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ただ、生きる

両親が遊びに来た。語り合ったのは愛犬アトムについて。その場にいた誰もが特定の宗教団体に属してはいるわけではないのだが、仏教やキリスト教の話もした。仏教では輪廻転生——人間ふくめあらゆる生き物の魂は生まれ変わる——があるからこそ心の灯(ある種の希望)が消えないのだが、キリスト教では人間以外の生き物は魂を持たないと説くので、正直、悲しい気分になってしまう云々。私は輪廻転生を信じている。亡くなってもいつかどこかでまた逢えると思っていると気持ちも楽になるというのもある。人間は不思議な生き物だ。悲しい出来事があれば、無理に忘れようとするよりも、とことん悲しみに浸った方が思いのほか心が安定する。
死は順番だ。誰かが死んだ後、次にはまた誰かが死ぬことになる。永遠に——現世で——生きる命など存在しない。私は過去に生きる意味を探してきた。しかし今はこう思っている。生きることに意味などないのだ、と。ネガティヴなベクトルでこういう思考に辿り着いたわけではない。むしろ、その逆である。生きるにあたって、意味を探さない方が気楽に生きられることが分かったのだ。そんなこと今更気付いたの? なんてツッコミを入れられるかもしれないが〈生きる意味探し〉をやめた私は確実に新たなステージに足を踏み入れることができた。何も悟りを開いたわけでもない。ただ、何となく呼吸して身体を動かし、やりたいことをやっていく上で、そこに余計な意味を付与しないことは、重い物を背負わないで済むことに繋がるのではないだろうか。色々書いたけども、この世に存在する、様々な問いを探すのは小説を書くにあたって凄く大事なので、どんどん突きつめていきたい。
色んなことを教えてくれたアトムに感謝。たくさんの思い出をありがとう。R.I.P.

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