風音「ずーっと待ってるしかないです」(五日目)
悪夢を見ていて、自分の「ヴァッ」という声で起きる。二度寝。
部屋を出ると、すぐろさんと鈴木さんが朝ごはんを食べていた。私は昨日の残りの塩パンとコーンコロッケをあたため直して食べる。
鈴木さんが、二岡ハムとパンを分けてくれた。冷蔵庫に入っていた残りものの野菜でサンドイッチに。一気に豪華な朝食。お返しに、近くの果物屋で買ったみかんを一つあげた。
それぞれがそれぞれのテーブルで朝ごはんを食べながら、旅の話をする。台湾とジョージアとアゼルバイジャン。すぐろさんは、2月は宿の仕事が落ち着くため、そこで旅に出るらしい。私は今の仕事が落ち着くのは3月末。4月は旅に出たい。
のんびりしていたら12時近く。今日は小原さんのところに藍染体験に行く。「いつでも暇だからいつ来てもいいよ」と言われていたので、特に連絡を入れず、二日目にキングファミリーで買ったシャツと財布だけ持って出かける。
なんとなく、地図アプリは開かずに行ってみる。看板や道の感じを頼りにたどり着くことができた。
のれんが出ていて、入り口も空いていたけれど中は暗い。お昼休憩で出ているかしら。「すいませーん」と中に入っていく。お座敷で四代目がお昼寝をしていた。「すみません」と小さく声をかけると目が開いた。
「まぁ、座って」と促され、椅子に座る。奥から五代目も出てくる。
「ポイントカード、作りました?」と聞かれる。初めて工房に来たとき、「染めるための服を探すなら、キングファミリーがいい。ポイントカードを作ったほうがお得だから、絶対に作ったほうがいい」と念押ししてくれていた。「作りました」と答えたらにっこり笑ってくれた。
まずはシャツの重さを量る。藍染め体験は染めたい布の1グラムあたり33円〜からできる。シャツは450gほどだったので、だいたい15000円。「どうしますか?」と聞かれる。ちなみに、私は服は人からもらったりフリマやセカンドハンドストアで買ったりすることが多く、1万円を超える衣類は滅多に買わない。が、特にひるむことなく「大丈夫です、よろしくお願いします」と答えていた。
シャツを机の上に広げ、下から上に向かって濃くなるようにグラデーションに染めてみたいと伝える。
「うん、できると思いますよ。俺がやりますか?自分でやってみたいですか?」
やってもらうこともできるのか。でも、自分でやりたい。「自分でやりたいです」と言う。
「よし、やりましょう。じゃあ、まずは水で濡らします」促されるまま、水を張ったタライにシャツを浸してまんべんなく濡らしてから絞る。水がつめたい。
染料の瓶がならんでいるところに移動する。8つ並んだうちの一つに、シャツの襟口側を数センチ浸す。
「あとはずーっと待ってるしかないです。」
え。もっとじゃぶじゃぶと何かするのかと思っていた。時計の針を眺めながら、3分ほど待つ。「あげましょうか」と言われ、つけていた部分を引き上げてよく絞る。藍液は生温かく、少しだけぬめりがある。
今度はシャツを広げて置く。酸素に触れることで、藍色に発色するそう。そしてまた待つ。徐々に色が変わっていく。
これって、もしかして結構時間がかかる? とようやくわかる。30分くらいでできると思っていた。3分漬けて、絞って、広げて、3分待つ。グラデーションの一段階を作るのに約10分。
ただ長く漬けていれば濃く染まるわけではなく、空気に触れさせることで発色するため、何度も引き上げて絞って、を繰り返さないといけない。
藍液は、焼き魚みたいな匂いがする。発酵の過程で出る匂いなのか聞いたら、干物工場から出る灰を使っているかららしい。これまでは産業廃棄物として捨てられていた灰を引き取っているそうだ。ごみとなるか、資源となるか。マッチング次第。
瓶の近くにしゃがんでいたら、「ずっとしゃがんでいると疲れますから」と五代目が椅子を出してくれた。
「みなさん、『すごいのを作りたい!』と仰るんですが、体験ですごいのができたら職人はいらないわけですよ」と五代目。
いわゆる「藍色」と聞いて想像する濃い色に染めるためには、40回近く瓶に漬けないといけないそうだ。ムラを出さずに均一に染めるのもとても難しいらしい。
「グラデーションじゃなくて、全体を濃い色に染めてもきれいかも〜」と思っていた今朝の私よ……。
3度ほど漬けたところで、「色がちょっと薄いな。こっちの瓶に変えましょう」と別の瓶を指される。
「濃さが変わるんですか?」
「最初の瓶は、昨日使ったやつなんですよ。疲れて染まりが悪くなってる」
「疲れているというのは、液が?」
「そうです。 液の状態は、日によって違います。何度も染めているうちにだんだん弱ってくる。数日置いておくともとに戻りますが、弱りきった液は継ぎ足すことはできません。捨てないといけない。」
だから藍液の瓶はいくつかあって、状態を見て使い分けたり、古いものを捨てて新しい液と入れ替えたりする。最初に見学に来たとき、小原屋の工房では化学薬品は一切使っておらず、灰汁、ふすま、日本酒、藍の染料を使って発酵されることで藍液を建てると教わった。疲れたり弱ったりする藍液。生きている。
「疲れて染まりが悪くなってる」という言葉に、時間はあるのに疲れが溜まっていて全然原稿が進まない時の自分を重ねる。私の頭には代わりがない。
すぐたとえ話にしてしまう。
だんだん、浸けるのを待つ感覚と、絞って広げる手さばきにも慣れてくる。せっせとシャツを絞っていると、
「体験の趣旨は、大変さがわかることなんです。」と五代目が語り始める。手が汚れる。絞り続けて手が疲れる。しゃがむと足腰が痛くなる。時間も手間もかかる。
でも、大変な思いをして染めた服には愛着がわく。ちょっと敗れても簡単には捨てられなくなる。
五代目の着ている藍染のズボンもシャツも、いろんなところにツギハギがしてある。
「工房で売っているものも、もちろん買ってほしいですよ。でも、買った服と、自分で染めた服では、やっぱり違うと思う」
真ん中くらいまで来たら、一度洗って染まり具合を見る。
白い部分をどこまで残すか悩んでいたら、「白が藍を引き立てる、というのもあります」と言われる。たしかに。
どこまで染めるか、次の予定を気にしつつ考えていたら、「これで残りは俺が仕上げてあとから取りに来る、ってこともできます。いそがなくていいっすよ」と言われる。そういうこともできるのか。結局、納得のいくところまで自分で染め上げた。
追い染めは無料だそうで、数時間後に「やっぱりもっと染めたい」と戻ってきてもいいし、明日また来てもいいし、数年後に色が落ちてきたらまた染め直しにきたっていいらしい。そんな。すごい時間軸だ。
「またいつでも来てください」と言われ、追い染めを口実に私はまた御殿場に来るだろうなと思った。
Noctariumに戻る。昨日温泉に誘ってくれたりゅういちろうさんが迎えに来ていた。シャツを部屋に干し、手ぬぐいと財布だけ持って車に乗せてもらう。
途中、今朝鈴木さんが分けてくれた二岡ハムのお店があった。このあたりは昔アメリカからの宣教師が多くいた地域で、当時の日本はまだ食肉加工の文化がなかったため、彼らがハムの作り方も広めていったと教えてもらう。
丘の上にある富士八景の湯へ。なるほど天気が良ければここにババーンと富士山が見えるのだろう、というひらけたところ。あいにくの曇り空。でも温泉はいつだってうれしい。
一時間後くらいに、と別れ温泉へ。今日の御殿場は急に冷え込んだのでお湯に浸かれるとうれしい。サウナもあって、普段はサウナが苦手だがなんとなく入ってみる。
秒針を眺めて5分くらい待つ。耐えられなくなって水風呂に入る。肩までつかり、またサウナ室へ。なんだかさっきの藍染みたいだなと思う。一回目より長く待てるようになった。また水風呂へ。
私はサウナが苦手なんじゃなくて、なにもしないでじっとしていることが苦手だったんじゃないだろうか。3回、4回と繰り返す。ととのう感覚はわからないが、サウナ室にいる時間はだんだん長くなった。
帰り道、「行きたいところがあったら寄っていくよ」と言ってもらい、駅の反対側のパン屋「こむぎ」へ。日録を読んでくれていたようで、「ほんとにパン屋が好きなんだね」と言われる。
レジに座った店主のおばあちゃんが、店内放送かのような声量でいきなり「発酵バターのクロワッサン、おすすめで〜す。」と叫ぶので笑ってしまった。おすすめ通りクロワッサンを買う。りゅういちろうさんは子どもの頃によく食べたという甘そうなシュガーバターコッペを買っていた。
Noctariumに戻り、クロワッサンをちょっとあっためて食べる。鈴木さんとすぐろさんも戻ってきて、少し話す。そのままソファーで少し寝ていた。
(夜ご飯会はこれまた夢のようにおいしいご飯がたくさん出てきて、「おいしいおいしい」と言っていたらあっという間に終わった)