仙台を「終の住処」と決めた以上、地震が多いことは覚悟する
こんばんは。絶賛地震疲れでうつ気味のゴリィです。防災士なのにね。
今回はタイトルが長いですが、「仙台」という街で命を終えるまで暮らそうと思った経緯と、その上で必要な「覚悟」についてです。
何故、岩手の実家に帰らないのか?
2014年、激しいうつ状態を回復させるため1年間の休職を取ることにしました。会社からの指示は「実家(岩手県一関市)に帰れ」だったのですが、次の理由で「仙台」にひとり暮らしすることを許可してもらいました。
①仙台市では受けられる医療費助成が一関市では受けられない
②兄ががん闘病中で、実家がワチャワチャしていたので実家に帰ると休息にならない
③なかなかいい病院にかかれない
そんなわけで、「月に最低一度は実家に帰る」ことを条件に仙台で独り暮らしを許可してもらいました。
ただ、これは表向きの理由。「医療費助成」はそのままですが、実際はこうです。
①兄があと何年生きられるか分からないが、兄一家の生活の邪魔をしたくなかった
②自分の移動手段が原付のみで、自由が利かない(一関市中心部に出るには山をひとつ越えないといけないくらい田舎w)
兄は2014年8月に天国に旅立ちました。それでも、義理の姉(別に仲が悪いわけではない)と甥の家族生活を邪魔したくなかったので、引き続き月命日あたりに実家に帰るだけで、仙台暮らしを続けました。
復職が叶わず、仙台で生涯を終えることに
復職できれば、名古屋なのかどこなのかはわかりませんがまた別の街に行くことになったでしょうが、復職は叶いませんでした。そのかわり、「障害者雇用」枠(契約社員)でテレワークになりました。
仙台から別の街に移り住むことは考えませんでした。すでに主治医も決まっているので病院を変えるのが面倒(ちなみに引越し後も原付で20分かけて前に住んでいたところのかかりつけ医に通ってます)、とかいろいろありましたが、なにより仙台という街が好きなんですよね。
都会でありながら、どこか田舎っぽいところもある。自然が近い、とか。
ただ、足が悪くなってきて、前住んでいたところの急坂を上るのがキツくなり、原付でない場合はタクシー移動が増えました。お金がもったいないのでタクシー代を家賃に回し駅前に住もうということで今の集合住宅に住んでいます。地下鉄もすぐ、JR駅もすぐ、その前にはバス停と行き先に応じて3択で選べます。
築40年近い集合住宅なのでいつまで住めるか分かりませんが、建っているうちは動かないつもりです。
「宮城県沖地震」の存在
2014年に引っ越してから2020年までの間は、大きい地震でも震度4が最高で、しかも年に1回あるかないかだったので、あまり「地震」に脅威は感じていませんでした。
ちなみに人生で2020年までで一番体感した強い揺れは2005年の「宮城県沖地震」に実家に帰省中に遭ったときの実家で「震度5弱」。
ただ、1978年の「宮城県沖地震」は2歳半のときに経験し、そのときの光景はハッキリ覚えています(多分トラウマ)が、そちらのほうが強かったかもしれません。しかも「旧耐震」の家屋の被害を目にしたので。
「宮城県沖地震」が定期的に起きるのは分かっていましたので、防災士になる前から寝床には何も落ちてこないようにする、という対策は取ってきました。これは最初のアパートでも今の集合住宅でも。
・・・しかし、想像の上をいく事態が起きました。
2021年の福島沖の地震・宮城県沖の地震
今の集合住宅に引っ越したあと、何度か小さい地震がありましたが、発表される震度より1段階くらい強く揺れたように感じていました。そもそもわりと高い階に住んでいるので揺れやすいのが理由だと思っていました。
それだけではなく、ある時調べたら、「固い地盤」と「軟弱地盤」の境目で、どうやら道路を挟んでウチの集合住宅のあたりから「軟弱地盤」になっているようでした。
※国土地理院のホームページで調べられたと思います。
どうやら「高い階」「軟弱地盤」の2つの要素が重なり「震度+1」の揺れが起きていると思われます。
そして、2021年2月13日、福島県沖の地震。
仙台市青葉区の発表震度は「震度5強」でしたので、おそらくウチの部屋は「震度6弱」程度揺れた可能性があります。人生で経験したことのない揺れ(「震度5強」でも経験してないけど)。たまたまベッドにいましたが、恐怖で何もできませんでした。しばらく何をどうしていいか分からない状態。
この地震では本棚の上のほうの本は全て落ち、衣装ケースは倒れるんじゃないかというほど揺さぶられ、その上に重ねていた衣装ケースは飛びそうになって本棚にぶつかって真下に落ちました。パソコンのモニタやテレビも大きく揺さぶられ、テレビも後ろ向きに倒れました。キッチンから玄関までもメチャクチャ。
幸い停電しませんでしたが、しばらく呆然としたあと、また落ちてもケガの可能性が低いものだけ元に戻し、靴を持って部屋に戻りました。
その後、「余震」のあるたびに心身ともにどっと疲れが来て、だんだん仕事を欠勤するようになるなど影響が出てきました。僕は「地震うつ」と名付けていますが、当初は理由が分かりませんでした。
さらに、2021年3月20日、宮城県沖「の」地震。
このときはパソコンデスクにいましたが、緊急地震速報が鳴ってすぐにベッドに移動(1歩で行ける)し、姿勢を低くして身構えました。周囲を見回すと前回ほどではないが、やはり色々なものが揺さぶられていましたが、パソコンデスクの上段の紙類が落ちた以外は特に何もなし。
このときの発表震度は「震度5弱」。よって部屋は「震度5強」程度揺れたようです。特に被害はなかったのですが、どっと疲れが来てその後数日欠勤しました。これで、「地震うつ」と気づいたわけです。
ちなみに、2021年5月1日の宮城県沖の地震での「震度5弱」は、家ではない場所(パチ屋さん)にいたので「ビックリしたぁ」程度で済みました(余談ですがパチ屋さんでは緊急地震速報は聞こえません)。
2022年3月16日、再び福島県沖の地震
そして先日、再び福島県沖(しかも震源の場所も規模もほぼ一緒)で地震が起きました。そのときはパソコンデスクにいました。最初、22時24分にパソコンの緊急地震速報が起動し、「予想震度3」だったのでパソコンデスクにとどまりました(余談ですがパソコンデスクの上段にプリンタがいますが耐震マットを施しているのでビクともしません)。
「揺れがおさまってきたかな?」というときに再び揺れが大きくなり始め、体感的に最初より大きいと分かったのですぐにベッドに移動しました。2度目の緊急地震速報はベッドに移動している間に起動しました。
前回ほどではありませんでしたが、一瞬停電もしましたしパソコンのモニタが倒れました(壊れはしませんでしたが)。幸い停電は一瞬で、割れるものや危険なものも落ちていなかった(どうでもいいものはバサバサ落ちてました)ので、まずは玄関に向かい、部屋とキッチンの間の扉と玄関扉が正常に開くことを確認し、外の様子を確認した後外履きを持って部屋に戻りました。
津波注意報が出て(内陸なので影響はないが)、余震も多く発生してやはり精神をすり減らしました。次の日は欠勤。
ただ、「これでいいのか?」と思い始めました
仙台に住むなら、地震に襲われることは覚悟する
で、地震が落ち着いている時間に「これは覚悟をする」と腹をくくることが必要だな、と思いました。
「宮城県沖地震」はだいたい30年に1回の割合で起きるとされていますが、その周囲も含め同じ程度の規模の地震は15年~17年に1回起こるといわれています。
それに、福島沖や岩手沖(南部のほうね)で起きる地震も考えるともっと頻度は高いうえ、東日本大震災以来地震活動は活発な状態が続いているので、その頻度はもっと高いのではないか、と考えています。
防災士で得た知識から「備え」はほぼ大丈夫(「在宅避難」の前提で)。そして古いとはいえ鉄筋の新耐震基準の建物なので、倒壊する可能性はきわめて低い。
特段、必要以上に恐れる要素はないのです。自信を持って「ウチは大丈夫ですから」と言っても問題のないレベル。
あとは「2歳半の記憶」との向き合い方。あのときの光景は「旧耐震の建物が立ち並ぶ街並で、人々が悲鳴をあげながら外に出てきたことでの恐怖の増幅」であり、今実際にその街並はほとんどの建物が建て替わっていて、さまざまな教訓から「外に逃げることは逆に危険」ということも知られるようになってきています。
当時の震度がどの程度か分かりませんが、今同じ震度の地震が起きたとしても同じ光景をみることはないのです。つまり、あれは過去のもの。
そう思い、「地震が多くても仙台で生涯を終える」という思いを新たにしました。
・・・とこれを書いている間にも地震(;´Д`)。疲れますね。
まとめ
仙台が「地震の多さ」であるように、どの街にも「その街によくあるリスク」というのはあると思います。頻度は別にして「地震」はどこに住んでいてもリスクといえばリスクなのですが。
「その街によくあるリスク」にはインフラ整備としてのそれなりの「対策」がなされていることがあります。ただ、それに頼ることだけでなく、自分の住む街のリスクを知り、それに対した適切な備えをすることで、街のリスクと向き合って生活することができるようになります。
さまざまな自然現象があり、災害を引き起こすのはどうしても起こってしまいます。そして、その自然現象や災害を体験すると、恐怖心を抱いてしまうのは人間として当たり前のことです。
その恐怖心を引きずらないようにするためにも、正しく備える(備え方は各自異なります)ことが重要です。僕の場合は「備える」の中に「過去の記憶を消化する」が入っていました。
これが、ここ2年の大きな地震に遭って自分自身で得た知見でした。
僕は、仙台で生涯を終えます。
「トドろき防災」では防災に関する知識、難しい防災の世界をできるだけわかりやすく紹介しています。「あなたに防災を届(トド)ける」ことができますように。
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