#建築をスキになった話 私が建築を好きになったのはなぜだろう。
誰しもなにかを「好き」になる瞬間がある。
わたしにとって、その瞬間はいつだったのだろうか。
スキな建築、建築がスキになった話。
目次
1.私が好きな建築ってなんなんだろう?
2.私が建築が好きになった3つのタイミング
(1).青年時代に憧れた『ハチミツとクローバー』の世界
(2).美術館・展示会に足しげく通った大学時代
(3).空間を育てる感覚を知った社会人
3.大人になってから建築の学校に通ってみて
4.好きとは、時間の積み重ねだった
私が好きな、建築ってなんなんだろう?
そもそも、私が好きだと思っている「建築」ってなんなのだろうか。
建築を好きになったのはぜだろう。
最近、Twitterで知ったロンロさんのツイートを見て、ふと思った。
ところで、「建築」と聞いて思い浮かべるのは、なんだろうか。
多様な人が使う大きなビルディング、住み主のための小さな住宅、国内外有名な建築家。カッコイイ建築、ださい建築。
全部正解だ。むしろ建物であれば、間違えなんてないだろう。
建築には、2つの側面がある。と、私は考えている。
1つは、「建物」そのものを示す建築。
もう1つは、人々が豊かな時間を過ごす「場所」としての建築。
私は、どちらかというと、ハード=「建物」そのものをデザインすることよりも、空間・居場所の提供ができるソフト=「場所」が好きである。
私の思い描く空間・居場所とは、小学生のころ、木の上にダンボールを敷いてつくった秘密基地だったり、
美術館というハコのなかに展示内容をわかりやすく、そして興味をさらに深いところまで誘導するように仕掛けだったり、
日曜日の夕方になると、町中の人が広場に出てきて、家族と友人と食事をしたり、ゲームをしたり、音楽を楽しんだりする風景だったりする。
私の好きな「建築」って、こういうことなのだ。
とはいえ、建物のかっこよさも好きだ。突き詰めた空間、一分の隙もない張り詰めた空気感、そういったものも好きだ。
胸がキッと詰まる感じ。
私は、その体験まで含めて、その建築が好きだと思う。
そのかっこよさや場所性を含めた気持ちを【建築を好き】と表現していきたい。
わたしは建築がスキなのだ。
2.私が建築が好きになった3つのタイミング
前置きが長くなったが、私が建築が好きになったフェーズは3つある。
(1).青年時代に憧れた『ハチミツとクローバー』の世界
(2).美術館・展示会に足しげく通った大学時代
(3).商業施設を育てる・つくりあげる感覚を知った社会人
(1).青年時代に憧れた『ハチミツとクローバー』の世界
きっかけは、羽海野チカの『ハチミツとクローバー』に違いない。
中学の頃、美大生たちの青春物語を読み、制作する人たちに憧れた。何度も何度も読み返した。
人が恋に落ちる瞬間ではないが、私がつくる人に憧れた瞬間だった。
けれど私は美大には行かなかった。
というよりも理系クラスにいた私は、決断することが出来なかった。
センスのない「自分なんかが」美大に行けるはずがない……。そんな「自分なんかが」に囚われて、憧憬になるだけだった。
しかし、手に入らないとなると、憧れは強くなる。
そんな憧れから、じわり、じわりと、建築に対する興味が生まれた高校生活だった。
(2).美術館・展示会に足しげく通った大学時代
大学は「工業デザイン」を学べる学校だった。理系で物を作りたいと思い、素直に選んだ結果、プロダクトデザインにたどり着いた。
なぜ、建築じゃないのか。
なぜか、高校生の私にとって建築とは「家をつくること」だった。そして、なぜか、家を作ることには興味が沸かなかった。だから、美大ではないけれど、デザインを学ぶ環境に身を置いた。
住宅に興味が無いという理由でめでたくデザイン系大学生になり、デザイン学生らしく、美術館や展示に足しげく通うようになった。
次第に、展示空間にたいして、誰が企画し、誰が空間をデザインしているのか、展示構成、内容編集について興味をもつようになった。
今思えば、大学時代の展示場巡りはかっこいい建物ではなく、人々が豊かな時間を過ごす「場所」としての建築が好きになるきっかけだった。
また1つ、建築に対して興味を持った。
人生で初めて、空間をつくる人になりたいと思った。
(3).空間を育てる感覚を知った社会人
10年前には、建物を使って場をつくる人になりたくて、商業施設で働いているだなんて、1mmも想像できなかった。
できなかったが、美術館に行きつくられた空間を見るたびに、私も空間をつくる人になりたいと思うようになり、就活では、そういった空間設計や展示企画をする会社ばかりを受けた。
しかし、縁がなく、全滅していた。
言い方は悪いが仕方なく視野を広げ、商業空間にも目を向け、ようやく決まった会社が現在の勤めている会社だ。
幸運にも、望んでいた不動産部署に配属され、ビルの管理を日々しながら、お客様にもお店の人にも快適に、そして日々問題ないように仕事をしている。
はじめは「空間をつくりたかったのに、妥協してしまったな……」なんてひしゃげている自分もいた。
人は不思議なもので3年も一つの施設をよりよくしようと時間を重ねていると、どんなに古いビルでも愛着も沸くし、自分に何ができるか考えるようになる。
今は、これも全くの幸運だが、竣工30年のビルのリニューアル工事に携わっている。
この5年で作り上げることはしなかったが、ビルは竣工してから劣化していくだけではなく、設備のメンテナンスによってハードを保持し、販売促進や設備投資によってソフト的にアップデートし、ビルの価値を維持し続けることを知った。
「空間を育てる」と表現したい。
維持するため、なのかもしれないが、私は育てるという言葉を使いたい。
成熟され、愛される空間を知った。
3.大人になって建築の学校に通ってみて
憧れだった建築に近づき、建築空間が好きになった。
社会人になり、建築が好きだと自覚した私は、会社務めをしながら建築の学校に通うことにした。
そこでは設計された外形の話、設計する人の思考の話、設計するための思考方法について学んだ。
いい空間はどのように世界に生み出されているのか。
そんな学問的な学びだった。
土地、気候、歴史、慣習、時代などの外的要因。設計者の意識、想い、自信、素材へのこだわり、偶然性。建物を使う者の感性、要望といった、内的な要因。
それらが複合的に、3次元として存在し、空気感を持つとき、美しく感じられるとき建物は建築になるのだと知った。
私は学校に行ってみて、建築を楽しみ方が一つ増えた。
楽しみ方がわかると、また一つ好きになった。
4.好きとは、時間の積み重ねだった
長い時間をかけて、私は建築が気になり、空間に触れ、そして好きだと自覚し、好きを考える時間がさらに増えた。
ひとめぼれはなかった。
私もこんなかっこいい建築をつくりたい!といった強い思いもなかった。
例えるならば、初めてエヴァンゲリオンを見たような、初めてスーパーに1人で買い物に行った時のような、鮮烈な体験があるわけではない。
私のようなふんわり生きていた人間にも、じわじわじわじわと侵食してくるのが建築であり、空間だった。
なんだか好きな気がするのだ。
気になりだしたら、最後。それは好きな気持ちなのだ。
最後に
「なぜ、建築が好きになったのか」棚卸しする機会をくださり、ありがとうございました。
▼「建築は手段である」ことを伝えたく、試行錯誤をしながら文章を書いています。