寂しさと向き合う
「寂しい」と口に出したことは、今までにほとんどなかったように思う。誰に、どんなふうに伝えれば良いのか分からないから。伝えたとして、その寂しさがどうなるわけでもないから。
夜中に狭い部屋で息を潜めていると、「寂しさ」がくっきり形になって浮かび上がる。最近理解し始めた、寂しさは解決するものじゃない、向き合うものだ。
便利な世の中だから、インターネットで検索をすれば寂しがっている人なんてそこらじゅうにいる。寂しさとの向き合い方なんて記事、先人がごまんと書いている。生まれてから死ぬまで寂しがっている人間が、正常に生きている。私もそうだ。きっと。
生活をしていると、自分は「ひとり」だと痛く感じることがある。物理的にも、社会的にも。実際は一人ぼっちじゃないとどこかでわかっているはずなのに、突如あらわれる寂しさはスコップで心臓を掘られているような痛みを連れてくる。
スーパーでキャベツを丸ごと一玉買うのをためらってしまったこと。朝飲んだコーヒーのマグカップが、仕事から帰ってきてもそのままシンクに残っていること。【自治会員以外のゴミ出しは禁止】の貼り紙。長く一緒にいた人は私のこの先の人生から消えたのに、もらった口紅はポーチの中でいつでもスタンバイしている。友人から送られてきた本をめくって眺めてみる。私の好きなところを書いてくれた手紙が栞なんて最高。毎日何回と行う、非接触体温計を相手のおでこに近づける一瞬の動作がこわい。相手に銃口を向けている罪悪感に駆られるから、無意味に空いた方の手を体温計に添えてみる。届いた殺風景な郵便物。確かに私宛なのに、表情のない文字で印字された自分の名前が他人のもののように思える。もうこの先会うことはない人が多過ぎるように感じてしまうけれど、顔も名前も忘れる予定だからきっと大丈夫。これから出会う人の方が多いこと、実は知っている。いつ誰と出会うか分からないから、今は少なく感じるだけ。予定は未定。未来は遠くて近い。明日にでも、思い出したように出会ってみない?
寂しさを乗り越えなくていい、寂しさと一緒に生きていけばいいだけだから。好きと言われたら混乱するよ。私はコーヒーをやめられないから、あなたの喫煙所の回数のこと何も言わない。間接キスは数時間後に発覚する。ブラックミンティアを数粒口に放り込んでマスクを装着すると目がすーすーしてしんどい。無理して一緒にはしゃいでくれてありがとう。誠意を見せられない時もあるよ、案の定許されなかったけれど、まあそれはそれで良かった。本当はギリギリなのに大丈夫ですと言った。弱いところや汚いところは言えなかった。やっぱり相手に全体重を預けるような信用の仕方は自分には難易度が高い。おはようとおやすみを繰り返して、でもずっと地球上。また朝が始まる。今日は日曜日、ペットボトルの収集日だけど、今日は出さなくていいや、私自治会に入ってないしな、そんな適当な言い訳でもして、そろそろおやすみ。
#チーム午前二時 、12月13日
チーム午前二時:2020年12月3日、夜中に思いつきで突如発足。部員一人。夜中に起きている人は誰でも入部可能。フィクションもノンフィクションも雑談も日記もハッピーもネガティブも全部。内容も設定もブレブレ。クリスマス付近までは毎日投稿の予定。あくまでも予定。
ゆっくりしていってね