早渕仁美「自分にとっての真実。(滞在まとめ)」
朝、滞在し始めたビジネスホテルのテレビから、
「普通に暮らして、
普通に過ごしたい」
という声がした。
吉田町は車社会で、どうやって巡ろうかと最初移動手段を探しあぐねた。
結局、車でも自転車でもなく、自分の足を選んだ。
人ん家の前、休みの学校の横を徒歩で進む。
フェンス越しに雨上がりの校庭を眺めながら、左から右へ、長い尺の映像パノラマ1ショットを丁寧に観賞する。
誰もいない。誰もが、私が吉田町にいることを知らないまま、私も誰のことも知らないまま、自由に歩き、眺めた。
それが吉田町の歓迎スタイルのような気がして、心地がよかった。
疎外感ではなく、孤独感でもなく。
歓迎に感じたのは、ただ家と畑と、川と雑草、橋に車が通って、高校生が遠くに歩いている、その様子が本当にただ単にあったからかもしれない。
小山城跡にある資料館に、吉田町のポスターが貼ってあって、それが印象的だった。吉田町は観光地はないけれど、これがあるよ、みたいな内容で。
観光地ないんだ!って思った。
ないと言う。吉田町は何にもないから、という町の人の口癖は、あると言うことでないことになってしまう畑や川の景色、人の営みをそのままにしておくすべだったのかもしれない。
この旅はディティール旅になる。
そう思って、自分の足音や、
傘に当たる雨音、お天気雨に日が差して明るくぼんやりと照らされる茶畑なんかを眺めていたのだけど、そういったことが聞こえなくなるぐらい、旅の途中で次は町人のみなさんに町の案内をしてもらえることになった。
内容は日々のnoteに記したけれど、何もないという言葉とは裏腹に、沢山の出来事が起きていた。そのスケールは、様々。
庭先の無人販売で売っていた野菜の食べ方を教えるために食堂になっていった経緯とか、
この辺りのうなぎの養殖が、誰かが稚魚を池で養殖して成功したのがきっかけだったこと、
シラス漁にて、気候変動と密接に関わっていることを、漁師の皆さんが感じていることなどなど。
静かだった吉田町から、自発的な音がしたようだった。
そこで平然と暮らす人々の、当たり前が、飛び込んでくる。
海がそばにある吉田町。
津波のための立派な避難タワーがいくつもある。
避難タワーには初めて登ったし、初めて見た。
町の人に聞くと、そうそう、あの震災を受けて設置されたんだよ、と。
タワーからは、住宅が見える。
洗濯物を干した家、自転車で行く人、港まで。
向こうからもこのタワーが見える訳であって、今起きてはいないこと、起こるかもしれないことのためにあるもの。それが日常の景色を作っていた。
つまり、これが吉田町の普通の景色。
普通であるということ。
小山城跡の芝生広場に腰を掛ける。
また、小さな音が聞こえ始めた。
私がベンチに座っている間、後ろの垣根越しに、誰かが車で帰ってきた。広場の向こうには、一人で虫を採集するお父さんがいる。
その近くには、ホストのえはらくんのコーヒーショップがあって。
正面の木々の景色に、犬が入ってきた。それを連れるお父さん。犬が一歩あるいたら、お父さんも一歩あるく。
一歩あるいて、一歩あるく。
一歩あるいて、一歩あるく。
それを目で追っていたら、犬とお父さんが車に乗って、駐車場をゆっくりと出て行った。
この静かな出来事と、
うなぎの養殖場の水の大きな音。
そして、避難タワーが日常の風景と化した景色に秘められた、
当たり前の延長線にある、未来の行方。
記憶の中でひとまとまりにある。
一歩あるいて、一歩あるく。
観光地があるかないかよりも、
一歩をあるく時に、心がどんな風に動くのか。
普通とは、自分の中にしかない。
ささやかな足音。
活気のある人の声。
この対比が私の吉田町を作っている。
あえてこんなことを言いたい。
吉田町の旅は特別なもの、
私の普通ではなかった。
旅をさせていただき、ありがとうございました。
心から感謝しています。
ここからは謝辞です。
共に旅をしてくださった、
ことあるごとに真っ直ぐ通った筋に整え戻してくれる関口彩さん、
吉田町との架け橋になってくださったホスト役の、
コーヒーを通して地域やもっと広い景色を見ているえはらさん、
近所の人も旅人もいつも笑顔で迎えてくれるななみさん、
そして急遽町を案内してくださった、
地元を愛し、すさまじいパワーで町を盛り上げている福世さん、遠藤さん、
ご自分の活動をご紹介してくださった方々、
旅人の一人ひとりを見つめてくださっているアーツカウンシルしずおかの石川さん、若菜さん、
そして、今も豊かな吉田町の景色を作っている吉田町のみなさん、
ありがとうございました!!
今でもすぐに景色が思い出せます。