【アーカイブス#50】ミッキー・ニューベリー *2013年7月
確か1970年頃のことだったと思う。それまで歌っていたプロテスト・ソングやメッセージ・ソングが歌えなくなってしまい、何を歌っていいのかもわからず、おまけにからだもちょっと悪くして医者からひと月ほど自宅静養をするようにと言われ、歌うのをやめていた時のことだ。まだまだぼくはアメリカのフォーク・シンガーたちに夢中だったが、そういう人たちとはちょっと違うカントリー系のシンガー・ソングライターたち、アメリカのカントリー・ミュージックのメッカとされている保守的な音楽シーンのナッシュヴィルに新しい風を吹き込んでいる人たちに興味を持つようになった。
もともとぼくはアメリカのフォーク・ソングに関心を抱く前に、その頃はカントリー&ウェスタンと呼ばれていたカントリー・ミュージックが大好きになり、ハンク・ウィリアムスやハンク・スノウ、ジョニー・キャッシュやジョニー・ホートン、レフティ・フリゼルやレイ・プライスなど、誰でも彼でも聞きまくっていた。そしてカントリーを聞くうちにそれに通じるブルーグラスやオールド・タイム・ミュージックの世界にも興味を覚え、そこからやはりそれに通じるアメリカン・フォーク・ソングの世界へと入って行ったのだ。それはぼくがまだ中学生になったばかりのことだった。
しかしその頃ぼくが聞いていたアメリカのカントリー・ミュージックは、どこか日本の歌謡曲の世界と通じるような、形式的で商業的なところがあって、保守的で凝り固まったその雰囲気に徐々に息苦しさを覚えるようになっていった。
1970年頃に出会った新しいカントリー・ミュージックには、そうした旧弊さを打ち破る自由さや柔軟さが感じとれた。そしてその中でもぼくが強く心を惹かれたのがクリス・クリストファスン、ウィリー・ネルソン、ボビー・ベア、ガイ・クラーク、ミッキー・ニューベリーといったシンガー・ソングライターたちで、そのうちの何人かは旧態依然のカントリー・ミュージックに刃向かい、立ち向かう人たちということで、アウトローという名前を頂戴したり(あるいは自ら名乗っていたり)していた。
今回の連載では、ミッキー・ニューベリー(Mickey Newbury)のことを書いてみたい。1940年5月19日にテキサス州ヒューストンで生まれたミッキーは、高校生の頃から自分で曲を書くようになり、やがてジ・エンバーズ(The Embers)というドゥワップ・グループを結成してそこでテナーを受け持つことになった。このグループはサム・クックやジョニー・キャッシュのオープニング・アクトも務めてそこそこの成功を収め、音楽で身を立てようとしたミッキーはクラブ回りも始めるようになったが、19歳になると兵役に就くために4年近くも音楽シーンから離れることを余儀なくされてしまった。
兵役から戻ったミッキーは54年型のポンティアックを自分の家にしてテキサスやテネシー、ルイジアナを旅して回り、再びクラブで歌ったり海老獲り船で働いたりするようになった。しかしミッキーのいちばんの夢はソングライターとして成功することだった。1964年ナッシュヴィルに向かった彼はカントリー界で最も有名な音楽出版会社のエカフ=ローズに認められ、ソングライター契約を交わしナッシュヴィルに落ち着いて曲作りに専念することになる。そしてすぐにも多くのシンガーたちがミッキーの曲を取り上げるようになり、それらがことごとく大ヒットとなって、彼の夢はあっという間に叶ってしまった。
1966年にはミッキー・ニューベリーが書いた曲「Funny Familiar Forgotten Feelings」がドン・ギブソンやトム・ジョーンズに取り上げられて大ヒットし、1968年にはケニー・ロジャーズとザ・ファースト・エディションが取り上げた「Just Dropped In」、アンディ・ウィリアムスが取り上げた「Sweet Memories」、ソロモン・バークが取り上げた「Time is a Thief」、エディ・アーノルドが取り上げた「Here Come The Rain Baby」が、それぞれポップ/ロック、イージー・リスニング、R&B、カントリーのチャートで大ヒットし、そのうちの3曲はトップ・ヒットとなって、ミッキー・ニューベリー大旋風が巻き起こった。そしてもちろんシンガーでもあるこの注目のソングライターを誰も放っておくことがなく、ミッキーは同じ1968年にRCAから『Harlequin Melodies』でシンガー・ソングライターとしてソロ・デビューを果した。
しかしそれまでのナッシュヴィルのカントリー・ミュージックのやり方で作られた自分のこのデビュー・アルバムがミッキーはまったく気に入らなかったようで、彼は一枚だけでRCAとの契約を解消し、レーベルを移って自分がほんとうに作りたいアルバムを作るようになった。そうして生まれていったのが1969年の『Looks Like Rain』、1971年の『‘Frisco Mabel Joy』、1973年の『Heaven Help The Child』の三枚のアルバムで、これらの傑作は『An American Trilogy(アメリカの三部作)』として、今も長く広く聞き継がれている。
ぼくがミッキー・ニューベリーの歌に心を奪われたのもまさにこれらのアルバムによってだった。それから遡って『 Harlequin Melodies』も聞いたのだが、確かにそのデビュー・アルバムを最初に聞いていたのだとしたら、ぼくはミッキー・ニューベリーにそれほど興味を覚えなかったかもしれない。
その頃に聞いたミッキー・ニューベリーの歌の中でぼくが特に好きだったのがサード・アルバムのタイトルにもなっている「San Francisco Mabel Joy」で、この歌は日本語にして何度か歌ったことがある。
ジョージアの田舎の貧しい農家に生まれた主人公が夢を追いかけ15歳の冬に家出をして貨物列車に飛び乗ってロサンジェルスへとやってくる。しかし大都会の風は田舎者の少年にはあまりにも冷たく、彼は寂しくひもじい思いに苛まれながら、冬から春へと生き延び、やがて夏を迎える。少年は繁華街でサンフランシスコのメイベル・ジョイと呼ばれていた売春婦と出会い、彼女の胸の中で大人になる。
メイベル・ジョイとの笑いに満ちたしあわせな日々を過ごすうち、少年はロサンジェルスの妻を連れてジョージアに帰る夢まで見るようになってしまうが、ある朝目が覚めて彼女がいないことに気がつく。さんざん探しまわり、ようやく赤い灯がともる場所でメイベル・ジョイを見つけるが、彼女と一緒にいた船乗りに殴られ、「ジョージアの田舎者のガキ!!」と罵られ、彼は事件を起こしてしまう。そして監獄の中で21歳を迎えた主人公は、釈放されるとメイベル・ジョイがいた赤い灯の家へと足を運ぶ。「メイベル・ジョイを出せ!!」と彼が叫ぶと、そこにいた誰かが怯えた声でこう返事する。「彼女は4年前の今日、ここから出て行ったよ。ジョージアの若者を探しにね」
物語歌の傑作で、この歌はジョーン・バエズ、ジョン・デンバー、ウェイロン・ジェニングス、ケニー・ロジャーズ、クリス・クリストファスン、デヴッド・アラン・コー、ラリー・ジョー・ウィルソン、ボックス・トップスなどなど、多くのシンガーたちに取り上げられて歌われている。そしてミッキーの独特な曲作りのスタイルは、彼の回りにいたクリス・クリストファスン、ボビー・ベア、ウェイロン・ジェニングス、ガイ・クラーク、タウンズ・ヴァン・ザントたちにも大きな影響を与えているはずだ。
1973年の『Heaven Help The Child』の後もミッキーはほぼ年一枚のペースでコンスタントにアルバムを発表し続けるが、1974年に家族でオレゴンに引っ越してからは、生活のシフトが仕事よりも家庭に移っていたようで(奥さんのスーザン・パックは元ニュー・クリスティ・ミンストレルスのメンバーで、彼らが引っ越したオレゴンの町は彼女が生まれ育ったところだ)、4人の子供にも恵まれ、80年代になるとほとんど引退したも同然になってしまう。ミッキーのオフィシャル・ホーム・ページのバイオグラフィーによると、「80年代、ミッキーはミュージック・ビジネスでの活動を休止し、家族とゴルフに専念」と書かれている。
90年代になってミッキーは友人たちに強くけしかけられ、曲作りやレコーディング、演奏活動を再開し、1994年からほぼ二年に一枚のペースで新しいアルバムを発表するようになった。しかし1990年代半ばからは体調を崩し、肺の病気と闘いながらの厳しい創作活動だった。そして2002年9月29日、ミッキーはオレゴンのスプリングフィールドの自宅で永遠の眠りについた。
今回ぼくがミッキー・ニューベリーのことを取り上げる気になったのは、彼が60年代から70年代にかけて活躍したカントリー系のシンガー・ソングライターとしては日本でもまだまだ知られているものの、90年代に復活してからの彼の歌はほとんど聞かれていないのではないかと思ったからだ。彼が亡くなったことすら知らない人が多いのではないだろうか。90年代にも活躍しているミッキーを懐かしの60年代、70年代の人だけにしておくのはあまりにももったいない。どちらかといえばミッキーにとっては忘れ去られた時代になってしまうのかもしれないが、90年代以降の彼のアルバムももっともっと聞かれてほしいと願わずにはいられない。
この原稿を書くにあたって、ミッキー・ニューベリーの遺作となる2003年の『Blue to This Day』(Mountain Retreat)に改めて耳を傾けてみた。列車の音や街の音、雨の音や雷の音、鳥の声などさまざまな効果音がちりばめられているアルバムで、軽快なロックン・ロールや泥臭いブルースもあるものの、全体的に静かで穏やかで深くて潔く、とても敬虔な作品という印象を受ける。これはひとえにミッキーが生きることの喜びと悲しみを真っ正面から見つめ、ひたすら誠実に曲を作り、それらを心をこめ、全力で歌っているからにほかならない。肺気腫と闘っていたミッキーにとっては、ここまで歌い切ることはまさに命懸けのことだったに違いなく、すべてを注ぎ込んで歌われる彼の歌にぼくは激しく心を動かされずにはいられない。
アルバムは「Some Dreams Never Die」という曲で始まり、スティーブン・フォスターの「Beautiful Dreamer」の美しいピアノ演奏で幕を閉じる。アルバムの中には夢を追い続けることの大切さが歌われた曲がほかにもあって、どんなことがあっても夢見ることを決してあきらめてはならないというミッキーの揺るぎのない思いが、このアルバムの中心に強く太く貫かれているがゆえに、聞き終えた後にとてもあたたかくて清々しい気持になれるのだと思う。
もうすぐ没後11年、この原稿がきっかけとなってミッキー・ニューベリーの忘れ去られた時代を(もちろん60年代や70年代の彼の歌を聞いたことがない人ならその時代も)訪ねてみようかという人があらわれたとしたら、ぼくとしてはこんなに嬉しいことはない。
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