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永遠なるおれたち

 街角にあるDとかSなどのコーヒーショップには、電源が用意されたおひとりさま席が必ずあって、そこでパソコンを開いてぱちぱちと、お仕事やお勉強に打ち込む人々であふれている。むかしむかし、そのような場所が喫茶店と呼ばれてた時代には、ぼーっと音楽を聞きながら物思いにふけるひとや、分厚い週刊漫画誌を広げて熱心に読むひとや、うふふあははと向い合せで笑い合うカップルであふれていたものである。

 かつてブリッジという喫茶店が駅から歩いて5分ぐらいの裏通りのビルの二階にあった。内装は明るめで当時流行りのカフェバーに寄せていたが、他には特徴はないただの喫茶店だった。部活を引退してひまをもてあましていたおれたちは、授業が終わると、いや終わらなくても途中で抜け出して、毎日のようにそこに集結してたむろしていた。なぜその店だったのか。いつ行っても空いていたからである。そして、私服ではあったが、どうみても高校生なお顔の俺たちが喫煙するのを、マスターが見逃していてくれたからである。当時はコーヒー1杯で300円ぐらいだっただろうか。ただそれだけを注文して、昼過ぎぐらいから夕方お腹が空きすぎて家に帰るまで、ずーっとその店にたむろしていた。なぜそんなことができたのか。他の客がめったに入って来なかったからである。

 いったいおれたちは毎日のようにそこで何をしていたのか。まったく覚えていないから、たいしたことはしていなかったのだろう。ただ一つ覚えているのは、店に流れていた有線によくリクエストの電話をしていたことである。ちょうどその頃はベストヒットUSAやMTVなどの洋楽系の音楽番組が花盛りで、それに感化されたおれたちはみんなコピーバンドなどやっていたから、それぞれが発掘したイカした曲を自慢するため、あわよくばライブのセトリに入れるために、一日に一回はピンクの電話に10円玉を入れてダイヤルを回していた。リクエストしたからといってその日のうちにかかるかどうかは半々だったから、運良くお気に入りの曲が店内に響き渡るとドヤ顔をしてうなずいていたものである。ただそれだけである。

 学校というものはいつかは卒業しなければならない。卒業するとみんな散り散りになって、それぞれの場所で忙しくなって、なかなか会うことは叶わなくなる。そして半年ぐらい経って、たまにはみんなで集まろうということになって、駅の裏通りのあそこを目指したが、そこにはブリッジではなくてイタ飯のチェーン店があった。よく考えてみると、毎日ほとんどコーヒー一杯だけしか頼まないおれたちだけの集客で店が立ちゆくはずはない。あのマスターはもしかしたら、おれたちが卒業するまで閉店を待っていてくれたのかもしれない。まともに話したことはほとんどなかったが、カウンターの奥でいつもにこにこしていたマスターは、おれたちのもう訪れない永遠の時間を見守ってくれていたのかもしれない。なんてことを話しながら、餃子でも食べようかと次の店を探すおれたちだった。


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