『推し、燃ゆ』の前に
『推し、燃ゆ』を読んだ感想、なんとなく書いています
ARMYとして、ムムとして、KPOPのファンダムにいる自分にとってはあまりにも自分ごとの話でした。
誰かを「推す」ということ、推しが炎上しているときのファンの感情と、ファンダムの雰囲気、そして推しの言動から「推しを解釈する」ことへの執着が描かれています。
「推し」はしょせん他人なのに。主人公の女子高生が属する「界隈」には色々なタイプのオタクがいて、彼女は「推しを解釈する」ことを求めるオタクでした。ライブのコメントや配信、雑誌のインタビューなど、あらゆる過去の言動を把握し、推しの性格や感情を「解釈」する。もちろんいくら過去の言動を拾っても、他人が作る人物象なんてハリボテに過ぎないけれど、受け入れることは難しく、彼女の生活を壊してしまいます。
推しだけではなく、そのコミュニティもふっと消えてしまいます。「推しが好き」「推しがいるグループが好き」という共通点だけでつながっているから。私や、愛するフォロワ様達が繋がっているファンのコミュニティも、推しがいなくなったらどのように続くのでしょうか。私にとっては、推し本人への気持ちと同じくらいしんどいな、と思います。
推しが燃えた経験のある人は、この物語はどう響くのでしょうか。救われるのか、ショックを受けるのか。私も、推しに自分でも言い逃れができないスキャンダルが起きたら、耐えてまた応援するのか、またはファンダムを去るのか?そのときのために心の準備をしておくべきなの?とまで思ってしまいます。
(話はずれますが、BTSについて「安心して推せる」という言葉が多いのは、推しが炎上したり消えたりする不安がほとんど感じられないくらい本人と事務所が盤石だからかな…)(事務所、大事。お金稼ぐ、大事。)
それから、私がこれまでBTSやARMYについて語ってきた言葉にも、再び向き合いたくなりました。小説で、主人公や彼女のSNS上の相互フォロワーたちが発する言葉たちが空虚に感じられたましたが、かくいう私も空虚な言葉しか紡いでいない、と気づいたから。
自分が推しに向けて呟く言葉たち、自分ではとっておきの言葉だったり、その時の感情を1番表していたり(たまには衝動的のもあるけど)していたのに、小説内でパターン化されるほど典型的なオタクのツイートだった……。これは割とショックでした。
そもそも、瞬間的な「良い………ッ」みたいな感情を何とか言葉にするだけでも大変ですよね。今は、唯一無二のツイートなんて作家でもあるまいし無理無理!!と割り切っています。
無理と思いつつも、なんとか言葉にしたいんだから、オタクとは不思議ないきものです。
そんなよくわからない感情に理性が埋もれる「不思議ないきもの」なので、私も小説の主人公にとても共感します。それでも、なるべく自分をセーブして、「推し」という大切な他人に依存しない生活を目指しています。ナムジュンはUse BTS for loving youeselfと言っていましたが、本当にそのとおりで、最後は自己本位に生きないと消耗してしまいます。
私は私のために生きたい。私のために生きる過程で、ジミンくんとフィインちゃん、BTSとMAMAMOOを愛することができるといいな…と思います。
以上、まとまりもへったくれもない文章ですが、またゆっくり何か書いていけたらよいな~と思います。読んでくださった方、心からありがとうございます🌱
mid.