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町田有理「裾野は続くよどこまでも ーつくらないまちづくりのおすそわけー」(滞在まとめ 裾野市東地区おやじの会)

「お裾分け」とは、「頂き物をさらに人に分け与えること」だという。
3日目の日記で「すそのひろがり」と書いたからか、東京に戻ってから実家で「すやまうどん」や「米焼酎 新(あらた)」を振る舞いながら、はたまた別の都市でワークショップを開いているときも、今回いただいたものをどのようにお裾分けしていくことができるか考えていた。

7日目に地元の方の紹介で駄菓子屋陽だまりや、みしまやに寄ることができ、地域の見守り役としての駄菓子屋・土壌をつくる酒屋という視点をいただいた。そのことを日記を書き綴っていくと、「なぜ裾野を旅した時のように実家近くの品川宿の方々と話しが出来ないのだろう」という問いに至り、東京に戻ってからさっそくフリースクールを兼ねた駄菓子屋を訪ねたりし始めている。

頭の中で裾野が四方八方に広がり続けて収拾がつかなくなってきているけれど、分けられて・分かりながら・分かたないことを見つめた滞在中の一週間を振り返りつつ、旅人という今現時点での立場だからこそ書けることを書きたいと思う。

まろやかなのに辛口。まるで日本酒のような米焼酎でした。

●裾野市に滞在させていただいた経緯と7日間の記録

“袖”振り合うも多生の縁とは言うけれど、”裾”野ではなぜ100名規模の人々が何にもしないために集まるのだろう。

(MAW2024応募時の文章より)

コロナ禍以前に地域芸術祭のコーディネーターとして、アーティスト・行政・施工業者・地域の方々・ボランティアの間でアート作品の公開と運営に携わっていた私は、アート作品や建築などのモノ、いわゆるハードをつくることのない場の運営やまちづくりが実現されている場をとにかく見てみたかった。

そしてちょうどMAW応募時に国立市で「ただの店」というプロジェクトに参加し始め、再びワークショップの企画を練るようになったことも大きい。真面目に企画を練りつつ、いざ場を設えるときには、いずれ参加者となる方ができるだけふらっと立ち寄れて、各々のペースで没頭できる時間を持ってもらえるようなゆるい場を設けたいと思っていた。

裾野から戻り、9/28(土)に国立市で実施した工作ワークショップ『ただならぬみせ』(ただの店プロジェクト)。特に当日の運営面で裾野での滞在経験を活かすことができたと思う。

これまでとこれからの自分にとって裾野は、必ず何か場づくりのヒントを拾うことができる場所だと直感していたので、今回の旅では、『何にもしない合宿』の場づくりの手法をとにかくつぶさに見ること、そしてその方法を取り出し、できるだけ地元の方々の言葉も借りながら、その価値を自分の言葉で、裾野の方々とこれから裾野を知る方々の双方に伝えることを意識した。

滞在7日間の日記
 1日目「ただならぬ市民たち
 2日目「目をすます・耳でみる
 3日目「すそのひろがり」※『何にもしない合宿』の実施日
 4日目「根をゆく水は痩せて澄みつつ
 5日目「ポポー
 6日目「よそ見するモビリティ
 7日目「語り部・天狗・女神たちと雷神

●あってほしい施設も、あって困る施設も、つくらないようにする

冒頭にハードの話をしたので、まずは裾野の雰囲気を感じていただくために、7日間を過ごしてみて裾野にあってほしいと思った施設を書き出してみる。すると3つだけだった。そして、そのどれもが書き出してみると、かえって今のままがいいのかもしれないと思ったり、裾野だけに限らない話だと思えるものだった。

・宿泊施設
Airbnbなどを含めても、裾野駅から徒歩圏内には、お世話になったホテル寿々木の他に宿泊施設が無かった。完全な素人考えだけれど、ホテルは連日満室だったので、駅前のシャッター店舗のある区画がゲストハウスになるなどしたら、混雑が緩和されそうだ。
とはいえ、トリプルに旅人3人で泊まった一夜は、関かづみさんの作品のテストをする機会にもなり、セレンディピティに満ちていた。全くの他人同士の同室は困るけれども、こういった機会が生まれてくるなら、ちょっとした不便でも買いたいのも事実。

・博物館や資料館
図書館と一体型の形式でも良いので、郷土資料を閲覧・鑑賞できる場があると嬉しい。
けれども、そういった常設施設が無いからこそ四面女神像の公開日に合わせて茶畑浅間神社を訪れようと思うのかもしれないし、地の文脈と切り離されない文化財鑑賞が可能になるのかもしれない。文化財は間近に観られることだけが良いことではないと思う。

・パソコン作業をしてもよい地元カフェ
コメダ珈琲店以外にパソコン作業をしても良い地元カフェが見つかったら、そのカフェで日記を書いたと思う。
かといって、個々のお店の方針を曲げてまでリモートワーカーを受け入れる必要はないし、集ったリモートワーカーが裾野のまちづくりに与える影響は未知数だ。単純に私が今回、地元カフェを訪れる時間が作れなかった後悔からそう溢しているだけかもしれないので、次回の滞在時には、カフェを巡ってみたい。

土日は市民体育館もスケジュールがびっしり詰まっており、集会所も『何にもしない合宿』に活用されているようだった。これまで暮らしてきたいわゆる過疎地域と呼ばれる地域にみられるような、あって困っている施設が、私が見た限りでは見当たらなかったことも街の特徴だと思う。
地元の方々から伺った公共交通面の課題(シェアサイクルとバスの少なさ)のほかには、インフラの需要と供給がマッチしているように見え、地域活動の盛んな様子と施設活用の仕方がとにかく格好良かった。

裾野東消防団のテニスクラブは、市民体育館のテニスコートで行われている。

●つくらないまちづくり

学校の体育館のみならず、今では裾野市内各所の集会所でも実施されている『何にもしない合宿』とは、本当は誰かが“何でもする合宿”だったり、“何にでもなる合宿”なのかもしれない、という予想とは裏腹に、本当にただ集まることを目的としたお泊まり会だった。

“夕食も入浴も済ませた状態で寝袋だけ持って集まり、遊んで寝て遊んで帰るだけ。参加者は毎回100人を超えるが、企画がなく準備も必要ないため毎月開催していても負担がない。”

ホストの小田圭介さんの記事より引用)
参加する子どもたちは続々と集まり、朝が来ると少し名残り惜しそうにゆるゆると帰ってゆく。

「ただ集まる」と形容するとその価値を貶めているようだけれど、私が参加者の彼らと同い年の頃は、何にもしないつもりで無目的にただ会えたり集まったりできたことはないから本当に貴重な時間だった。

滞在最終日にカレー屋小松のご主人がポツリと、「誰か大人や年上の子が小さい子を見守りながら遊ぶなんて、俺らの時代は普通だったんだよ…めずらしいことになっちゃったんだなぁ…」とおっしゃっていたけれど、私にとってはこれも怪しまれるなどして、まったく普通ではなかったし、もっと言えば滞在中、小田さんの奥さまのフローリーさんに「ゆりさんは有り難うと言い過ぎです」とにこやかにたしなめられていたけれど、地域の会というのは見守り役の大人の尽力があってこそ成り立っており、そこに有り難さを発見することこそ、コミュニティに属し続けるための作法だと思っていた節があったので、裾野の方々からすると“有り余る”日常は、人生の大半を東京で暮らしてきた私にとって、なかなか無い事という本来の意味でも“有り難い”ことだった。

「自分の個人的な欲求から企画する」「運営の負担を極力無くす」という『何にもしない合宿』の方針によって、固定概念という透明な鎧を総ざらい点検したように思う。

私はワークショップを企画する時、「参加者の走馬灯の中で思い出されるような特別な出来事になりそうかどうか」という指針で、あえて特異な要素を取り入れて企画を立てる。けれども今回、「場を醸成させることができれば、感情も振る舞いも、つくりごとで無い街のありようは可能だ」と知ったことは衝撃だったし、ワークショップデザイナーとして負けていられないと、エネルギーをいただいたように思う。

世田谷区でのピンホールカメラの原理を楽しむワークショップは、場に合わせた脱線を重ねた。

では、自分が日常過ごしている地域に戻り、『何にもしない合宿』はもちろん、農作業を通したコミュニティも無い場合に、裾野東地区のように地域が意識のそこここにある状態を作るためには、どうすれば良いのだろう。

●何かひとつスポーツのルールをリデザインしてみる

「一度やってみたら必ず理解してもらえるはずの『何にもしない合宿』の必要性が、周囲になかなか伝わらないんですよね」

目を輝かせながら合宿に参加・視察されていた菊川市と山口県の方々が、ふと我にかえるかのようにその課題感を溢されていたことが印象深かった。
3日目の日記に裾野東消防団の野球クラブの手法を書いたけれど、『何にもしない合宿』を真似たいと思っていて、周囲の説得などの調整がうまくいかない場合、身近なスポーツのルールを創造的にちょい変したスポーツクラブを始めてみるといいと思う。

バッターの味方がピッチャーとなり、打ちやすい球を投げる。

その理由としては、小田さんがおっしゃっていた、「スポーツクラブ活動であればどんな大人も説得しやすい」ことがまず一つあるが、(コロナ禍であらゆる集まりが禁止された世間で唯一許された集まりが、身体を動かすスポーツクラブだったという)『何にもしない合宿』を重ねる上で互いに培っていく「価値観がバラバラになっていく中での共通感覚(他者を思いやる想像力)」や「ゲームのルールは守ってみようとするから面白い、というモラルのようなもの」は、こどもたちが参加するスポーツクラブに凝縮されており、合宿と地続きになっていたからだ。

最近は丹念にデザインされた障がい者スポーツに注目が集まっているけれど、『裾野式ちょい変野球(と勝手に呼ぶ)』には、年齢性別関係なく参加者を募った場合、通常はハンデをつけなければ成立しない野球が、個々の特性にもフィットして、勝敗のつく面白さを維持しつつ成立している感動があった。ここには、すでに多くのファンを獲得しているスポーツならではの、3〜4世代を越えて同じ話ができる良さもある。

『裾野式ちょい変野球(もっといいネーミングがないだろうか)』は、ワークショップデザインであることを越えて地域アートだとすら思うし、ゆくゆく団体や行政が市民のまちづくりへの関わり方をデザインする際の参照点にもなるだろうとも思う。だから今、まちづくりに課題感のない地域(というのがあるのかはわからないが)にも、おすすめしたい。

そして、私自身も小田さんに負けじと様々なスポーツのルール編集を考えてみたいと思う。

●意見交換会をトライアングルにする

『何にもしない合宿』が当たり前にあり、年齢の境界を越えて関わり合う文化があるためなのだろう。合宿の翌日に行われた意見交換会は、地元の方々とアーティスト(旅人)、という一般的な意見交換の構図ではなく、裾野東おやじの会の若手メンバー間で忌憚のない意見と議論が飛び交って白熱しているのを圧倒されながら聞く会だった。例えるならまるで『十代しゃべり場』に身を投じたようで、双方の話しに自分が何を思い、どう創造的な問いを挟むことができるだろう、と考え続けたスリルとライブ感で強く印象に残っている。

彼らの議論はとっくに30代を迎えている自分自身も直面している課題ということもあり、劇的な解決策は提示できなかった。けれども、押し付けがましい持論として、会話とおにぎりは三角形になればなるほどよく転がる。やや膠着した双方向の議論に触媒として入っていくトライアングルな意見交換のスタイルは、旅人として数日しか地域に入っていない身の程での距離感を保つことと、参加しないキャンプの運営を自分ごととして聞くことの両立を可能にしていたと思う。

そうして最終的に、個人レベルにまで分解されたコミュニティ運営の課題をクリアしていくためには、それぞれがそれぞれの得意なことを発揮していくだけでチームの不足が自然となくなっていくだけの人数、分母が必要だということをひしと感じるに至る。そうなって初めて「地域の課題解決」という巨きな目標は、私たち事になっていくのだろうとわかった。

もっとも小田さんにとっては既にそれは、大人スタッフの人数を増やせるようにスポンサーを獲得する、という具体的なタスクにまで噛み砕かれているようで、意見交換の場で小学生のお子さんにスポンサーを獲得する方法をレクチャーされていらっしゃって驚いた。

では、自分が『何にもしない合宿』ができない地域や、裾野市おやじの会の方々にもたらせるものとは何だろうか。

●わかりにくいものと関わり合っていく楽しさを引き出す

ワークショップデザイナーの私は、どこにでもあるものをどこにもないものにしていく過程、そしてその出来事を写真に残すことを大切にしている。

ギフトボックスに見立てた白いダンボール箱を手渡し、50名近くの方々に想い想いに使ってもらう過程を記録したプロジェクト“The Gift of the Magi"。

そのため私自身がどんな作品が作れそうか、というより、「『何にもしない合宿』に価値を感じている方々に取り組んでもらったら、どんなアウトプット(方法や物語)が引き出せるのか見てみたい」という視点で書く。

『何にもしない合宿』より、集会所での『何かする合宿』向きかもしれないけれど、もし一度試してみようと思ったら、Xインスタグラムで気軽に声をかけてください。材料とともに駆けつけます!

1. ホワイトボードアニメーションを作ってみる
ホワイトボードにマーカーで絵を描いているところをただスマホで撮影して高速再生し、オリジナルアニメーションを作ってみたい。

『何にもしない合宿』でバレーボールをしたり、カードゲームに興じている彼らを見ていて、もし私が彼らの年齢でその場に居たら何をするだろう、と考えた。そもそも活発さとは縁遠い私は、最初は親に連れられて、しぶしぶ合宿に参加するのかもしれない。そしてホワイトボードに目をつけ、じっと見ていると、ほんの少し絵の得意そうな年上のお姉さんがやってきて、おもむろにペンを手に取って絵を描き出したのを真似して過ごす…ということになるのではないだろうか。

そんなことを思いながら合宿中、壁のホワイトボードにペンを走らせ始めると、すかさず少し前にフラフープを教えてくれていた女の子たちが走ってきて、私から奪ったペンでハートや星に囲まれた女の子を描き出していった。私のイラストは彼女たちのイラストと共に「クレヨンしんちゃんの風間君みたい」の一言ですぐに消されてしまったので、写真が無く残念だけれど、こうして絵を描く子が現れたり、新たに合宿に来るようになったり、そのうちもう少し大きくなれば、美術に関する本やマンガを一緒に読んだりするために参加することもあるかもしれない。そんなこどもっちたちの層も増えていくといっそう面白いだろうな、と思ったし、私がスタッフとしてこの合宿にもたらせるものがあるとすれば、そのような関わり方になるだろうと思う。

2.白いダンボールで秘密基地やモビリティを作ってみる
160サイズくらいの大きなダンボールを20枚とガムテープ、ダンボールカッターを数本持ち込んで、興味のある子と一緒に秘密基地を作り、その基地にポスカで絵を描き加えたりしながら一晩過ごしたい。あるいはトヨタのWOVEN CITYを題材に、自分たちのやりたいことすべてを反映させたひとつのモビリティを作ってみても面白いと思う。

神田祭で有名な地域のコミュニティ施設で行った、みんなで担ぐことのできるお神輿を作って担ぐワークショップ。この神輿は様々な背丈で担ぐことができるよう紐で高さ調整ができる。

というのも意見交換会で、「問題が起こらないような運営を事前ミーティングで緻密に計画したい」という意見があったことが気になっている。準備はもちろん、入念にするに越したことはないけれど、人が100名も集まれば問題が起こるのは必須だと思うし、心配し過ぎて“何にも起こらない合宿”になってしまっては、どこか味気ない。だから、イベントの運営のような正解がない工作ワークショップをしてみることで、即興で方向性をすり合わせていく楽しさを見出して一緒にほぐれたいと思う。

イベントの運営となるとどうしても、正確に受付をする能力だったり、喧嘩を的確に仲裁できる技量が求められるのかもしれない。けれども、うまくいかないことや、苦手なことを、互いの思考の読みきれなさも含めて面白がることができる不思議がアートにはある。その方法に一度でいいから触れてみてほしいし、私はその発言者の方の作る立体はきっと配慮に満ちたものになると思うから、純粋にそれをぜひ見てみたい。

また、それとは別の切り口で、静岡県は南海トラフ地震や富士山の噴火に備えを固めている防災県だと聞いている。これは何らかの災害に見舞われ、避難所生活を強いられた際に、自分たちの手で創意工夫して暮らすトレーニングになるので、消防団ベースで開催することには相応の意義があると思う。

子どもたちのリクエストに応じる方もいれば、ひたすら思うまま創作に励む方、構造を見る方など様々なダントツが、なぜかそれなりにひとつの形に組み上がっていく様子が見られる。

もっとも裾野は、広域避難訓練を地域運動会のような行事にリデザインして広められそうなポテンシャルに満ちていると感じるほど元気。とはいえまずは運営に負担がないことが継続の秘訣、という合宿の指針を大事にして、壮大なプランはほどよく落とし込めるようになるまで温めておきたい。

最終日に教えていただいた溶岩流や平安時代につくられた四面女神像からも強いメッセージが発せられている。しかし、私がこのことを扱うにはまだまだリサーチが必要だ。


●水の合わさる山裾同士の連携

裾野を歩くと、あちこちで水の流れる音がする。

溶岩の岩盤と闘うようにしてできた人工河川「三間堀川」。

4日目の日記を公開した際にX(旧Twitter)で、裾野を流れる水は富士山の雪解け水と芦ノ湖からの深良用水とが合わさったものと教えていただいた。(リアルタイムで日記を読んでいただいたことに驚きました。改めて感謝!)

五竜の滝を見ていてなんとなく、北アルプスの山々の水が合わさる長野県大町市の大町ダムに似ているな…と思っていたところ、なんと1日目に市役所でいただいた『SUSONO STYLE』誌面で裾野市の「すそのん」と長野県大町市のゆるキャラ「おおまぴょん」の2ショットを発見してびっくり。

頭に富士山と北アルプスをのせた妖精キャラ。生き別れた兄弟のように激似。

7日目にみしまや四代目の江森さんが、「御殿場でも三島でもない裾野の良さを出していきたい」とおっしゃっていたけれど、そう考えると、北と南を御殿場と三島、白馬と安曇野というように知名度のある都市に挟まれているという点でも、2つの市には共通点を感じる。

滞在3日目に裾野東消防団が相馬市とパートナーシップを結んで、東日本大震災の際に支援に赴いたという話を伺った。裾野市が他の市と「山裾の市」という括りでそれぞれの生活をシェアしていくと、いざという時に自分ごととして助け合うことができるし、各々の個性がいっそう際立つ気がしてならない。

●ポポーを待ちながら

このように裾野でのことをまとめていたら、思考がとめどなく流れていくのを感じた。応募時の直感に違わず、裾野での生活をお裾分けいただいて、本当に充実していたし、今も充実している。そして、これからも充実させていくことができるに違いないという、謎の確信に満ちている。

小田家のみなさま。そして、アーツカウンシルしずおか、そして旅人のかづみさん、ゆらこさん、裾野で出会ったみなさま。

様々な種を、有り難うございました。

いずれまたと言わず、10月13日(日)に四面木造女神像を観に行きます。
何かの芽が出たときは、ぜひ報告させてください。

自分の思考そのものとなっている、5日目の日記のポポー。

これからますますの、すそのひろがりでありますように。

では、また!

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