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なぜ私たちは「コロナ専門家」を求めるのか?

パンデミックによる社会的な混乱の中、連日のように「専門家」という存在がお茶の間を賑わしている。今晩は「コロナ専門家」を研究業績という視点で分析しつつ、なぜ私たちが専門家を必要とするのかについて議論したい。

昨今数多くの「コロナ専門家」がメディアに登場しているが、その主張は必ずしも一致していない。必然的に、どの専門家が正しいのか?に関心が集まり、アサ芸から『「コロナ専門家」12人を格付けチェック』という記事が公開された。記事によると、現場の医師らが匿名で「格付け判定」したようだ。この判定のしかたに私は疑問をおぼえた。「格付け判定」は医師らの主観的な評価によっておこなわれたため、もし100人の医師らが点数を付けたならば100通りの「格付け判定」が下される可能性がある。「専門家」の主張だけでなく「専門家」の評価までバラバラになってしまうと、余計に混乱するだけではないか?そこで、再現性があり客観的な「専門家」の指標もあっていいだろうと考え、「コロナ専門家」の研究業績を調査することにした。

「コロナ専門家」の研究業績

研究者の研究業績は[h-index]、[総被引用数]、[論文数]を中心に総合的に判断される。この指標は異なる分野の研究者を比較することには用いてはならないことに注意されたい。[h-index]は論文数と被引用数から計算される研究者の貢献度である。[総被引用数]は研究者がこれまでに出版した論文が引用された回数の合計である。オランダのエルぜビア社が提供するscopusを用いて、アサ芸の記事で格付けされた12名の「専門家」のうち10名の研究者のこれまでの研究業績を検索した。

特に重視される傾向にある[h-index]、[総被引用数]で高い値の西浦先生は、アサ芸の記事では3点満点評価で0.5点と極めて低い評価であった。総じて、研究者としての評価とアサ芸の記事の評価に大きな乖離がある結果となった。アサ芸の評価は格付けした医師の名前も評価基準も不明なので、今回の乖離の理由はわからない。

図1

今回は「専門家」の研究者としての業績を調査したが、研究業績の優れていない人は「専門家」として正しくない、あるいは研究業績の優れている研究者は「専門家」として正しいということはできない。下の表は尾身先生と山中先生の研究業績を調べたものである。尾身先生の研究実績は極めて少ないが、これは尾身先生がWHOなどで指揮をとっていて研究者としての道を歩まなかったためである。したがって尾身先生の研究業績が少ないからといって評価されていないわけではなく、むしろ高く評価されている。

図2

一方、山中先生は[h-index]、[総被引用数]がずば抜けている。しかし、これらの業績のほとんどはiPS細胞に関連したものであり、感染症学やウイルス学に関連した業績ではない。したがって、研究業績が優れているからといって安易に感染対策について正しい主張であるとはいえないだろう。(山中先生の主張が間違っているといっているのではないことを追記しておく。)

結論としては、現段階でどの「専門家」が正しいのか?を判断するための適切な指標はないといえる。しかし、将来的にはどの研究者が正しかったかを今回と同様の手法で検証することは可能である。数年後、コロナウイルス関連の論文だけを抽出してこれらの指標を適用するのである。今後の新たな感染症、そしてパンデミックに備える上でもしっかり検証するべきだろう。

なぜ私たちは「専門家」を求めるか?

私たちはなぜ「専門家」を求めるのか?それはきっと、私たちが自分の頭で考えることを放棄しているからではないか?元来人間なんて怠惰な生き物だ。決して間違いを犯さない「専門家」のいうことにただ従って生きていけばどんなに楽か。だから私たちは決して間違いを犯さない「専門家」を探し求めて盲信しようとする。しかし、そもそも「専門家」なんて職業はありはしない。あるのは研究者。現実は悲しい哉、間違いを犯さない研究者なんて存在しない。かの大天才、アインシュタインだって間違えるのだから。特に新しい分野では、研究者がやいのやいのとたくさんの仮説を提唱して、それが長い年月をかけて検証され、結果的に正しかった仮説だけが生き残って定説になっていく。今回のコロナ禍で研究者らがそれぞれ異なる主張をするのは至って健全な科学プロセスなのである。結局、完全無欠な専門家なんて存在しなかったのだ。

では私たちは何を信じればいいのだろうか?「専門家」は存在しない。でも専門知は存在する。専門知とは研究者らが長年培ってきた知識のことをさす。専門知をえるためには研究者、いわゆる「専門家」が、結局は必要なのである。よって私たちがやらねばならないことは、どの専門家が正しいかを知ることではなく、どの専門知が正しいのかを判断することだ。様々な研究者の主張を吟味し、どの主張がコンセンサスのとれたものなのか、自分の頭で考えなえれば専門知にはたどり着けないのではないか。

考えることをやめてはならない。

考え続けなければならない。

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