平野智紀「はからずも沼津で西周と出会う(1日目)」
沼津・三島・清水町に滞在します、磐田市出身、函館市在住のリサーチャー/アートナビゲイターの平野です。ワークショップが専門です。
静岡県内の出身とはいえ、沼津市のある東部と磐田市のある西部はかなり離れていて、沼津にも数回来たことがあるぐらい。まったく新鮮な気持ちで沼津にきています。今回、沼津駅に降り立って最初に目に止まったのは、イーラde沼津のすぐそばにある、2008年建立というこちらのレリーフでした。
西周(にしあまね)といえば、幕末にオランダへ留学して最先端の学問を学び、philosophyを「哲学」という言葉で翻訳するなど、日本のあらゆる学術的な言葉の基礎をつくった人物です。そんな人物が沼津とゆかりがあることを、今回はじめて知りました。
ちょっと調べた範囲では・・・西周は、明治元年に徳川慶喜の命で創立された沼津兵学校の初代頭取(校長)として39歳で沼津に着任し、明治三年に東京に移るまで、約1年11ヶ月を沼津の地で過ごしたようです。沼津兵学校の記念碑は駅近くの城岡神社境内にあります。兵学校と銘打ってはいますが、数学や物理化学、地理学などの近代的な教育が行われました。東京帝国大学ができるより20年ほど前のことです。沼津兵学校は明治五年に東京に移管され、中央の士官養成機関の基盤となりました。
沼津駅の南口と北口を結ぶガードは、「あまねガード」と名付けられています。西周の沼津時代の旧居があったのがこの辺りだとか。沼津時代の西周にめぼしい著作はありませんが、東京に移ってすぐに『百学連環』(encyclopedia)が著されています。せっかくなので、ワーケーションで西周の沼津時代について少し探ってみようかしらと思います。
追伸:前入りして、9月28日には愛鷹広域公園多目的競技場でアスルクラロ沼津の試合を観戦してきました。中山雅史監督は、私の少年時代のヒーローの一人でした。結果は2-0の快勝。