怒りと違和感について
「人は人と関わることで"違い"を感じるが、一体であることが心地いいと思っている私たちはそれをフラストレーションに感じる。」という話を聞いて
これまで自分の生きづらさは、すごく複雑な問題があるように思えて、たくさんのトラウマがあるように感じ、どこまで癒していかないといけなんだろうかって、呆然としてしまっていたのだけど
「そのフラストレーションの取り扱い方なんだ」、ということを聞いて、フラストレーション自体はものすごく嫌で苦しく感じるけれど、シンプルなようにも思えて、それはすごく安心したようにも思う。
シンプルに思えたというのはどうしてかというと、あれもこれもとか、子供のことの記憶がとか、前世がとか、そういうことはきりがなくて、実際そうやったところで、へんな自己憐憫が始まるだけだったりする。
そうではなくて「今ここで感じる違和感を大切にしてみるだけ」ということを丁寧に日々やっていけば、その違和感から自分という存在を知ることができて、そうしていれば自ずと癒やされるものは勝手に癒やされていくんじゃないかって思えたことに、安心したのだ。
一体を感じているか、分離(フラストレーション・違和感)を感じているかというシンプルなことが日々の暮らしの中で繰り返されていて、かつ一体になる為に〜とかでもなく、そのフラストレーションを自分を知るために使っていく。
なぜそう感じるのか、どうしたいのか、それを問うことで唯一無二の他の誰でも無い「自分」に出逢っていける。それがシンプルで安心するし、慣れないことだけど、自分に出逢い続けていきたい。
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