風音「今これしかないんですけど」(四日目)
どぅんどぅんという音が外から聞こえる。これが大砲の音か。起きたら10時半で、雨は降っていなかった。
部屋を出たら、トーストを食べていたすぐろさんに「今日は何をするんですか」と聞かれ、天気が良さそうだから自転車でパン屋に行こうと思う、みたいなことを言ったら、自転車がないかも、ということと、「何もしない一日があってもいいかもね」みたいなことを言われる。たしかになぁ、と思いながらものそのそと着替えて化粧をする。
noctariumで私が泊まっている部屋の洗面所は、なぜかカナダのホームステイ先を思い出す。壁のタイルの白さ?
とりあえずお腹が空いた。ちょっと遠い方のパン屋と肉屋に行ってみようかな。一階に降りていくと自転車が一台あったので乗る。電動のはずだけど、初日の説明をちゃんと聞いていなかったのでよくわからない。とりあえず漕ぐ。
途中、小川があった。昨日沼津で渡し舟に乗った話をしたら、りゅういちろうさんが御殿場にはその川の源流があるといっていた。たぶんこのあたり。こんな細い小川が海に。
自転車だと早いけどあんまり周りに目が向けられない。移動という感じ。
パン屋「ベックファン」にはすぐに着いた。焼きたてのパンの匂い。手書きのポップとたくさんのパン。どれもおいしそう。
ここはカレーパンがおいしいとまこぱさんとJPさんが言っていた。グラタンカレーパン、クリームパン、塩パンを買う。
イートインスペースがなかったので、どこか外で食べることにする。
ついでに近くの肉屋「武藤精肉店」へ。初日の夜にJPさんが準備してくれた馬刺しのカルパッチョはここのものだったはず。
コロッケとコーンコロッケを買う。人の良さそうな笑顔の店主に手渡された、紙袋に包まれたコロッケはほんのりとあたたかい。思わずそっと抱く。冷める前に食べたい。
マップのアプリを開いてテイクアウトのコーヒーが買える場所を探す。駅の反対側にあるコーヒー屋のレビューに「ここへ納入される珈琲豆はきっと幸せだと思う!」と書いてあってちょっと気になる。
結局、もう少し坂を登ったところにある「MUSUBI COFFEE LAB」に行ってみることに。
今日は日が出ていて暑い。途中立ち漕ぎしながら自転車を漕ぐ。
ミリタリーグッズ用品店の向かいに「MUSUBI COFFEE LAB」があった。
プレミアムコーヒーをひとつ、と頼むと、店員の方が
「プレミアム、今これしかないんですけど」とコーヒー豆の入った瓶を指す。普段は何種類かあるんだろうか。
「これしかないんですけど、すっっごくおいしいです。久しぶりにおいしいなって思いました。」
「それで大丈夫です」と言おうと思っていたので、本当においしそうな顔で推されて面くらう。ここまで漕いできてよかった。
入口の黒板に書いてあった通り、一杯ずつドリップするタイプのお店。椅子に座って待つ。
「コーヒーお好きなんですか?」と聞かれ、好きです、と答える。
少し間を置いて、お姉さんが
「私もこの仕事をする前は、」
と口を開く。私は普段インタビューを仕事をしていて、こちらから話を聞きに行くことが多いので、予期しないタイミングでふいに誰かの語りを聞けることがあると背すじが伸びる。
苦味のあるコーヒーが好きだったけれど、いろんなコーヒーを飲むようになり、コーヒーの酸味が好きになった話。それに応えて、私は砂糖とミルクを入れないとコーヒーが飲めなかったけれど、コーヒー屋を営む友人が出来てからはコーヒーが好きになったことを話す。
ここに日記を載せているのでとMAWのポストカードを渡す。名前を聞かれたので、余白の部分に私の名前を書く。お店を出るとき、そういえば、と名前を聞いたら名字を教えてくれた。
近くに大きい公園があるはずなので、そちらを目指して坂を降りていく。自転車についているボタンを押したらやっと電動アシストが起動した。
公園は思っていたよりも広かった。レビューにあった富士山が見えるスポットがどこなのかわからない。とりあえずベンチに座る。
風が強く、木々がざわざわしていて、大砲の「どぅんどぅん」という音も絶えず聞こえる。外で食べたら気持ちがいいだろうと思ったがあまり落ち着かない(と、いいつつ結局一時間くらいはそこにいたと思う。)
カレーパンを一口だけかじり「これはあっためた方がおいしい」と思ったので袋に戻す。コロッケ、クリームパン、塩パン(半分だけ)を食べて、あとはちびちびコーヒーを飲む。雲の流れが早い。
やっぱり落ち着かない、と思っていたら芝生の整備が始まり、さらに芝刈り機の音が公園内に響く。退散します退散します。うつくしい芝生はこうして誰かの手が入ることで保たれているんだなと思う。
坂を下っていけば街に戻れるはずで、適当に自転車を漕いでみたが何度も人のお家の敷地内に迷い込んでしまう。(これを書きながら地図を確認したら、袋小路になっているエリアだった) 何度も迂回をしてやっと広い道に出られた。
適当に走っていたら、さかいめ交流会の会場だったお店のあたりまで来た。なんとなく街の位置関係がわかってきた。
藍染をまだやれていない。藍染用に買ったシャツのボタンをつけかえたら素敵かもと思ってこれまたレトロな手芸店に入ってみたが、気に入るものはなかった。店先ではおばあちゃんたちが楽しそうに編み物教室をしていた。
noctariumに戻る。自転車を停めていると、「あら、なんだか毎日会っているね」とエリカさんが降りてくる。「昨日、渡し舟に乗ってきていたなんて本当に驚いた。しかもたまたまだったんでしょう」と言われて、そうなんです、と少し立ち話をする。リアルタイムで街の人が私の日記を読んでくれているというのは不思議な体験。
カレーパンをあたため直して食べる。おいしい。すぐろさんとも少し話す。昨日の夜、夜の街はほとんどお店がやっていなかったらしい。街歩きをし、歴史の話をしたとのこと。最初の目的とはちがったけど、いい時間でしたと言っていた。
部屋に戻り、れいんさんの「日記の練習」を読み、あとはひたすら眠った。よく寝た。なかなか取れないこの疲れは、旅の疲れなのか、日頃の蓄積疲労なのかわからない。7時。部屋の外がにぎやかになってきた。今日の交流会は一番人が多く参加するらしい。ここまで書いて部屋を出る。(今日は朝ごはんを食べて寝ただけだから短い日記になるだろうと思ったのにこんなに長い)
富士山文化ハウスの方々、地元の人、過去のMAWの滞在アーティストの方、今度noctariumでバーレスクのショーをするというダンサーや音楽家、帽子職人の方。いろんな人がいた。長野のゲストハウスで働いていた頃は、こういうご飯会を企画する側だったので不思議な気持ちになる。
一旦外に出て、駅のコンビニで御殿場ビールを買う。初日にピルスナーをいただいたので今日はヴァイツェン。水がいいのか、絹みたいにするするとした喉越し。絹を飲んだことはありませんが。
今日のご飯会のゲストシェフはクルミちゃんのお父さん。「娘がお世話になっています。友達ができたと言っていました」と挨拶され、こちらこそと頭を下げる。
JPさんのお友だちが来ていて、「村人Bです」と自己紹介される。JPさんに、「今年はまだあんまり旅人の人たちと話せていなくて。この人は、パンが好きということしかわからない。パン姉さん。」と紹介される。たしかにパンの話しかしていない。
途中、音楽家の方がギターを演奏してくれた時間があった。りゅういちろうさんがギターに合わせて即興で歌い、みんなで輪になってそれを聴いた。動画も写真も撮らなかった。
いい場所、おいしい食べ物とお酒、いい音楽があるところには気のいい人たちが集まってくる。
ダンサーの方とすごくいい話をして、メモを取りたい、と思いながら、でも全部を記録しなくてもいいと思って、ただ聞いた。
作れって言われて作る、書けって言われて書くんじゃなくて、こういうなにをしてもいい余暇があって、人と出会って話して、自分に向き合って、それでいいものが生まれる、みたいな。そんな話。
明日は温泉に誘ってもらったのでたぶん行くと思う。予定のない一週間もあと半分。