あの頃に戻れれば・・・終わった話のはずなのに。
こんばんは。ゴリィです。片耳のオルゴールアーティストをしたり、防災士をしたり、色とメンタルヘルスの知識でこころの健康に取り組んだりしています。活動ブランドが「轟RADIO」です。
さて、今回はその「片耳」の話。それで生きることにこころが折れ欠けています。
左から声をかけられるのに疲れる
原因は大きく分けて2つ。
まず、「左側から声をかけられる」のが最近多いこと。僕は夜ちょっと遊びに出かけるのですが、そのお店で最近ちょいちょい声をかけられるようになりました。
大抵、「左」から声をかけられます。聴こえないほうの耳ね。で、イヤホンで音楽を聴いているのですが(スピーカーで聴いたときとの音の聴こえの違いには慣れましたので、イヤホンで音楽も聴けるようになりました)、わざわざ右のイヤホンを外し、180℃体をねじって会話するのですが・・・。
同じ人に何度もそれをすると、「いい加減気付けや!」とキレそうになります。そんな誰かも分からない人間に「左耳聴こえないんですよ」というのはやっぱり嫌です。
コンビニの新人店員の声が小さすぎる
毎日2~3回行く近所のコンビニがあります。昼間は客も多く、騒がしいのでどの店員が言った言葉か分からないことがあります(特に自分の右の右のレジも接客中の場合は、右の店員さんの声が聴こえてきます)。そんなときは、それに答えてしまうこともあります。
これは、仕方のないことだと思って割り切っています。3台稼働しているレジの一番右を常に使うなんてできませんし。
ただ、問題は深夜。日付が変わるころ何か買いに行くと新人の店員がいて、とにかく声が小さくて右耳を傾けて聴かないと何を言っているのか分からないのです。
割り切るしかないのは分かっているが
左から話しかけてくる人にしても、声の小さい新人店員君にしても、僕の左耳が聴こえないのは知らないわけで、これは仕方のないことだ、と頭では理解しています。
しかし、「こころ」では「片耳であることに嫌気」が差しています。「深層心理」がどう思っているかは深層心理なので分かりませんが、少なくとも「もう左耳は諦めるしかない」と合理的に考えている「あたま」と「左耳が聴こえないことにいら立っている」ズレが生じている状態では、ストレスなことこの上ないのです。
今は、「両耳が聴こえた頃に戻りたい」が勝っている状態です。
「補聴器」を調べてみた
「あたま」も聴力を取り戻したいという考えになったので、冷静になり「補聴器」について調べてみました。
効果があるのならもちろん着けたいです。
音は空気の振動です。補聴器はその空気の振動を増幅して聴こえづらいのを補うものです。
僕の左耳はどんなに大きい音(空気の振動)を耳が受け取っても、それを音に変換する機能がやられているので、効果はないそうです。そもそも、効果があるんだったら「聴力が戻らない」と確定診断された段階で医者に勧められますよね。
そこで、「諦めるしかない」と考える「あたま」と「両耳が聴こえる頃に戻りたい」の葛藤がはじまり、うつ症状が増しています。
まとめ:こころが健康じゃないから
難聴をお持ちの方にとって僕がこんなことを思うのは大変失礼かもしれませんが、今は軽く「希死念慮」(ここは敢えて難しい言葉で表現します)が出ています。
突発性難聴を発症してから、特に「聴こえない」が確定したときから何度も「希死念慮」はありました。それでも、約1年かけて「左耳が聴こえない」ことは受け入れました。だから、そこから約1年特にこの件に触れることはなく生活できました。
でも、今はこころが健康状態じゃありません。昨年5月の「悪意」から端を発した「適応障害」らしきものに「地震恐怖症」が加わり、精神的に不安定だから、こころが揺れやすくなっているんだろう、と思います。
(と、「あたま」では理解しています)。
「両耳が聴こえていた頃に戻りたい」
これは、数日で消えるとは思いますが、消えるまでの数日間はとても辛いと思います。
でも、ホンネを言えばやっぱり両耳聴こえた方がいいですよ。
・・・「轟RADIO」の「こころいろ」のコーナーでは、闘病記をはじめ、「こころの健康」に関する情報、「色」を「こころの健康」に活かす情報をお届(トド)けしています。今はこころがこういう状態なので色のほうはお休みしています。
というわけで、最後に今日のオルゴールです。
「奇形蝶」岩船ひろき(※インディーズ楽曲につき本人許可を得て制作)
それでは、今回も最後までご覧くださりありがとうございました。
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