平野智紀「さらば、あまねガードと西周」(7日目)
早くも今日は沼津を離れて函館に戻る日です。ぎりぎりまで図書館で調べ物をしていました。沼津市立図書館の本棚はすべて開架になっており、全集などの古い本も気軽に手に取ることができてありがたいです。
西周全集(1970)には、完成した論文のほかに西による草稿も収められています。「哲学関係断片」には、どの言葉をどう訳すかに関するメモがありました。西が訳したこうした言葉を使っていない人はいないと思います。ちなみに「芸術」という言葉をつくったのも西周です。
ところで、沼津駅は南口と北口が完全に分かれており、駅を通り抜けられないため、南口と北口を行き来するには駅の東西にあるガード下を通る必要があります。西側のガードが、西周の名前から取られた「あまねガード」です。先日の交流会でお聞きしたところ、沼津の方は西周のことは知らなくても「あまねガード」のことはご存知でした。私も今回の滞在中、「あまねガード」を何回行き来したかわかりません。
沼津駅では高架化の計画が進められています。完成は約20年後とのこと、かなり先ではありますが、高架化したら「あまねガード」がなくなってしまう可能性もあると思われます。何らかの形で「あまね」の名前が残るといいなあと思います。
『西周全集』の編者である大久保利謙の序を引用します。「日本の近代文化の建設者として西周のはたした功績は、最近にいたつて、次第にたかく評価されてきた。明治初期に新文化の指導者となつた文化の偉人はその数もすくなくないが、おそらく学者としては何人もまづ西周に指をくつするであらう。(中略)学問的な構想力のたくましさにおいて、西周以降これをつぎうる学者はきわめて少ない」
追伸:『西周夫人 升子の日記』(2001)もおもしろいです。幕末から明治の激動を主婦の視点から描いていて、朝ドラか大河ドラマにでもなりそう。