「心配」するとこころが「濁る」
こんばんは。カラーセラピストのゴリィです。カラーセラピストでもありますが、メンタルヘルス・マネジメント(セルフケア)の認定試験にも合格し、現在この両方の知識を組み合わせたことを考えています。
はじめましての方向けには、他に防災士として防災の普及活動、作詞作曲して歌ってみたり、オルゴールアレンジを請け負ってみたり、クイズサイトの運営もしているよく分からない人です(笑)。
さて、今回は「心配」をすると「こころが濁る」という話。いったい、どういうことか説明します。
「意識」と「無意識」
「こころ」は自分が認識している「意識」の部分と、自分でも気づいていない「無意識」の部分があります。もっというと、「無意識」とはまた別に「魂」というとても純粋な部分があります。
自分が本当はこうありたい、こう望んでいる、という部分は得てして「無意識」や「魂」にあることが多く、「魂」や「無意識」が知らない間に「意識」にプラスの影響を与えている状態になります。
また、外から受ける刺激は直接「無意識」や「魂」に届くことがあります。「芸術」や「エンタメ」の分野がそうですね。「音楽」を例にとると、自分の好きな音楽を聴いていて感動したりするのは、その「音」や「歌詞」なんかを光に例えると、その「光」が「意識」を通り「無意識」や「魂」に届くためです。
こころに響く言葉が日によって違うのは?
こういうことはありませんか?
好きな音楽を聴いていて、同じ曲でも日によってこころが揺さぶられる部分が違う、という経験。たいてい、なぜかは分からないと思います。
これがまさに「無意識」が自分の気付かないところで日によって変化しているためで、そこから「本当の自分の気持ち」を知ることができたりします。ちなみに、「魂」はもっと純粋なもので日によってそこまでそこまで変わらないと僕は考えています。
実は「色」も同じように日によって受け取るメッセージが異なったりして、無意識にある「本当の自分の気持ち」に気付くきっかけになったりします。いずれ、サイトで紹介したいと思います。
不安は「意識」を濁す
さて、「不安」や「悲しみ」などのマイナスの感情はどうしても起きてしまいます。だって、にんげんだもの(みつを。)
「不安」は「自分の身を守れ」、「悲しみ」は「今は自分を癒せ」というちゃんとした意味があります。感情は「意識」の部分で起こります。マイナスの感情もこういった意味があるので、それはそれで大切にするのは自然なことです。
「悲しみ」は「癒す」ことを意味するのでいずれ消えていきます。ただ、「不安」はそのままでは終わらないことには注意が必要です。時間が経てば「不安」が消えるということはなく、むしろ「増大」していくのです。
「不安」は気持ちを重くしますね。「不安」を抱えたままでいると「意識が濁る」ようになります。「不安」が強ければ強いほどその濁りはその度合いを増していきます。
「濁り」が増すとどうなるか。
「無意識」や「魂」に光が届かなくなります。音楽を聴いてもまったく響かなくなります。また、信頼している仲間の言葉も届かなくなります。
つまり、「本当の自分の気持ち」に気付くきっかけを少なくしたり、場合によっては失ったりします。そうなると、「無意識」や「魂」と「意識」はどんどんかけ離れていきます。さらに「不安」を増す悪循環になるのです。本来そういう意味ではない、さまざまな情報を「マイナス」に捉えるようにもなります。
これが「うつ病」などの精神疾患の原因になったり、「不安」から来る攻撃性から誰かを攻撃し、誰かを傷つけることになります。こういうときに誰かを傷つけることは自分では気づかないもので、取り返しのつかないことになりかねません。
「不安」をなくすには?
では、不安をなくすにはどうしたらいいでしょう?
答えは「早いうちに『大丈夫』と思う(安心する)こと」です。「怒り」も「不安」から来るものなのでそれを含めて話すと、初期は「怒っている相手」「不安に思っていること」、そして何よりも「その理由」があると思います。これは無意識に眠っていることもあります。
まず、「この不安は自分の人生にどれだけ重要なのか?」と問いかけてみるといいでしょう。これは「無意識」との「対話」になると思います。濁りが少なければ、きっと「無意識」から答えが返ってきます。「たいして重要じゃない」と思ったらそんな不安は捨てちゃっていいのです。
もうひとつ、「不安」の理由には根拠がない自分の「妄想」なので、冷静に考え直してみることで「自分の妄想なだけで、多分大丈夫だろう」と思えると思います。これは人生の重要な部分でもいえることです。
さらに「単純に考えてみる」こと。例えば、借金を抱えてしまった場合。シンプルに「返せばいいんだよね」と思うこと。もうひとつ、「Aさんが嫌いで自分に危害が与えられるかも」と思ったら、「Aさんとはできるだけ距離を置けば(可能ならば無視すりゃ)いいんだよね」と思うとか。
それで、「大丈夫」と思えれば「安心」が手に入り、こころが澄んでいきます。
安心を確実なものにするために
「不安」も大概「根拠がない」ものなので、別に「安心」だって「根拠がない」もので全然かまいません。
ただ、「根拠がない」と「安心」は揺らぎやすいもの。なので、「安心」な状態にするための「具体性」(まあこれが根拠ですね)を持たせてみましょう。
例えば、上述の「借金」。お金の動きを把握し、毎月の返済額を確認する。どうしてもダメなら専門家(弁護士)に相談すればいいのです。専門家ですから、ベストと言わないまでもより良い解決方法を提案してくれます。それに従えばいい方向に向かいます。
自分の将来に不安を感じるなら、将来設計を考えてみる。これも別にザックリでいいのです。必要ならフィナンシャルプランナーや生命保険の方などにアドバイスを求めてもいいでしょう。親友でもいいと思います。
人との関係に不安なら、誰かにそれを打ち明けてみましょう。あなたを理解してくれている人なら、いいアドバイスをくれるでしょう。
共通しているのは、誰かの力を借りてでも「自分がどうありたいのか、どうしたいのか」を明確に決めることです。自分のありようが決まれば、「判断基準」ができるので、今後も襲われるだろう「不安」に対し対応のしかたもはっきりするので、「安心」が確実なものになります。
但し、あまり「自分がこうありたい」にこだわり過ぎるとそれが問題を起こしたりする原因になりますので、「登山でルートが変わっても最終的に山頂に着けばいいや」くらいの柔軟な発想は捨てないでくださいね。
まとめ
「自分がこうありたい」という思いを抱くことは「魂」の部分になります(こだわり過ぎると純粋じゃなくなるので魂から抜けてしまいます)。
「不安」や「敵意」(嫌い=不安から来るもの)を一瞬持っているのは人間のはたらきですから、これ自体は問題ないのです。
それを感じたときに、「自分はこうありたい」に問いかけて、「捨て去ってもいい不安(=自分のありようとさして関係のない不安)はさっさと捨てる」「誰かの力を借りてでもひとまず安心する」ということを早い段階で対策をとって、不安を捨て去り安心することが重要です。
「不安」を捨て去り「安心」を手に入れるにはなにかしらの行動(こころの中で何かを決めることも含め)が必要です。そうしないと、自分を見失ってしまいます(これが「こころが濁る」)。
「気の持ちよう」なんて軽いことは言いません。自分がどうありたいのか、どうしたいのか自分に問いかけることが重要です。他人の行動や周囲の環境を自分の思う通りに変えることはできません。
すべて、自分がどう捉えればいいか、どう行動すればいいのか、「魂」に問いかけてみてください。その中で、眠っていた無意識が助けてくれるかもしれませんよ。
今回も最後までご覧くださいましてありがとうございました。
轟RADIO「こころいろ」
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