坂本龍一『音楽図鑑』が初の海外リイシュー!米・音楽ジャーナリスト、アンディー・ベータ(Andy Beta)によるライナーノーツを公開
2023年2月29日、イギリスのレーベル、wewantsoundsより坂本龍一の1984年作『音楽図鑑』がLPでリリースされます。元々は、坂本氏が自身のSchoolレーベルから発売。今回のリイシューではこのオリジナル盤が再現されています。通常版はLPとボーナスの7インチEP、限定版は7インチEPの代わりに3曲入りの12インチEPが含まれます。
リマスターはサイデラ・マスタリング。オリジナルの見開きアートワークに加えて、米・音楽ジャーナリスト、アンディー・ベータ(Andy Beta)による新たなライナーノーツが追加されています。アンディーはピッチフォークやローリングストーン、ザ・ガーディアン、ザ・ニューヨーク・タイムズなど、さまざまなメディアに寄稿。
今回は彼のライナーノーツを日本語訳でnoteにて公開いたします!
「青写真」と「カウンターパンチ」の間で:坂本龍一の『音楽図鑑』(アンディー・ベータ)
創造的な行為において、坂本龍一はしばしば自身の創作プロセスに触れる際、「青写真」というメタファーを引用していた。彼は2017年のインタビューで、次のように述べている。
「もし私が建築家なら、青写真が嫌いなので駄目な建築家になるでしょう。青写真がなければ、誰も建物が姿がどうなるのかわからない。でも私がやりたいことはそれなんです。何を作っているのか、それがどうなるのかを知ってはいけない。」
後に坂本は、作家/編集者の國崎晋に似たようなことを語っている。「青写真なしでアルバムを作ることは…羅針盤や地図のない航海に乗り出す冒険のようなものです。青写真に従えば、効率的かつ短期間で録音できるでしょう。でも私はそれをすべて取り払い、作りました。」
坂本は今年早くにこの世を去ったが、彼の音楽は未来の世代にとって道しるべとなり続けている。彼の4枚目のソロアルバム『音楽図鑑』(1984年)は、YMO解散後としては初となり、約22か月が費やされた。非効率的で最先端、ポップで前衛的。フルクサス(※1)の伝説、ナム・ジュン・パイクや百貨店のエレベーター音楽と同列に並ぶ『音楽図鑑』は、坂本がキャリアの転換点に立つ瞬間を捉えたアルバムだ。世界的な評価の予感が漂っていたが、彼自身はまだ少しグレゴール・ザムザのような、ラウンジ・ピアニストのように感じていたのだ。(混乱することに、2年後には新しいトラックリストで『イラスト付き音楽図鑑』として再リリースされた。)
1983年にYMOが解散を決断した一方で、坂本はこれまで以上に忙しくなる。デヴィッド・シルヴィアン、ロビン・スコット、トーマス・ドルビーなどの西洋のアーティストとのコラボレーションは順調に進んでいた。彼はプロデューサーとしても引く手あまたで、当時の妻である矢野顕子から飯島真理、郷ひろみまで、幅広いアーティストのために作曲していた。坂本は音響ハウスのスタジオを自身の職場のように使い、週に5日出勤し、長時間働いていた。
そしてフランスの写真家エリザベス・レナードとその映画クルーに追いかけられてもいた。ドキュメンタリー映画『Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto』では、活気あふれる時代の坂本が捉えられ、約30曲をレコーディングしながら、時間が直線的ではないことについて熟考している。
「時間は一方向に進展しない。分かれた時間の塊がある。私たちは音楽を作曲し、それらを好きな順番に配置することができる」と彼は語る。ノイズが鳴るアーケードや、東京の多層ビルで買い物客が行き交う様子を見ながら、現代の音楽が無視されやすいのと同時に、即時的な満足になっているという難問について坂本が熟考する様子を、私たちは目にする。「音楽は一般的に、予想される部分とそれに裏切られる部分、あるいはカウンターパンチを送る部分から成り立っています。音楽はこの二つの要素のバランスです」と彼は語る。彼はおもちゃの銃や1億2,000万円の新しいデバイス、フェアライトCMI(※2)と遊び、いずれに対しても没頭と驚嘆を持ってアプローチしている。
彼はドキュメンタリーのチームにフェアライトの使い方をデモンストレーションし、8インチのフロッピーディスクとそのサンプルバンクを利用して説明する。「話したり、レコードを使ったり、ノイズを作ったりできます。どんな音でも大丈夫です」と彼は説明する。フェアライトはアルバムで重要な役割を果たした。本作で坂本は幅広い演奏者たちとコラボレーションをした。YMOのバンドメンバー、高橋幸宏、サクソフォーン奏者の清水靖晃、ペンギン・カフェ・オーケストラのサイモン・ジェフス、フルクサスのパイオニアであるナム・ジュン・パイク、パーカッショニスト/作曲家のデイビッド・ヴァン・ティーゲム、トランペッターの近藤等則、さらには子供の合唱まで、その機械を通じて彼ら全員をフィーチャーした。
『音楽図鑑』のほとんどの曲で、坂本は新しいおもちゃの可能性を探求している。例えば、『Tibetan Dance』は、ビワやフルート、琴に加え、活発なキーボードライン、アップストロークしたギター、手拍子、ディスコベースなど、あらゆるレイヤーに細かな音の刺繍が施されている(ボーナスバージョンでは、そのファンキーな柔軟性を維持しながら、オリジナルでは使用されなかった多彩なサンプル音を詰め込んでいる)。
そして、『Etude』では、コンピュータ音楽の楽器の新たな可能性を想像する坂本の姿が感じられる。中間の4小節で、エレベーターのドアが開くような雰囲気を作り出し、ジャズコンボがスイングするスモーキーなカクテルラウンジに様変わりする。しかし、本楽曲に参加したサックス奏者の清水靖晃は『この曲はジャズセッションのように聞こえるかもしれないが、私は山ちゃん(本楽曲でドラムスを担当した山木秀夫)が録音の際にいる姿は見ていない』と回想している。アルバムの後半の『A Tribute To N.J.P』でそのラウンジに再訪することができる。
活気に満ちた『M.A.Y. in the Backyard』は、ルカ・グァダニーノ監督の映画『君の名前で僕を呼んで』で使用されており、今ではこのアルバムで最も馴染みのある曲となっている。フェアライトによって金属音や遅延効果が全ての小節に組み込まれ、坂本の正確なピアノが、対比やディテール、ドラマによって引き立てられている。数十年経った今でも、この美しさと刺激的なエネルギーは息をのむほどであり、この目まぐるしい5分間はアルバムの魅力を存分に示している。
現在、新しいテクノロジーで溢れているが、『音楽図鑑』は驚異であり続けている。非常に実験的でありながらもメロディアス。これは坂本にとって初となる、チャートでのトップ5入りを果たしたアルバムとなり、高度な抽象性を持つ次作『エスペラント』や、ベルナルド・ベルトルッチ監督の『ラストエンペラー』のアカデミー賞受賞サウンドトラックを予見した。坂本の導きの手により、全ては青写真とカウンターパンチの狭間で漂っている。