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私道かぴ「撃たれた砲弾の行く末は?(御殿場滞在まとめ)」


撃たれた砲弾は、一体どこに向かっているのだろうか。
それが、御殿場に来て三日目、はじめて大砲の音を聞いた時の疑問だった。撃つ音がするということは、撃たれた砲弾があるはずで、何かしらの的に当たっているのだろう。では、その的はどんなものだろうか。当たった後の砲弾は、どういう手筈で回収されているのだろうか。

滞在中、上記の質問を世間話のように御殿場の人々に何度か聞いてみた。しかし、毎回首をかしげるだけで、そこから会話が広がることはなかった。「確かにそうだねえ」「そんなこと考えたことなかったなあ」と意外そうな反応が返って来ることもしばしばだ。そもそも大砲の音にさえ逐一反応することはないのだ、その先のことを考えてどうなるというのか。

5日目に御殿場のガイドを担当してくださったKさんは、元自衛官だった。尋ねるには絶好の機会だったはずなのだが、聞くこと自体はばかられた。そもそも守秘義務で話すことができないだろうという気持ちもあったが、それよりも、二人の間に漂う雰囲気がそうさせた。Kさんは、御殿場の歴史やガイドについての話題であればすらすらと笑顔で話してくれるのだが、「自衛隊の基地の…」など話題がそちらに向くことがあれば、ピリッとした空気になった。それはおそらく普通にしていたら気づかないほどのものだったが、聞くこちらも「聞けること・聞けないこと」を都度意識していたことにより、いつも以上に鋭く感じた。

ただ、言えないことが多いながらも精一杯こちらの我がままに付き合っていただいたと思う。カマドに「自衛隊の資料館をつくりたい」という人を訪ねて行った時には、「私も広報担当の配属になったことがあるよ」と教えてくれ、各基地にある資料館の話を伺った際には「私も自分の基地の資料館くらいしか見たことない、ほかの基地のものはわざわざ行かないし、見に来るのは大体よそから来た人だね」と話してくれた。しかし、それ以外の、Kさんと自衛隊に関する話はほとんど聞けなかった。なぜ今の職になったのか、自衛官を辞した後にも御殿場に住み続けることにしたのはなぜか、気になることはたくさんあったのだが、近い質問をしても「そうですねえ…」とほほ笑むばかりで、私もそれ以上は聞かなかった。

滞在の最終日、富士山文化遺産センターでガイドをしてくださったKさんに「御殿場に行くと決まった時に、富士山信仰と自衛隊について調べようと思ったんです」と話した。「だけど、自衛隊のことはなかなか聞きにくいな、という感じもあって。丁度御殿場でガイドしてくださった方が元自衛官だったんですが、聞けなかったですね」。するとHさんは「そりゃそうでしょう」と言った。「色んな意見があるからね、そこに関しては。私は軍事力は強化した方がいいと思うんだけど、そう言うと『お前はそっち側か』と言われちゃったりして、そういうわけじゃないんだけど…」と困ったように笑う。

Kさんと話した中で、特に印象に残っている話がふたつある。
一つは、山梨と静岡双方に浅間神社がある話。それぞれ起源は自らの神社だと言い張っているが、裏付ける証拠は見つかっていないそうだ。「僕もね、富士山のこともっと勉強しなきゃと思って山梨に勉強に行ったときに、何も知らないふりして聞くわけ。『この山梨の浅間神社っていうのが最初って聞いたんですけど本当ですか?』って」。答えは想像の通りで、現地の人は山梨の神社の方が古いと答えるそうだ。「でも、そこでわざわざ争ったりしないよ。そうなんだ、やっぱりみんな『おらが里(が一番)』だなと思うだけ。はっきりさせない方がいいってこともあるからね」。

もう一つは、噴火に関する話だった。富士宮で生まれ育ったHさんは、よく聞かれる質問があるらしい。「富士山は火山でいつか噴火するかもしれないのに、その麓に住んでいて怖くないんですか」というものだ。「でもね、同級生に聞いても、怖いっていうやつは一人もいない。富士宮の人は誰も噴火に対して怖いって思ってないんだよ。いつかは噴火するかもしれないけど、まさか自分が生きてる間じゃないだろうって」。
この考え方、以前にもどこかで触れたことがあるなと思ったら、原発を巡る地域で聞いた話にそっくりだった。「安全性に特化している」「いつか来るかもしれないが今じゃない」という危機意識は、もしかしたら地震・火山大国である日本にゆるやかに共通しているのかもしれない。「はっきりさせない方がいいってこともあるからね」というHさんの言葉が改めて響く。はっきりさせない、言葉にしないことで、うまくいっていることもある。

あれは、元自衛官のKさんと駒門風穴へ行った時のことだった。駐車場から風穴に向かっている途中、信号のない横断歩道にさしかかった。その時、向こうから自衛隊の車両が三台続けて走ってきた。Kさんと私が車両の方を見て止まっていると、車両はぴたっと停止し、渡るように促してくれた。さっと渡った後、Kさんは運転席の自衛官の方をまっすぐ見て、何度も何度も頭を下げた。その美しいお辞儀の角度と、まっすぐに向けられた視線が強く印象に残っている。自衛官時代の話は聞けなかったが、その姿勢に、Kさんの仕事に対する誇りを強く感じた。

「御殿場の人は、ぼーっとしているというか、ゆったりした空気の人が多い」。
滞在中、いろんな所でそう聞いた。町を歩いていて感じる雰囲気はまさにその通りだった。しかし、滞在を通して、もしかしたら「ぼーっとしている」のではなく「ぼーっとさせている」のではないかと思うようになった。その裏には、物事をはっきりさせない、日本ならではの気質がよく表れているように思う。それは、あらゆる信仰の受け皿になりうる「富士山」がある土地ならではの姿勢なのかもしれない。絶妙なバランスで成り立っている地域だなと思った。

ストレンジシード静岡で作品を発表させてもらった駿府城公園を「都市の静岡」とすれば、前回のMAWで訪れた東稲取は「海の静岡」で、今回は富士山の麓という「山の静岡」を垣間見た。すべてを思い返しても、とても同じ県内とは思えないほど、文化圏も、見える景色も、住民の気質も異なっている。しかし、今回の滞在で、それぞれにきちんと共通するものもあるような気がしてきた。東海道、旅人、宿場町…。今回触れた新しい要素も鑑みながら、これからも折に触れて御殿場、そして静岡を訪れ、考えつづけたいと思っている。

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