【独自】コロナ禍で生活は変わったか-取材するほどでもない暮らし-
「先週、突然画面が真っ暗になって、そこからうんともすんとも言わなくなっちゃいました」
壊れたノートパソコンを前にして、会社員のOさん(女性・27歳)は、苦笑いする。それでも、「仕事で使うわけでもないので、しばらくはこのまま家に放置しておこうと思います。メッセージのやりとりやブログ更新も、今までもiPhoneばかり使っていてパソコンはほとんど開いていませんでしたから、特に困ることはないです」と、次の瞬間にはあっけらかんと言い放ってiPhoneを開く。「恋人と別れたって友達からメッセージが来たのでちょっと返信してもいいですか?」
Oさんは九州地方に住む会社員。社会人五年目で、一人暮らし歴九年目の27歳。コロナ禍でOさんの生活にはどのような変化が起こったのだろうか。
「大きくは変わっていません。一人暮らしも長いですし、元々外食や飲みにも頻繁に行く性格ではなかったので。仕事もサービス業で、リモートワークになることもありませんでしたし、不況で給料は減ってしまったけれど外出しないので自分一人は十分養っていくことができています」
田舎生まれ田舎育ち。大学進学とともに実家を離れ他県に移った。社会人になってからは郊外を点々としている。「都市部の感染者数のニュースなんかを見ると別の国のことのように思えます。田舎は都市部に比べると感染者も少ないし、感染すると特定されないか、自分がまわりにうつすんじゃないだろうか、自分が感染を広める第一人者になるんじゃないだろうかって、そっちを心配してしまいます、どちらにしても不安なのには変わりないですね」どこか淡々と表情を変えずに喋るOさん。「なんていうかもう、この生活が当たり前というか、どこか諦めてしまっているというか、広まってしまったものは仕方ないなと思う自分もどこかにいます。できる限り自分にできることはしなければならないですが」仕事のメインは接客サービス。マスクをしていても相手に伝わるような笑顔でいることは使命です、と、突然マスク越しに100パーセントのスマイルを向けられて面食らう記者に「夏場は暑いしマスクをしていると倒れそうになります。マスク生活で肌も荒れますね」と、パッとスマイルを引っ込めるOさん。笑顔をひとつの武器として使いこなす彼女のしたたかな一面が垣間見えた。
「でも、この生活が来年も続いていることを想像すると狂いそうになりますね」
一人暮らしに慣れているとはいえ、気軽に友人と出かけたり旅行をしたり買い物に行ったり、そういう気分転換は必要だろう。他県に住む友人との旅行の計画も流れ、知人の結婚式も延期になり、一年に一度の楽しみにしていた海外旅行も随分と行っていないとOさんはため息をつく。最近のいちばんの遠出は、親戚の葬儀のための地元への帰省だった。「皆そうだとは思いますが、本当に家と職場の往復ですね。恋人もいませんし、仕事の帰りも遅いので、話し相手は壁です(笑)」冗談なのか本音なのか、表情からはOさんの心情を読み取ることはできない。「私はリモートワークではないので、職場で人と言葉を交わすことができるだけでも幸せだと思っています。不安なのも寂しいのも自分だけじゃない。もっと不安な中、毎日過ごしている人だっている。こういう考え方、あまり良くないとは分かっているんですけど、実際そう思わないとやってられないですよね」彼女は彼女なりのやり方でどうにか納得感を得ようとしているのかもしれない。
「もともとショートヘアが好きだったんですけど、このご時世で美容室に行くのも面倒になってきちゃって、だいぶ髪ものびました」黒い変哲のないヘアゴムで無造作に結んだ髪を揺らしながらOさんは言う。「髪がのびるとドライヤーが大変で」ポニーテールと呼ぶのだろう、Oさんが頭をぶんぶん振ると、結われた髪もぶんぶんと揺れた。「いわゆるお家時間も長いので、シャンプーのような香りものくらいはこだわろうとしていますね」良い香りは心を落ち着かせる材料にもなる。彼女の部屋にはピローミストやルームミストなどが数本、浴室には柔軟剤が四種類並んでいた。コロナ禍の前までは香りにも無頓着だったとOさんは振り返る。
この社会状況の中、私ができるのは心も体もしっかり生き延びること、とOさんは語る。「私、社会人になってから健康診断以外で一度しか病院に行ったことがなくて」その一度は、手に謎の湿疹ができたときに駆け込んだ皮膚科だったという。風邪をひいたり熱を出したりした時、そのほかにも少し体がおかしいと感じた時にも病院には行かなかった。「今は特に、なんというか何か小さなことがあっても病院には行きづらくて。医療関係の方も病院もコロナ禍で追われているイメージがあって。本当は適切に病院にも行くべきだとは思うんですけど」コロナ関連のニュースを追うことにも疲れてきている。情報を入れるのに疲れて数日ニュースを遮断していたら、業務中に[今、県内で何市に時短要請が出ているのか][今週の感染者数はどうなのか]という顧客の問い合わせにすぐに答えることができなかったことがあったとOさんは苦笑いした。「やっぱりある程度のニュースは見ないといけませんね」
「仕事帰りに24時間営業のスーパーに寄ることが多いです」
取材終わりに彼女がよく立ち寄るというスーパーに同行させてもらった。このスーパーの出口で売っているネギたこ焼きがおいしいらしいんですけど、昼間に来ないので買ったことないんです、とOさんは言う。夜型の生活をする彼女が食材の買い出しに行ったりコインランドリーに行ったりするのは、だいたい夜中だ。夜中のスーパーは閑散としていて、レジ待ちの行列もない。密も防ぐことができる。
「見切り品って、どうして見切り品と呼ぶんでしょうね」そう言いながら彼女は【見切り品】と大きく印字されたシールが貼られている袋入りのピーマンを手に取る。傷んでもいないし、今日のうちに調理するから私にとっては見切り品でも何でもないです、と言って見切り品のピーマンを迷いなくカゴに入れるOさんに何を作るか聞いてみると「酢豚です」と今日いちばんの笑顔を見せた。「私は簡単に見切りませんよ〜」と軽やかに言った彼女の表情はどこか前向きに見えた。
※これはフィクションです