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アバウト・ミー

ずっと漠然と仕事を辞めたいと考え続けていた。その気持ちは日に日に強くなっていく。今の状況に不満があるというわけではない。働くことは楽しい。周囲の人は優しくて心強くてとても良くしてくれる。でも、毎日「私には向いていない」と思う。無理をしすぎて正常な判断ができなくなっているという自覚がある。幸せだけど、楽しいけれど、ヘラヘラしているけれど、限界が近い。

なんでもやりすぎてしまうところがある。セーブをすることとサボることは別物なのに、頑張らないと罪悪感を覚えてしまう。やれるか不安だな、という気持ちを持ちながらもボロボロになりながらなんとかやれてしまう。その中途半端な成功体験が私をより中途半端にしている。私の手には負えませんでした、私には無理でした、そう諦められればもっと楽だろうと思う。でも残念ながら私は諦めも悪い女だ。

たまにとても怖くなる。このまま進んで何があるのだろう。時間も体力も心も有限だ。辛さと楽しさ、重さと感謝、安寧と安定、天秤にかけてゆらゆらゆらゆら揺れる。気づいている。仕事が悪いんじゃない、自分の立ち回りが下手なだけ。きっともっと上手くやれれば楽になる。力を抜いていい部分もたくさんある。体の不調も心のグラつきも、きっと自分が上手くやれなかった結果なのだ。無理なものは無理と割り切って働くことができればよかったのだ。

性格で仕事をしてはいけないとわかっている。仕事用の人格でいる時間が多すぎて、もう本来の自分の考えていることもあまりわからない。昔のような文も書けない。自分の意思がない。強い感情もない。面白味もない。ロボットみたい。

婚活アプリで知り合った人と結婚して幸せそうに笑っていた友人と会った数日後に、婚活アプリをインストールしてみた。登録の途中でとても虚しくなった。自分のことがまるでわからないのだ。どんな性格?趣味は?PRできることは?休日は何してる?将来の希望は?どんな人がタイプ?そんな自己紹介のページをまともにつくることができない。【必須】と書かれている部分をデフォルトの文体で埋めてみたものの出来上がったプロフィールはなんていうか超最悪だった。私だったらこんな人と出会いたくない。出会ったとしても仲良くしようとはならない。一から出直せ、顔の見えない誰かにそう鼻で笑われた気分だった。婚活アプリなんてする前に自分をちゃんと捉えろ。自分の価値を自分で見出せ。お前にはまだ早い。

インストールして一時間もたたないうちにアプリは消した。第一、口では結婚したいと言いながらもよく考えてみれば別に結婚したくもない。あー、私、この調子だと来年も再来年も十年後もこのままだなと思った。

今の変わらない日々は愛しくて安心で物足りなくてサイコーだ。でも、つまらない。ずっと幸せに生きてきたから、そう感じるのはただの我儘かもしれないし、無いものねだりかもしれない。それでも、この漠然とした不安と自分がなくなっていく感覚が消えない。

仕事を辞めたいという気持ちは消えないけれど、結論から言えば、私はただ転職をしたいのではないということには気づいている。「向いていない」という感覚は、幼い頃からずっとある。学校でもバイトでもなんでも、私はいつもふらふらふわふわしていた。いつまでも地に足がつかない。でもその中で生きていかなければならないと、多分社会人になってから気を張りすぎてきた。少しペースを緩めたい。仕事から離れて深呼吸をしたい。長いことたくさんの人たちに支えられてきた。いくら感謝しても足りないくらいだ。だからそれを返したいと思っていた。楽しかった。やりがいもあった。ワクワクもした。幸せな瞬間もあった。達成感もあった。だけどその分、眠れない夜もあった。帰宅しながら何度もボロボロ泣いた。悪夢もみた。胃腸は数え切れないくらい壊した。生理が止まったことも、耳が聞こえづらくなったこともあった。

しあわせって、誰が決めるのだろう。

何かを手に入れれば何かを失う。それは当たり前のことだ。私は強い自分が好き。頑張る自分が好き。だけど無理をしすぎて勝手に自滅してボロボロになる自分のことはかなりダサくて嫌いだなと思う。私はどういう生き方をしたいのだろう。一番に大事なものは何なのだろう。それが今、何もわからなくなってしまっている。

私が抱えていた「仕事をやめたい」の根源は、自分という人間がわからなくなっていて不安だという気持ちだと思う。自分を大切に。言うのは簡単だけど実行するのは難しい。




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