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山田洋平:白須賀レポート(まとめ)

今回、MAW参加は2回目なので1回目の龍山町での滞在経験が常に頭にある中で7日間を過ごしました。2会連続参加のアーティストも少ないと思うので、このレポートでも同じ静岡県内での事ながら全く違う様相を見せた白須賀と龍山町の比較などもしながらレポートを書きます。

前回の龍山町でのレポートはコチラ。読んでいただくと背景がわかると思います。

白須賀を選んだ背景

私は石川県加賀市在住です。石川県は2024年1月1日に震災に見舞われました。

 石川県珠洲市の海岸。 
白い部分は全て海岸が隆起してできた新しい海岸

更に同年9月には豪雨によって、致命的なダメージを受けた地区もあります。もっと衝撃的な場所もあるのですが、人家を移すのは気が引けるほどの状態でしたので自分はネット上にはあげません。

 河口です。土砂で完全に埋まりました。
高さ5m位の所です。
 堤防と道があった場所ですが、震災で半壊した堤防が道ごと流されて無くなりました。

無力でした。芸術だけでなく多くの職業でもそうですが、無力です。土木関係が唯一迅速に動き事態を好転させるために動ける職種でした。
芸術の出る幕はもっと復興復旧の後半になってくる(はず)のものですが、かつての人々はどうしてたんだろう。
静岡のMAWの応募がかかった際に思い浮かんだのは、かつて大津波が襲い、そして将来的に大地震が予想されている海岸地域での滞在でした。

白須賀と龍山町

龍山町は平均年齢70歳近く、更に最後の小学校も無くなった山の中の集落です。人が集まる場所にしたいという思いと、様々な事情から生活ができる場所では段々無くなっていく事を受け入れながら、この集落の歴史や文化、記憶を保ち、存在する意味、価値、位置づけを模索しながら証明していく過程にあるように思いました。

 白須賀は東海道に位置し、集落というよりも連続した町の中にありながら、新幹線や電車、国道の開発により主要な道筋からは少し離れる事になったため、人口が減りつつある場所でした。都市の周縁に位置する土地の運命か、大規模な工業地帯、あるいはベッドタウンへと開発が進んでいく事に対して白須賀の土地への愛着や、消費される土地ではないと、土地が価値を主張するためにすべきことを模索している過程にあるように思いました。

 大都市が不気味に成長を続けていく中で周辺の土地は大都市を支える場として、大都市や大企業の利便性に基づき開発されていきます。周辺の土地にとっても人口減少や税収の低下に歯止めをかかる手段として開発を誘致しますし、実際にその成果はでていることでしょう。しかし、人口減少を止めるために土地に愛着を持つ可能性が極めて少ない人々を多く流入させ、税収を増やすために土地を提供することにより失われる土地の自然や歴史や文化、創造性や自由度を鑑みると、何を守ろうと開発を誘致しているのかわからなくなるのでは、と旅人としては思います。
しかしその土地に住む人々としては、経済効果という圧倒的な力と成果を優先させてきたのが今までの白須賀だったのだろうと思います。それに対して抵抗、あるいは違う方向性を示そうとしてきたのが今回ホストとなっていただいたシラスカリフォルニアの人々です。

革新的保守

 正直、滞在の半分過ぎまでシラスカリフォルニアの方々が何故MAWのホストになったかわかりませんでした。しかし、浜名湖ドライブに連れて行っていただき、白須賀に帰ってきた時にようやく白須賀の土地性みたいなものに気づきました。
白須賀って今も昔も、宿場なんだと思いました。何かの中心地ではなく、旅の途中で出会う町。そして現代において宿場町があることがどれだけ重要か考え直しました。

前述の通り、現代では大都市は更に大きく、地方は更に小さく、道は大都市と大都市を繋ぐものであって、その機能さえあればその様相や意味は求められない方向性にあります。それはSNSを代表とするネットの中でも同様だし、格差社会もその結果として現れているように思います。大企業も更におおきく、中小企業は更に小さく。

しかし、大きな物がもたらす利便性は素晴らしくとも、その利便性に依存しすぎると画一化の方向に進みます。
利便性とは画一化と統一されたシステムによって生まれるものなので、それは物理現象みたいなもので当然の帰結です。それって非常に危険な方向性なのです。

龍山町の滞在でも書きましたが、大都市では人が飼われているような状態で、人のために都市がある在り方とは逆です。そこには、人が望んで飼われに行っているという苦しい事情もあるのですが、自由を犠牲にして利便性を取りに行っているようにしか私には思えないのです。
(それが自分の創作活動のテーマである、人は知らず知らずのウチに振付演出されているという事なのですが、それは今は一旦おいておきます。)

ですが、白須賀という宿場町では大都市ほどの利便性は無い代わりに自由があります。そしてそこに移住する人たちは飼われに来たのではなく、土地の愛情を持って移住してきた人たちです。利便性を犠牲にして自由を取ったのでしょう。
そして実際に作りたいものを作りたいように作っている人たちがいました。

龍山町を訪れたときにも感じたのが衣食住に不足がなければ、人間することは何か作りたいものを作りたいように作るのが楽しみになるようです。特に日本人はその傾向が強ういように思います。

そして多くの場合、その創作物は大多数に受け入れられる物ではなく、作り手のみにわかる合理性に基づいたり、個人の喜びに基づいて作られています。何かを参考にしつつも自分流にアレンジして、個人の利便性に応じて作られる物や場所。大都市の一般受けを狙って作られたオシャレさとは一線を画す、作り手の味わいがふんだんに含まれている創作物。
多数派にはならないし、なる必要もないし、しかし味わい深くまた訪れたくなる場所。それがここにはありました。

 こういった風景を見て、私は中継地としての栄え方があるのだな、と思いました。
東海道の宿場町だった歴史は、現代の中継地として繋がり、大都市が巨大企業が提示する価値観とは異なる価値観を提示する可能性に満ちたものです。
中心地ではない中継地としての価値。私はそんな中継地としての価値が沢山ある国のほうが豊かな国だと思います。

 その環境の中でシラスカリフォルニアさんがこのMAWを通じて外部のアーティストが訪れる場を作っていること。『浜名湖、その先へ』などのイベントを通じて人が集まる場を作ろうとしていること、最終日にお話した佐原さんのヴィジョンをお聞きして、現代の宿場町・中継点としての準備はもうできていると思いました。

大都市に属すのではなく、中継地としての価値を作っていること。
人を多く受け入れながらも、土地の価値や愛着を育てていること。
観光地ではなく、宿場町の特性とその可能性にとても夢を見たくなる場所でした。

土地の持つ固有性を保ちながらも革新的な事ができる宿場町。今回の旅で一番得たものはこのことでした。

すっぽんを奢ってもらったり、みかんを頂いたお礼もまだなので、また訪れて、今度は何かしたいなぁ。

まだ消化には時間がかかる多くのことがありますが、すでにNOTEの締切もすぎているので、今回はこれくらいで終わります。

シラスカリフォルニアさんを始め、関係者の皆様、本当にありがとうございました。また訪れる日を楽しみにしております。

山田洋平

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