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小説「連想畑」

私には名前がある。
親が付けた。
保育園、小学校で多くの名前を知った。
すると名前の良し悪しが勝手にできてきた。
私は自分の名前を評価することになる。

理想の名前を知ってしまって以降、私に不足感が足される。この不足を埋めるための模索活動も追加され、私は日本に興味が出てきた。

日本が、私から見て愛するに値するならば。理想の名前を知ってしまった不足感を不問としよう。。そういう狙いだ。

日本を愛せるか?
今後の生きるテーマ…
不足感との闘争…
名前から始まるストーリー…

まず目に付くのは愛国心。
日本を大事に思い、日本の未来を案じ、可能であれば日本のために生きる…。私にも大事なものはある。まず、家族。次に崇拝する対象、次に友人となる。

簡単に考えてみて、家族を守るために生きることが日本のためとは思えない。急にある日、私を含めた家族が神隠しにあったとしても事件にはなるだろうが、システム的に簡単にカバーされるような気がする。日本文化にとって重要な家でもない我が家だからな…。

私はお家柄を学んでしまった。

そうだ!

市が企画したイベントに参加すれば何か見えてくるのかもしれない。。私は屋台が群がるイベントに参加した。

そこでは、遠路はるばるご当地グルメを引っさげた屋台で盛り上がっていた。

たけのこを混ぜた塩焼きそばを作って見せ販売する屋台が気になり、近寄ってみた。作り手に売り手、そして私が買い手、難なくたけのこ入り焼きそばを購入した。。この行いにより、果たして私は日本のためになるようなことができただろうか?

自問しながらたけのこ入り焼きそばの味を確かめる。少し想像してみた。今後くるであろうお客さんのために、味についてアドバイスをお店の人にすれば、何か貢献した気分になれそう…。問題はあっちがプロでこっちは素人という立ち位置ぐらい。

ここで気づく。

日本のために貢献したと(主観的に)思えるような行いこそ私が望む行いなのか!と。そういうことなら、味アドバイスよりも大声でうまさアピールした方がまだ効果がありそうだと考えないこともなかった。当然、巧みな言葉使いとセットで。

日本人プロに貢献するにはそれなりのスキルがいるような気がしてきた。少し考え方を変えよう。素人でも手軽に行える日本に貢献したなと思えるような行い。。

連想はつづく。

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