山田洋平「雨にも負けず」(4日目)
今日は朝から大雨。今日の予定は白須賀の隣町、新居(あらい)を案内してもらい、後に白須賀を案内してもらう。
新居関所待ち合わせで案内をしてもらう。
少路(しょうな、とよむ)を巡りつつ、新居の町の特性を聞く。
話を聞きながら、案内を受けながら、考えたのは大切なのは受け継ぎ方だなぁ。という事。
歴史文化なんて、自分も歳を重ねるまで理解できなかった。
でも、単純な事で、自分がどんな環境で育ってきて、その環境がどんなプレゼントを送ってきてくれたかを知るってことにほかならない。無意識に環境や社会は自分にプレゼントを送ってくれている。時にそれは呪にもなるけれど、なにもないことよりもとても健全だ。
大切だってことを伝えるのは案外難しい。ネガティブな事の方が共感しやすいし、仲間意識も育ちやすい。でも大切だってことを理解できないと、それは大切さを共有している集団にとっては害悪にしか過ぎない。
街歩きをした後は、白須賀の案内を受ける。
自然が大切。それを伝えたい。でも若い人ほど、眼の前にある自然よりも、眼の前にない都会のネオンライトの方が眩しく映る。
それはしょうがないことだけど、東京葛飾区出身の自分としては、都会のネオンライトよりもホタルの光の方がよっぽど美しい。
美しさ、美とはどこにでもあるものだけど、それを美と名付ける事は誰にでもできるわけではない。
美と芸術は似て非なるもので、美はそれに美と名付ければ美となるのだ。しかし芸術は美を作品として置こうと試みるけれど、そのままの形で作品とすると、美は死んでしまう。美は美じゃなくて、人になってしまうのが芸術。
ここではビオトープは美しいけれど、それを伝えるのはとても難しい。ビオトープだから来て、とだけでは言えない、人の繋がりや見えない価値が眠っている。
とてもいいところだから、旅人としては是非このビオトープを訪れて欲しいと願う。そしてビオトープを作り受け継いで、楽しみながら維持管理している方々にもあってほしい。
自分は振付家で演出家で企画者で舞踊家だけど、振付をしていると思うのは、人は無意識に社会や環境から振付演出されているということ。その振付演出は時に素晴らしいものだけど、時に人を縛り、可能性を妨げ、人の価値を低いままに維持しようとする。この土地の人々は何に振付演出されているのだろう。これが今回訪れた理由の一つだ。
津波と地震がこの土地にもたらした影響は大きい。
大企業が進出してきて、海外の移住者が増えたのも大きい。
それでもここには都会にはない自由さがいまだある。
カリフォルニアのような自由さが。
カリフォルニアには行ったことがないけど。
この土地で自由を感じて行きている人達がいる。
彼らは自分自身に振付演出をしている。
もう一度明日、此処の人たちと過ごす時間がある。
何か見えるといいな。