なぜ私は文章を書くことに苦手意識をもつのか。
最近、文章を意識して書くようにしている。
もともとFacebookもmixiもかなりの頻度でそれなりの分量を書いては更新していたし、
Twitterは8年も続いているし、
なによりこうやってnoteを書いてるからには、書くこと好きなのだろう。
しかし、最近、文章を書くのが苦手な意識ができた。なぜだろう。
たぶんそれは社会に出て、簡潔に伝える文書を必要とされて赤入れをたくさんされるようになったからだと思う。
それまでは自由気ままに書いていた文たち。修飾語の位置や目的語の距離も気にせずに書いていた。文と文の間の空気感もふわっとしていた。
そのふわっな感じに、正解が生まれた瞬間。
たぶんそれが文章意識した瞬間だった。
今まではどんな物語も、主人公は私だった。
主語が私で世界を広げるために書いていたのが、主語が企業や部署となり、そして、目的が事項を伝えるためとなった瞬間、私は文章を書くことを意識せざるおえなかった。
そんなことに気づいて、文章を書くのが苦手だと思うようになった。
そうこうしているうちに、文章の書き方を知りたくなり、昨年の春からライティングのサロンに入り、今に至る。
書くことを学んで思うことは、結局どんな文章でも書き手の意思を伝えられて、言いたいことが届けることが出来れば、手法や書き味は誤差だということだった。
確かに一定の方法、たとえば会社で新しいことを始めるときは企画書というフォーマットというルール、はあるがそれは一つの手段であるということだ。
文章の正誤ではなく「なぜ書くのか」「何を伝えたいのか」を意識を持つことが大切なのだと気づいた。
書くことは、息を吸って吐くように、簡単にできてしまうから。
だから、私は、文章を書くのが苦手になったのだろう。
「書くことの意識」をもつことができると、書き示すことで少し世界は狭くなるけれど、
私の想いが届いた世界は少しだけ広くなるんじゃないかなあ、なんて思ったり。
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