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小説愛

暑い中、小説を書いている。途中で行き詰まってしまう時は、詩やエッセイを避難所とする。表現さえしていれば、私は私でいられるし、更にインプットとアウトプットのバランスを上手く取っていれば、この炎天下さえも乗り越えられるのだ。別段、書くことではないかもしれないが、TwitterをはじめとするSNSで振る舞う私は氷山の一角に過ぎない。様々な媒体に文字を書くことで本当の自分を探しているのかもしれない。

私が初めて物語を書くようになったのは小学校低学年の頃。読書もさることながら、書くことが大好きだった。あまりにも自然な行為だったので、執筆歴は? などと訊かれると困ってしまうくらいだ。高学年になると親に向かって「作家になりたい」と繰り返し言っていたのをはっきりと覚えている。なぜ、そんなことを口走るようになったのかは全くもって分からない。とにかく書くことが好きだったし、完全に呼吸感覚だった。日本人は——諸外国にわたった上での感覚からすると——上手い下手という概念に囚われすぎているような気がする。もちろん諺にもあるように上手いことに越したことはないのだが、それよりもっと大事なマインドがあるように思う。それこそ、小説愛である。小説に限った話ではないが、愛がなければ、何年も何十年も継続できない。
私は賞レースばかりに心を奪われて、小説愛を失うことを一番恐れている。簡単に失うとは思えないが、小説家という職に就いて、死ぬまで小説を愛し続けられるだろうか。いつまでも変わらぬマインドで書き続けられるだろうか。

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