フラストレーションをなぜ悪者にしたのか
1つの前の記事を書いたら「なぜフラストレーションを悪者にしたんだろう」という気持ちが湧いてきた。だから少し、これまでを振り返ってみる。
小さなころ
思えば、小学校に上がる前や本当に小さな頃は、今で言うと虐待と言われるようなことがあった。ご飯を食べていると、突如バシッと殴られて床に突き落とされる。引き摺られて庭に放り出される。泣いても泣いても泣いても、中に入れてもらえない。
母の怒りが怖かったし、そうされないように一挙手一投足を敏感に感じ取っては、それが起こらないように起こらないようにと全エネルギーを使っていたように思う。
3歳の頃には急性虫垂炎で手遅れ一歩手前に。もうこんな世界にはいたくないっていう思いの現れだったのか、入院すれば優しくされると思ったのかわからないけれど、もうその時には抑えに抑えこんだ自分が暴れていた。
母の怒る姿が嫌だった、笑っていて欲しかった。安心してそこにいたかった。怒りというのが恐怖だったし、すごく嫌なものとして記憶されていた。
フラストレーションを放出させていた頃 - 中学
小さなころの話を書いてみたけれど、その後の小学校、中学校、高校と、今ほど生きづらくはなかったような気がする。
母に対しては自信を失っていた自分も、学校では思ったことは口にして、仲間はずれにされれば首謀者の子に直接談判しにいってみたり。身体も早々にでかく成長して、リーダータイプ、男勝りで勝ち気だった。
負けることが許せない、曲がったこと理不尽なことが嫌い、闘志をむき出しにしていたし、運動や音楽の部活にエネルギーをぶつけにぶつけてやっていた。
地元の先輩から「中学に来たらいじめてやるから!」と道で言われたのは6年生の夏休み前。「あんなくだらないやつにいじめられてたまるかよ!」って、すぐさま、ずっと母には断り続けていた私学受験をその日に自分で懇願した。
私学受験する子は4年生頃から受験コースに通って勉強を重ねている。受験まで、あと半年あるか無いかってところで突然飛び込んだ自分は、朝起きてから寝るまでずっとずっとずっと机に座り続けて勉強し続けた。
そうして、地元では名門と言われるような女子校に入学する。入学して最初のテストでは学年で7位。それほどまで勉強していた。
その後中学3年間はほぼ勉強はせずに、テニス部に入学し没頭。テニスも全国大会常連校だったので、エリートが普通に推薦で入ってくる。朝練、昼練、部活、その後はテニススクールと、テニス生活に。結局レギュラーになり、キャプテンになる。
テニスでは褒められても、勉強しないということが母の怒りをかって、とにかく喧嘩がひどかったのが中学の頃。でも相手は手を出してきても、私が母に手を出したことはない。
フラストレーションを放出させていた頃 - 高校
そんな中学時代の終わり頃にとあるきっかけがあって、私は歌手になりたいという夢で心の中がいっぱいになる。テニスでもすでにたくさんの期待がかかっていた頃だったけど、「これだ!」と思うともうそれしか見えなくなる。
「今からやっておかないともう遅い位だ」と思っていた私は、地元を出て上京してレッスンを受けたいと両親に願い出てみる。しかし、「いい大学にいくことが娘の幸せ」という価値観の母には理解してもらえず、大学までいくために私学受験したのにという理由で、一切認めてもらえなかった。
あまりに爆発的な思いだったから、それは出来ないと思うと気持ちのやり場が無くなって自暴自棄になった。母とも喧嘩を繰り返して、テニスもやめて、クラブ通い、家出、恋愛に走るなどなど、刃物むき出しで生きていたような時代。
それでも学校では3年間ずっとクラス委員をやっていて、遊び呆けて素行も悪く勉強もほぼしない。そんなクラス委員いるかなって感じだけどやっていた。
型にはめられたようなつまらないホームルームの時間に違和感を覚えて、イヤイヤ多数決や話し合いに参加して〜みたいなつまらない時間じゃなく、生き生きしたものに!と改革していった。笑いが生まれて、楽しそうにみんながホームルームに参加する。楽しいからノリが出てくる、いい案が出てくる。
死んでいたホームルームが息を吹き替えしたように感じて嬉しくなったけど、女子校の古い伝統を重んじるような担任だったから、ものすごく衝突した。「先生は何を大事にしたいの!みんなが形だけ参加したらいいの!?それよりも大事なのは心なんじゃないの!!」て訴えた。
困惑する先生と何度も1対1で話して話して、ちゃんと言いたいことが言えていた自分は、先生との関係はずっと悪いままじゃなかった。
フラストレーションの行き先がわかならくなる - その後
大学まで進んで欲しかった母とは衝突したままだったけど、高校3年間は我慢したんだからっていうことで、なかば納得してもらえないまま無理矢理上京した。
ようやく歌が歌える!と思ったし、きっとそこで爆発的なエネルギーを歌に注ぐことができたらバランスを取れたのかもしれないけれど、
そこからは、まだ自分が何を歌いたいのかなんていう軸も無いままに歌の仕事をはじめてしまって、自信もまったく無くて、周りの期待に答えようとしすぎて、数年で鬱状態になって歌をやめるしかなくなってしまった。
外に出せなくなったエネルギーは、自分を攻撃しはじめる。毎日毎日自分を責めて、毎日毎日布団にうずくまってという日々が続く。
その後は、宗教に没頭しては、すごいスピードで重要な役割を担うところにいってしまい夜逃げ、カフェを開業したものの離婚してそこから逃げる、スピリチュアルなコミュニティにエネルギーを注いでは、抜けるという繰り返し。
これだ!と決めた時のエネルギーは半端ないのだけれど、やったらやったで人の期待に応えようすることにエネルギーを使って疲弊してしまい、やめたらやめたでエネルギーの行き場をなくして鬱っぽくなるという繰り返しだった。
フラストレーション=生きづらさだと思っていた
こうして書いていくと、やっぱり自分の爆発的なエネルギーとどう付き合っていいのかわからずに、翻弄されてしまったことで、「フラストレーションや自分の爆発的なエネルギー=生きづらさ=悪者」みたいな印象になってしまっていた。
だから何かに没頭することも自体が怖いなって思ったりしていたのだけど、こうして人生を書いて書いて書いて、よくよく見てみると、
爆発的なエネルギーが生きづらさの原因なのではなくて、爆発的なエネルギーを「人に認められたいという方向に使っているから疲弊していく」のだなと、今はっきり感じた。
無意識の中でべったりくっついてしまっていた「爆発的なエネルギーと生きづらさ」が、ちゃんと離れて分解されていくような感じ。
分解: 爆発的なエネルギーは「生きる力」で、 生きづらさは「いい人」をやっているから
爆発的なエネルギーは、ただ爆発的なエネルギーなだけであって、極端な人生を読み返していると、それは「生きる力、エネルギー」なんだと感じた。
そして、生きづらさは、そのエネルギーの強さ分極端に出やすいというだけで、ただただ「人の顔色をうかがうこと」「いい人をやろうとすること」が生きづらさの原因なんだなと思えた。
いい人じゃなくてもいい、嫌われてもいい。フラストレーションを感じるのは、悪いことではなくて自分を知る道標なんだ。そう思えたら、爆発的なエネルギーをどこに使うかなんだなって思える。
それを今、感じられただけで、なんか無意識に悪いと思っていたものが、悪いものじゃないと思えただけで、安心する。