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熊本


 湯川潮音 桜井芳樹 南に渡る鳥ツアー。前回からの続き。
 新幹線の車窓からは結構な雨模様だったのだが、熊本駅に降り立つとほぼ止んでいた。とはいえ不安定な空模様で、会場に向かう途中は天気雨にも見舞われた。この日の現場はtsukimi。一見シンプルな造りだが、行き届いているのがよくわかる。昨晩とはうってかわって、酒場ではない少し凛とした空間が心地よい。
 ライヴは抜群の手応えだった。音響も良く、お借りしたフェンダー・エクセルシオールもコントロールしやすく小音量でも、真空管の手応えがあり、これは少し欲しくなった。
 今回の一連のライヴでは、私のソロ演奏の場面もあるが、この日は響きが気持ちよく些か長めだったかもしれない。

 客席にはたまたま熊本に来ていて吉祥寺ハバナムーンでよく杯を交わすギタリストの山本タカシさんがいる。それだけで潮音さんと私は吉祥寺感を得て、ホッとして笑う。そして、何の連絡も受けていなかったので驚いてしまったのだが、じゃがたらのOTOさんが座っていた。

 ちなみに私はJagatara2020のサポートで演奏するスケジュールが2020年の春以降、音楽フェスティバル中心に色々入っていたが、コロナ禍で全て中止になった。

2020年1月のJagatara2020@渋谷クラブクアトロ

 そして、打ち上げ。酒があると、ほとんど食べなくなるのだが、やはり美味い。少しずつだが箸が伸びる。OTOさんとは音楽の話になるが、一つのキーワードからどこまでも広がっていき、とても楽しい。

 その後、河岸を変え焼酎バーに行き、終いには部屋飲みだったが、うむ、ほとんど覚えていない。が、こるまめという熊本の干し納豆がとても良い。これは常備したいくらいだ。

 そんな翌朝のホテルの朝食はやはり無理であった。

 1967年以降のBUTTERFIELD BLUES BAND 再聴の冬(その4・最終回)

 1970年3月21,22日に録音、12月に『LIVE』(二枚組)が発売となったバターフィールド・ブルース・バンドだが、このキャリアでこのペースでのアルバム発表というのは、少し急いでいる感もある。エレクトラとの契約はまだあったので、それを終わらせるための二枚組では無かったとの想像は容易い。何より、デヴィッド・サンボーンが他の仕事が先に入っていた為、このライヴには参加していない。ただ脱退していないという意味もあったのか、中ジャケットの写真にはしっかり写っている。そしてこの録音のエンジニアの一人でもあるトッド・ラングレンが単独でプロデュースという立場も担っている。突飛な想像だが、あえてラングレンはサンボーンなしの録音を計画していたのではないだろうか。サンボーンはこのバンドに於いては切込隊長的にバターの歌に絡むことが多く、ラングレンはそれを排除し、バターに焦点を合わせることを選んだとも考えられる。冒頭の Everything Going to be Alright はいつもサンボーンのオブリガードだったが、ここではトレバー・ローレンスのバリトン・サックスに置き換えられ、穏やかになりバターの後方で鳴る。
 私はこのアルバムから聴き始めたので、違和感はないが、この連載での聴き直しで、分散された不思議な魅力は少し減っていると感じた。ただそれはドラムスがフィリップ・ウィルソンからジョージ・デヴィッドソンに変わったことも大きく、2004年発売の拡大版CDでは、その不思議な魅力も垣間見える。

 その拡大版CDのブックレットにはサンボーンの談話もある。
「ジーン・ディンウィディは私たち全員にとって父親のような存在で、10歳年上でシカゴに住んでいて、ビバップの語彙を知っていた。彼は非常に優れた演奏者で、事実上の音楽監督で、私たち全員にとって大きなインスピレーションだった。彼はテッド・ハリスが登場するまで、ハーモニーの点で最も進化した演奏者だった。しかし誰もが彼に頼っていた。彼は譜面をまとめバンドのハーモニーを指揮した。ポールは実際にはそれほど上手に楽譜を読めなかった。そして1970年、バンドは非常に複雑な譜面と素晴らしいアレンジを演奏していた。」

 ラングレンは以下の言葉を残している。
「結局、バターとバンドと一緒にスタジオアルバムを録音することはなかった。スタジオで 1 回セッションしたが、バンドのサウンドとジャニス・ジョプリンの声を融​​合させようというのは失敗に終わった。その後のことはジャニスのキャリアの観点からは周知の事実だ。バターは進化を続け、私のような多くの白人の若者に親しまれてきたアーバンブルースのサウンドから離れていくことになった。」

 そして次は『LIVE NEW YORK 1970』。ニューヨークのA&Rスタジオでのラジオ番組用の観客入りライヴで、数年前に発売されていたらしいが、私が気がついたのは今年の初頭だった。

 メンバーは先のライヴ盤から、テッド・ハリスが抜け、ドラムスはデヴィッドソンからデニス・ウィッテドに変わる。次のスタジオアルバムには2曲だけハリスとデヴィッドソンが参加しているので、既にアルバム録音も始まっていたのであろう。それに次のアルバムの冒頭曲 Play On が既に演奏されている。(ただ、スタジオ盤とは後半のアレンジが異なる。)驚いたのが、Stuck in the Countryside。これは後のベターデイズのライヴ盤で知り、こんなかっこいい曲がスタジオ録音されていなかった、と当時は興奮したのだが、今回まさかその前からのレパートリーだったとは、とAmazonでこれを見つけた瞬間に注文してしまった。
 サンボーンの切り込みぶりは堪能できるし、ウィッテドは前任者よりロック度が増すが、鍵盤がいない編成では、それが逆にマッチする場面も多い。そして私としてはラルフ・ウォッシュの未発表音源がまだあったことを素直に喜んだ。
 音はまあ許容範囲ではあるが、もう少し丁寧にトリートメント出来たはずにも思える。息子のゲイブリエル氏が携わったようだが、そこまでの予算はなかったのか、少し残念ではある。ジャケットも先の『LIVE AT WOODSTOCK』と比べると、購買意欲を誘われるとは言い難い。しかもPAUL BUTTERFIELDのライヴではない、BUTTERFIELD BLUES BANDのライヴである。その最後期の貴重な録音。Ralph Wash は Ralph Walsh とクレジットされているし(この間違いはこのアルバムだけではないが)編集も杜撰で、サブスクリプション(おそらくCDも同じ)では Stuck in the Countryside が終わると、ジーン・ディンウィディが歌う Drowned in My Own Tears が途中から再生されるという、酷さ。おそらく録音テープの掛け替えに時間が必要だったと推測できるが、普通にマスタリングすればカットするのは当たり前のことだ。ただ、アナログ二枚組はそこはしっかりカットされている。一体どういうことだ。

 最後のオリジナルアルバム『Sometimes I Just Feel Like Smilin’』は1971年9月に発売された。先のニューヨークでのライヴの時には既にこのアルバムの録音が始まっていたことを考えると、リリースまでには些か時間がかかっている。メンバーチェンジと楽曲選定に時間がかかったと推測できるし、最初期に関わっていたポール・ロスチャイルドが再びプロデュースということであれば、最初のアルバムの経緯から時間は要することも想像できる。ジャケットにも映っている旧ドラマーのデヴィッドソンは2曲のみの参加で、ジャケットにも映っていないハリスも2曲のみでそのうち1曲は自身のペンによるもの。ちなみにジャケットは左から、ロッド・ヒックス、ローレンス、デヴィッドソン(立ち)、スティーヴ・マダイオ、バター、サンボーン、ディンウィディ、ラルフ・ウォッシュ。裏ジャケットは椅子だけが残っているのは、何ともブルーズっぽいが、これは解散も示唆したのか?
 肝心の内容は、風通しがよく、適度にリラックスした空気は開かれているのだが、推しが弱いというか、焦点が少しボケたか、という感じか。ヒックスの不気味な歌はここではとても効果的だが、ウォッシュとディンウィディの歌はちょっと蛇足気味。とはいえそこに新機軸として、女性コーラスが入っているのが新鮮でかなり良い。コーラスメンバーを確認すると、クライディ・キング、メリー・クレイトン、ヴァネッタ・フィールズになんとオマ・ドレイク。前者3人はブラックベリーズでハンブル・パイでの素晴らしいスタジオライヴが動画サイトで観られる。ドレイクは Oma Heard として知られるモータウンのシンガーで、メアリー・ウエルズの後釜として期待されたと記憶するが、シングルのみのリリースだったらしい。後にこのシングルは高値の取引となる。
 ディンウィディの一曲 Train Man は、とにかくコーラスに耳を奪われる。アルバム通してコーラスに注視すると、確かに別の良さも感じ悪くない。なんかこのバラエティさが今は以前よりフィットしてきたのだ。冒頭の Play On はシングル向けの格好良さ。次のヒックスの歌はこれまでで一番効果的。3曲目はウォッシュの歌でそこは少し弱いが、ギタートーンは極上でコーラスがこれまた素晴らしい。4曲はバターの本領発揮、エンディング直前のウィッテドの混乱が少し残念だが、その後のコーラスがそれを忘れさせる。そしてA面最後はバター作曲としては最もプログレッシヴなインストの Song for Lee、このリーはバターの二人目の息子のことだろう。ディンウィディのソロが素晴らしい。B面は先述の Train Man に始まり、次はハリスのクールなインスト Night Train 、何気なく聴いているとちょうど良い頃合いでこの曲が響く。ホーンセクションとハープに耳がいくが、乾いたコンガも良い効果。そしてB面3曲目再びディンウィディ登場。これほどのサックス奏者だが、US黒人音楽の歴史とプライドと進歩を担って、自身で歌うのだ。上手くはないがグッとくる。曲は十八番の Drowned in My Own Tears。そしてこの曲でようやく切込隊長のサンボーンが前に出る。この瞬間明らかに空気が変わる。このアルバムの白眉の瞬間でこの違和感こそ素晴らしい。最終曲はバターが締める。Blind Leading the Blind これはベターデイズにもつながる良い曲だ。リズムセクションはバッチリだし、ウォッシュのギターもサンボーンの短いソロも痺れる。バターはピアノでハープは吹かないが、歌とコーラスの塩梅がグッときて、終曲に相応しい。

 なんだ、思っていたより良いアルバムじゃないか、と感じたのだが、それには訳がある。
 実はこのアルバムを初めて聴いたのは、四十年ほど前で二枚組『LIVE』の数年後だったと思う。この時手に入れた国内盤の見本盤をずっと聴いていたのだが、割と最近の数年前に最初期リリースのUS盤を手に入れ、それの感想が先述の結果だが、この二枚、明らかに音が違いすぎるのだ。大まかに国内盤はリードヴォーカルが前に出て、ハープが強調され、ベースは重心が低く、全体にドライ。USオリジナル盤は程よく良いバランスでコーラスも要所要所で前に出、ディンウィディ、サンボーン、ウォッシュのトーンはこちらに分がある。リズムは躍動感がまし、その分先程のウィッテドのミスも目立ってはいる。そして適度なプレートリヴァーヴの処理は適切だが、明らかに違う。
 クレジットを確認すると、レコーディングエンジニアの欄の後に、こう書かれている。
 Re-Mixing Engineer FRITZ RICHMOND / Mixing TODD RUNDGREN
 もしかしたら、日本盤はラングレン・ミックスのままで、USオリジナルはフリッツ・リッチモンドの仕事と考えられる。ただリッチモンドはある程度ラングレンのミックスを流用しなければならない状態だったので、このようなクレジットになったのではないだろうか。
 ファンとしては両方聴くと確かに面白いが、US盤の方が作品の魅力がフォーカスされる。

 1971年、このバンドのライヴは少なくなる。ポスターもあるが、学園祭のようなものだったらしい。

 ドキュメントを見ると、資金の調達に苦労したようなことが語られていた。マネージメントのアルバート・グロスマンからの支払いが遅れ、バターが背負っていたのだ。しかしそれも無理になり、9月にアルバムは発売されたが、バンドは解散。グロスマンはその後バターへの償いもあったのか、ベアズビル・レコードで契約し、ベターデイズにつながる。

 その後、バターの死後の90年代後半にアンソロジー盤が発売され、それは私もこのバンドを見直すきっかけの一枚であった。音もよく適切な選曲だが、悲しいミスがあった。最終曲の Song for Lee とクレジットされた曲は、何の間違いか、同じく最終アルバムの Night Train だったのだ。
 この件で、ああ、これほどまでに後期バターフィールド・ブルース・バンドをきちんと語ったものがないと思ったので、今回の原稿になった次第である。

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 久しぶりにレコードコンサートのお知らせです。

 2025年1月4日
 レコード千夜一夜
 @阿佐ヶ谷SOUL玉Tokyo
 出演)桜井芳樹
 ゲスト)岡田拓郎
 桜井と岡田が十枚ずつくらいレコードをかけつつ有る事無い事しゃべる夜です。
 (3年ぶりの開催です)
 open 18:00 start 19:00
 チャージ 1,500円 (+drink)
 予約 souldama@gmail.com

 よろしくお願いします。

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 それでは、良いお年を。

桜井芳樹(さくらい よしき)
音楽家/ギタリスト、アレンジやプロデュース。ロンサム・ストリングス、ホープ&マッカラーズ主宰。他にいろいろ。
official website: http://skri.blog01.linkclub.jp/
twitter: https://twitter.com/sakuraiyoshiki  


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