カテゴリーエラーについて考える
昔から、自分の書きたい小説ジャンルがひとつに定まらない傾向がある。それが功を奏する時もあるのだけど、新人賞に限っては、ある程度絞っていった方がいいかなと最近思うようになった。というのも——世間的に見ても――どんなに素晴らしい作品を応募してもカテゴリーエラーによって受賞を逃すことがかなり多発しているからだ。
引用にあるように、カテゴリーエラー(以下、カテエラ)は存在論的な誤りであって、自分の書きたいものと、レーベル側が求めるものとの不一致を表わすものともいえよう。端的に一致することが大事であって、一致すれば必ずしも受賞に至るとは言えないのだが、予選突破の確率はあがる。因みに私は、継続力と情熱、そして努力量に関しては自信がある。ただ、今まで挑戦した公募の中で、明らかにカテエラだったと思うのが、昨年の群像新人文学賞にファンタジー小説を応募したこと。(結果、予選通過ならず)実は、これも計算していたことだったんだけど、高橋源一郎の小説指南書にそそのかされたというのも事実といえば事実。
要は逆張りである。ただ、この本には逆張りへの挑戦心を煽っているのに、後半ではそれぞれの賞の傾向が載ってある——というちょっとした矛盾が展開されている。結局は、傾向を知ろうと、逆張りをしようと、いかに売れそうな作品かどうか、もっと言えば、将来性のある作家か、というところを見られているのだろう。因みに私は「未熟者」を自覚しているからこそ努力できる。自信を持つべき対象は、自身の能力にではなく、積み重ねてきた努力量に、が私のモットーなのだ。これからはもっと努力をしてゆくつもりだが、本質的には努力を努力と思っていない。そこに私は自信を持っている。あとは数を重ねて、できるだけカテエラせずに公募に挑んでいきたい。短くなったけどカテエラについて更なる発見があったらまた書こうと思う。
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