思い出や過ぎ去った日々を振り返ったり、「おかしいね、人間というものは自分たちが元通りにできないことにどうしても縋り付いてしまうんだ/そしてぼくらはつい迷い込んでしまう/だったらいいのにの大通りへと」(「If Only Avenue」と、もしも今のような人生を選ばず別の道に進んでいたら自分はどうなっていただろうかと、あれこれ思い浮かべたりしている。そして何よりも死の不安や恐怖に打ち勝ついちばん大きな力、いちばんの救いとなるのは、自分のそばにいて、共に人生を歩んでくれる大切な人の存在で、新しいアルバムの中には、「自分が巡り会えたこの愛がなかったとしたら/ぼくはどれほど落ち込んでいたことか/ぼくは大海原で途方に暮れていたことだろう」(「Nowhere Is」)、「ぼくの心を癒してくれるのは彼女/彼女が心を元気づけてくれる」(「She Does My Heart Good」)など、愛妻のコリーン・ヒクセンボー(Colleen Hixenbaugh)に捧げられたロンの熱烈で正直なラブ・ソングも収められている。
また闇のトンネルから抜け出そうと必死で闘い続けなければならない、虐げられたり、見捨てられたりしている人たちに思いを馳せ、「人々が流すすべての涙は/何も聞こえない耳の上にこぼれおちるのですか?/あなたもまた見て見ぬふりをするだけなのですか?」と歌いかける「Blind Eye」のような歌が生まれたのも、ロンが死の恐怖と真剣に向き合い、自分がいかに愛され、恵まれているのかということに気づいたからこそだと言えるだろう。
ロンの新作『Forever Endeavour』は、死と愛を見つめたこうしたさまざまな曲が見事なまでに織り交ぜられていて、ひじょうに個人的でありながら同時に普遍的で、どこか壮大さを感じさせるものとなっている。
ロン・セクスミスの今の奥さん、コリーン・ヒクセンボーもまたミュージシャンで、2000年代前半はバイ・ディバイン・ライト(By Divine Right)というカナダのロック・バンドのメンバーとして活躍し、その後ポール・リンクレイター(Paul Linklater)とのデュオのコリーン&ポールを経て、現在はソロで活動している。
コリーンはロンの来日公演に一緒にやって来ることもあり、2011 年のフジ・ロック・フェスティバルにロンが出演した時も一緒だったが、その時はコリーンだけしばらく日本に残り、渋谷や鎌倉、新丸子で彼女はソロ・ライブを行なった。そしてその時に共演させてもらったのがぼくだった(そんなこと別にここで書かなくてもいいのだが…。すみません)。コリーンがロンのコンサートのオープニング・アクトを務めたことも何度かあったが、ロンは二人の音楽活動は別々にしておきたいという考えの持ち主だ。ジョン・レノンとヨーコ・オノ、あるいはポールとリンダ・マッカートニーといったようなコンビを組んで活動することはあり得ないようだが、ロンはコリーンの音楽が大好きで、その活動を全面的に応援している。
コリーンを今の奥さんと書いたことからもわかるように、彼女はロンにとって二人目の奥さんだ。1964 年生まれのロンは 1980 年代前半に最初の奥さんのジョスリンと一緒になり、1985 年に息子のクリストファー、89 年に娘のエヴェレンと二人の間に二人の子供を儲けた。しかし 15 年年以上続いた二人の結婚生活は 2001 年に終わりを迎えている。
今回の新作『Forever Endevour』の発売に合わせて、ロンのインタビュー記事があちこちに出始めているが、その中でこんなロンの発言を見つけた。イギリスの新聞『ガーディアン(Guardian)』の 2013 年 1 月 17 日に掲載されたティム・ジョーンズによるインタビュー記事の中で、ロンは「『Nowhere Is』は今の妻との出会い、そして彼女と出会う前に自分がやっていたありとあらゆる愚かで馬鹿げたことについての歌だ」と説明し、当然インタビュアーに「愚かで馬鹿げたことってどんなこと?」と突っ込まれ、こんなことを言っている。
「それは浮気ってことさ。しょっちゅうぼくはやっていたんだ。ぼくは 21 歳の時に父親になって、自分の 20 代は子供を寝かしつけたり、いろんな世話をすることで過ぎてしまった。それからレコード・デビューして、ぼくはブラッド・ピットのような人たちとは似ても似つかないけど、そんなぼくでもあちこちに行けば女の子たちが待ち構えていたんだ。例えばノルウェーに行けば、ぼくのレコードを聞いてくれている女の子たちがいて、ぼくに会う前からすでにぼくのことを好きになっちゃっている。どこに行っても必ずそんな女の子たちがいて、しばらくの間ぼくは港港に女の子がいて、彼女たちを手玉に取っていた。そんな経験ができて嬉しかったけど、すごいストレスでもあったんだ。二番目の妻のコリーンと出会ってぼくは目が覚めたよ。浮気ばかりしていてもどうしようもない、ぼくにとってそれはまさに『Nowhere』だって」
こんなことをイギリスの大新聞のインタビューでしゃあしゃあと正直に喋ってしまうところが、いかにもロンらしいが、この発言を読んで改めて新しいアルバムに収められたコリーンへのラブ・ソングを聞くと、何とも感慨深いというか、コリーン一筋に生きることを決めた彼の強く深い思いがひしひしとぼくの心に伝わって来る。
いつものロン・セクスミスのアルバムと同じように、『Forever Endeavour』の 12 曲は(インペリアル・レコードから 2 月 20 日に発売される日本盤には 2 曲のボーナス・トラックが収められて全 14 曲になる予定だ)、どの曲も 2 分半から 3 分前後の短い曲ばかりだ。
ロンのお気に入りはランディ・ニューマンのような直球で短めの曲。簡潔でうまく選んだ言葉を使うのが好きで、シンプルなことをだらだら言うのは苦手、3 分ぐらいがちょうどいい長さだと思うと彼は語っている(つい長い長い曲を書いてしまうぼくにとっては耳の痛い話だ)。
1995 年に発売されたアルバム『Ron Sexsmith』 でその存在を知り、その歌に激しく心を奪われ、それ以降は新しいアルバムが発表されるたびすぐに手に入れて欠かさず耳を傾け、1991 年の自主制作盤のような『Grand Opera Lane』にも遡り、ロンの作品をぼくは全制覇して来た。
死と愛を見つめた 3 分間の名曲ばかりが収められた最新作の『Forever Endeavour』(日本語にすると、とこしえのたゆまぬ努力という意味になる)は、13 枚にも及ぶ彼のこれまでのアルバムの中でも、そして今後何枚もの新しいアルバムが発表されていっても、ぼくにとっては繰り返し何度も聞き続ける、Forever Favourite(とこしえのお気に入り)の一枚となることだろう。
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