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木原萌花「水は流れる、交差する、変化?(2日目)」
静岡市清水区滞在2日目は、ホストの次郎長生家を活かす会の高木さんに清水港周辺を案内していただく。
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次郎長さんとの集合写真、こちらは船宿の末廣さんにて
次郎長さんの生きた江戸〜明治時代の港の変遷、米やお茶や海鮮の交易で港町が作られていった歴史を伺いながら実際に港に船や倉庫が立ち並ぶ様子を見ていると、歴史は今に繋がっていることが腑に落ちる。生きるための水、生きるための食糧、物資、道が脈々と変わりながら繋がっている。
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町を歩いていても、常に海から吹く風や、汽笛が聞こえる。意外と町から海は見えないんだけれど常に感じられる。
それも、町がすごく平らだからかもしれない、ほとんど高低差がなく、穏やかに広がっている町。海と同じく富士山も、ずっとは見えないがいつも確かに感じられている。
ランチ時、ホストの高木さんと旅人の皆さんと何かの話で話題に出たが、
「地球は丸い」という認識が出てくる前の、お盆型の世界の真ん中に高い天上界がそびえていて、縁は海が広がっていて・・そんな体感がある。
かといって、閉じているわけではなく、常に外の世界と行き来して動いている。海からも山からも人や物資が行き来して、遠い外国からも届いたり届けたり。町全体が大きな交差点のようだ。
今週から学校が始まっているから、学生服姿もよく見かけるし、歩いていると幼稚園が多い。子どもたちの声が響く。
もちろん洪水や地震、戦争など苦難の歴史もあるが、空気が険しくない、貧しくない。
シャッターが閉まっているお店も多い。
でも悲壮感がない。ただ粛々と、使われなくなっているところがある、という感じ。
古いものを壊して、今必要なものを作り直すにはパワーがいる。
古いものを、ちゃんと古いまま残すにも手間とお金と力がいる。(次郎長生家の改修のように)
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町、の中で、人の営みの中で、自分の持つ性質である踊りというものは、何なんだろうと考える。いわゆるコンテンポラリーダンスの作品群をこの街の人に見てもらったらどういう受け止め方をされるのかな。都会の「個」を扱う踊りを見ても、ここの人たちは大丈夫だよーう!と笑い飛ばすような気がする。