【アーカイブス#16】素敵なバンドはいつもメグが教えてくれる。The Low Anthem *2010年8月
前回このコラムでピート・シーガーについての文章を書いた時、今はニューヨークに住んでいる、70年代前半の吉祥寺ぐゎらん堂時代からの親しい友だち、メグのことにも触れた。ピート・シーガーに会うようにぜひニューヨークに来るようにと、ぼくをとても熱心に誘ってくれている人物だ。
それでメグとメールのやり取りをしているのだが、8月の初めに彼女からもらったメールでは、7月の終わりにブルックリンの公園で開かれた野外コンサートのことも書かれていた。コンサートの主役は、グレン・ハンサードとマルケタ・イルグロヴァのザ・スウェル・シーズン、すなわち映画『Once〜ダブリンの街角で』で一躍有名になったアイルランドとチェコの男女デュオで、「グレンはパワフル、マルケタさんは天使の歌声。観客と演奏者が一体になった時は素晴らしく、とてもとてもよかったです!!」と、メグは報告してくれていた。そしてさりげなく、「昨夜のオープニングは、The Low Anthemと言うバンドで、ご存知かもしれませんが、とても気に入りました」と彼女は付け加えていた。
寡聞にしてぼくはThe Low Anthemのことを知らなかったが、メグのこの一言に何故かビビッときてしまった。彼女は出て来たばかりのバンドをニューヨークで真っ先に見て、それが面白かったりすると、すぐにぼくに教えてくれる。そしてメグのお薦めで、これまで外れたミュージシャンやバンドは一度もなかった。
そこで早速ネットでThe Low Anthemをチェックし、これまでにアルバムを二枚発表していることもわかったので、まずは最新アルバムの方をAmazonに注文した。
今年の夏の8月、ぼくは6日の広島から28日の香川県の大島まで23日間続くツアーがあり、ずっと東京を離れることになった。旅に持って出ようと思っていたThe Low AnthemのCDは、残念なことに出発前には届かなかった。
旅から戻って、23日間のうちに溜まった厖大な量の郵便物を整理していると、その中にAmazonからのパッケージもいくつかあり、そのひとつがお目当てのThe Low AntemのCDだった。
The Low Anthemのセカンド・アルバムは、『Oh My God, Charlie Darwin』というもので、実は2008年に自主制作で発表されたのだが、とても評判がよく、2009年に趙大手のア・ワーナー・ミュージック・グループ・カンパニー傘下のノンサッチ・レコードから改めて発売された。送られて来たのはもちろんノンサッチ盤で、オリジナルの方はプレミア付きで値段がうんと高かったりするそうだが、中身が同じならぼくは何でもかまわない。
早速アルバムに耳を傾けてみた。オープニング・ナンバーの「Chariie Darwin」を少し聞いただけで、「ああ、やっぱりメグはすごいや。いいものがちゃんとわかっている」とぼくは思いきり納得する。「Charlie Darwin」は、ファルセットのように思える高く澄んだ声で、アコースティック・ギターを爪弾きながら歌われる曲で、途中でハーモニカも入ったりして、The Low Anthemは、ぼくの大のお気に入りのThe Avett BrothersやFleet Foxes、あるいはShearwaterにも通じるバンドかなと思ったりしたのだが、もちろん全部の曲が同じようなサウンドで貫かれているわけではなかった。
二曲目の「To Ohio」は、スティーヴン・フォスターのメロディを思い起こさせるフォーク調の曲で、控え目なホーン・アレンジや美しいコーラス・ハーモニーに包まれていて、三曲目の「Ticket Taker」もアコースティック・ギターやウッド・ベースの伴奏で耳もとに囁きかけるように歌われるが、四曲目の「The Horizon Is A Beltway」になると、いきなりだみ声で歌われる思いきり泥臭いロック・ナンバーに急変し、ちょっとポーグスあたりの匂いもしてくる。
ジャック・ケルアックの詩にトム・ウェイツが曲をつけた五曲目の「Home I’ll Never Be」も、同じく泥臭いロックで、ブルース・ハープが吹き鳴らされ、バンジョーがかき鳴らされ、恐らく唾を撒き散らしながら、だみ声で騒々しく歌われている。かと思うと、六曲目の「Cage The Songbird」は、足踏みオルガンの伴奏で歌われる曲で、神々しいその響きはレナード・コーエンの世界にも通じていて、七曲目の「(Don’t)Tremble」 は、またアコースティック・ギターをフィンガー・ピッキングで爪弾き、ハーモニカも吹きながら、優しく親密に歌いかけるフォーク調の曲。そして八曲目の「Music Box」は、そのタイトルどおりオルゴールで奏でられているようなインストゥルメンタル曲というように、アルバムが進むにつれて、The Low Anthemの世界はまったく違った面や音の風景を見せてくれるのだ。
ただどの曲も、木々の緑色、大地の茶色、青い大空、太陽の光、澄んだ小川といったように、自然の息吹きを伝えてくれる。
ぼくはいっぺんにこのThe Low Anthemが大好きになり、アルバムを一度聴いたらまた最初から聴き返したくなって、完全に病み付きの状態になってしまっている。メグ、またまた素敵なバンドを教えてくれてほんとうにありがとう。
Wikipediaによると、The Low Anthemは、ロード・アイランド州プロヴィデンスにあるブラウン・ユニバーシティのラジオ局、WBRU主催のオールナイトのジャズ・ショウでDJをしていた二人、ベン・ミラー(Ben Miller) とジェフリー・プライストウスキー(Jeffrey Prystowsky)との出会いから始まっている。
大学時代、ベンとジェフリーの二人は、クラシックから,ジャズ、エレクトロニカまで、誘われるままいろんなセッションに参加して演奏していたが、共に行動するうち、二人のいちばん好きなものがフォーク・ミュージックと野球だということがわかり、2006年にThe Low Anthemを結成することになった。
2006年の秋にはヴァージニア出身のブルースマン、ダン・レフコウィッツ(Dan Lefkowitz)が新たなメンバーとなったが、2007年の初めに彼は求める音楽が違っていたのか、別の方向へと進み、代わって2007年の秋には、バンドの最初のアルバム『What The Crow Brings』のレコーディングに参加したことがきっかけとなって、同じブラウン大学出身のジョシー・アダムス(Jocie Adams)が、正式なバンド・メンバーとなった。ベンもジェフリーもジョシーも、ブラウン大学のクラシックの作曲クラスの仲間だった。
そのレコーディングは、ベンとジェフリーのアパートの部屋で何か月にもわたって行われ、完全な手作り、ジャケットもシルクスクリーンで、限定600枚のシリアル・ナンバーを手書きで書き込んだ、The Low Anthemのファースト・アルバム『What The Crow Brings』は、2007年10月2日に発売された。
このアルバムは地元の新聞、プロヴィデンス・フィーニックスで2008年のベスト・アルバムに選ばれただけでなく、さまざまなプレスやラジオなどでも評判となり、The Low Anthemの名前は、まずは地元のプロヴィデンス、それからアメリカ北東部のニューイングランド一帯、そして全米へと広く知れ渡って行くようになった。
2007年から2008年にかけての冬の季節、The Low Anthemは、ロード・アイランド州南部のジュディス岬からブロックアイランド海峡を挟んだところにあるブロック島に赴いてレコーディングを行い、2008年9月2日にセカンド・アルバムの『Oh My God, Charlie Darwin』がリリースされた。
このアルバムもまた完全自主制作、完全手作り、ジャケットもシルクスクリーン印刷でシリアル・ナンバーも手書きだったが、今回はその数字は限定600枚から限定2000枚へと飛躍的な増加となった。
セカンド・アルバムのリリースに合わせ、The Low Anthemは熱心にライブ活動を行うようになり、その中にはジョシュ・リッターやレイ・ラモンターニュの全米ツアーのオープニングも含まれていた(どちらもぼくの大好きなシンガー・ソングライターだ。まさに類は友を呼ぶ!)
ほどなくThe Low Anthemは、イギリスにも渡って演奏を行い、イギリス中でも最もアンテナの鋭いレコード・ショップ、ラフ・トレードが彼らを全面的に応援し、イギリスでも多くのファンを獲得するようになった。
そして2009年に入ると、『Oh MY God, Charlie Darwin』がアメリカはノンサッチから、イギリスはFleet FoxesやMidlakeやAndrew Birdといった素晴らしいアメリカのアーティストの「窓口」となっているベラ・ユニオンから、自主制作のものと内容を一切変えないという契約のもと、リリースし直されることが決まった。
しかも同じ年にThe Low Anthemは、オースティンのサウス・バイ・サウスウェスト、ボナルーやロラパルーザ、ニューボート・フォーク・フェスティバル、イギリスではグラストンバリーやハイド・パーク・コーリングなど、人気のフェスティバルの多くに出演し、それこそ「今最も注目すべきアメリカン・バンド」となっていたのだ。
それをメグに教えられるまで、まったく知らずにいただなんて、ほんとうに恥ずかしいかぎりだ。ぼくのアンテナは錆び付いてしまっていたのだろうか。アンテナと言えば、まったく関係がないが、ぼくはテレビもまだ地デジ化対応していない。実はするつもりもないのだが…。
2009年の秋のヨーロッパ・ツアーから、The Low Anthemには新たなメンバーが加わった。ヴァージニア出身で、バンドの古くからの友人にして、ブルックリンを本拠地とするフォーク・トリオ、Annie and The Beekeepersのメンバーだったマルチ・インストゥルメンタリストのマット・デヴィッドソン(Matt Davidson)だ。現在もこの四人で活躍しているということなので、メグが七月の終わりにブルックリン公園の野外コンサートで見たのも、きっとこの四人組だったに違いない。
四人はライブでは、さまざまな楽器を持ち替えて演奏し、中にはクロタル(調律されたシンバル)やミュージカル・ソウ(演奏用ののこぎり)といった珍しいものも登場するらしい。またブルースのカバーも飛び出すということだし、かつてのメンバーのダンが書いてバンドに残して行った曲「This God Damn House」の最後では、客席の全員に携帯電話のマナー・モードを切って、隣の人とかけ合うように促し、コオロギの鳴き声ような音を会場に響きわたらせるのが名物となっているようだ。ああ、早くThe Low Anthemのライブを見てみたい。
来年には新しいアルバムも登場して来るということで、その時にはThe Low Anthemの名前は、広く世界に轟きわたっているに違いなく、三枚目のアルバムの初回のプレス枚数も、もはや手書きでシリアル・ナンバーを書けるものではなくなっていることだろう。
The Low Anthemの曲の歌詞についてじっくりと触れることができなかったが、ベンとジェフリー、もしくはベンとジョシーとの共作によって書かれている曲の歌詞もほんとうに素敵なものばかりだ。恐らく歌詞はミラーが書いているのだと思う。
『Oh MY God, Charlie Darwin』の中で、とりわけぼくが好きな歌詞は、ベンとジョシーの共作のフォーク調の「(Don’t) Tremble」という曲だ。
「表示灯が消えても、おののいたりわめいたりしないで、そのうち火花が見えるから/家のまわりを風が吹き荒れても、身をよじったり叫んだりしないで、じっと待てばいいから/手に力が入らなくても、身震いしたり苦しんだりしないで、いつかその手で摑むことができるから/あなたの心を必要としてくれる人が誰もいなくても、あせったり立ちつくしたりしないで、だってぼくが待っているのだから」と歌われて行く歌詞に耳を傾けていると、ぼくは大好きな茨木のり子さんの詩の世界を思い浮かべてしまった。
ここでThe Low Anthemの歌詞をきちんと翻訳して載せられないのが、とても残念だ。「(Don’t)Tremble」だけでなく、彼らの歌の言葉はどの曲も心に染み込んで来る。
The Low Anthemのアルバムが、ちゃんと訳詞もつけられて、早く日本に紹介されることを願わずにはいられない。
中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。
中川五郎HP
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