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私道かぴ「御殿場の余裕はなんぞや(1日目)」

最初は読み方もわからなかった。
ごてんば、という地名を詰まることなく読めるようになった頃には、滞在のいろいろな目星もついて、今回は「富士山信仰」と「自衛隊」を基本に滞在をすすめようと決めた。
…はずだったのだが。一日目にして思わぬ方向へ転がっていく。

御殿場に到着後、さっそくまこぱさんの案内でフローリストのエリカさんのもとへ。不勉強でフローリストという名前を初めて聞いたのだが、「花をあつかう人」とのこと。環境問題等を考えてこちらに移住し、お店を構えたのだそう。
自分の畑で植物を育てているのだが、溶岩の土質に加えて、箱根山と富士山に挟まれた盆地ならではの湿気、冬の長さなど植物にとっては過酷そのものであるらしく「種の袋に書いてあるのと色は一緒だけど違う」植物が出てくるらしい。原種にかえってしまうそうだ。「スパルタな無農薬」という言葉がおもしろかった。

名前の話も興味深く聞いた。御殿場にはかつまた性が多くいるので、「勝俣(にんべんまた)「勝間田(かつかんでん)」「勝亦(あかまた)」など色々な呼び方で区別する。御殿場に引っ越してからは、初対面から下の名前で自己紹介したりなど、東京ではなかった文化が新鮮だったという。そう考えると、東京は日本全国の名字が入り乱れている場所ともいえるかも。その後の車中で表札を見ていると、本当に勝又が多くて笑ってしまった。
高根地区周辺は「御厨」と呼ばれていて、徳川時代の狩猟の時からご飯出す役割を担っていたそう。湧き水がたくさん湧いているらしく、お水がきれいなのでおいしいお米がとれるのもうなづけた。知人の御厨さんにそのことを話すと、祖父のお墓が丁度御殿場にあると言う。気づかず御厨の本拠地に入っていた。

正藍染めと養蚕について伺う。長野から蚕種技術を伝えに来た人が移り住んだのが始まりだと聞いて、養蚕の演劇を作り続けている身としてはぜひお話聞きたいと思った。全国どこに行っても養蚕に出会う。蚕に助けられっぱなし。

その後は時間があったので中郷館へ。

郷土資料(とくにわら細工の品々)の展示が豪華だった。聞けば御殿場にはかやぶき屋根の協会があるんだとか。調べると有名な文化財などの茅はここから出ているものも多いのだそう。俄然興味湧く。受付の方が話しかけてくれたので奥の部屋にあった「伝承スタジオってなんですか」と聞くと、主に料理などの伝承をする場所だとか。このあたりでは蕎麦粉よりやまいもを多く入れたふんわりとした蕎麦が名物だそう。あとは水かけ菜漬けがおいしいという。この辺りでどっかおすすめの所ありませんかと尋ねると「とらや工房と秩父宮記念公園」だそうだ。岸信介氏の邸宅があったことを知る。避暑地という言葉がいよいよ実感を伴ってきた。

その後は高嶺の森のコテージ、子ども園、やぎ、吉田神社祭典の練習を見る。練習開始まで時間があったので車中で鈴木さんと演劇界と美術界のちがいや相違点について話した。鈴木さんは美術の文脈を持って演劇祭に繰り出していて、私は演劇の文脈を持って美術の分野で発表しはじめている。お客さんの性質(例えば演劇のお客さんは長い映像作品でも見てくれるとか)の違いをおもしろく聞く。

吉田神社祭典の練習はまさかのテントの中で行うらしく、小雨降るなか光が煌々と灯ったテントの中へあいさつしに行った。どこの馬ともわからないアーティスト二人を快く迎え入れてくれありがたかった。
「今日は祭りの前の最後の練習だけど、雨だから集まり悪いよ」「もっと早くから見に来てくれればよかったのに」と言いながら、最終的には子どもも大人も40人ほどが集まっていた。仕事終わりだろうか、途中からやってきてバチを持って太鼓に参戦する人、鼓で参加する人、笛を吹きながら途中参加の人に会釈する人など、みんながゆるやかに参加していてとてもよい雰囲気があった。子どもたちは祭り当日は参加できないらしいが、みんな太鼓を一生懸命たたいている。太鼓の数が足りなくなったら大人が譲る。まわりの大人も「お前鼓やれー」「やったことねえー」「いいから」「手痛くなっちまうよー。えーできっかなあ」「なあに、やってる振りだけでいいんだよ」など微笑ましいやり取りをしていて、皆がこの練習に積極的に参加しているのがわかる。ほかの地域で見たどの祭りより「やらされていない」風景に衝撃を受けた。皆さん本当に楽しそう。そして、20時を過ぎても室内でなくテントの下で太鼓を打ち鳴らしている姿から、この地域でこの祭りが受け入れられていることがよくわかった。

蚊取り線香のほかに炭を焼いていたのを不思議に思っていたのだが、帰り際に聞くと「子どもたちにバーベキューすんの」と言う。近くのコンテナには冷蔵庫が入っていて、そこからジュースを選ぶ子どもの姿が見えた。祭りの継承のためか、子どもが楽しい場であることを一番に考えているように見えた。話を聞くと6日に神輿とお囃子の巡行があるらしく、同行させてもらえることに。いきなりぼこぼこと予定が埋まり始めた。いつものことながら一週間では到底足りないと思う。

以下、今日聞いた内容をいくつかのトピックでまとめる。

■富士山と天気にまつわる話
富士山がよく見えると雨が近い、富士山に傘雲がかかれば明日は雨、など富士山を見て天気を判断するという。濃霧も度々発生。

■自衛隊について
自衛隊の演習の音は、場合によっては窓ガラスがびりびりするほど響くらしい。朝の7時前あたりから、時には21時頃に鳴る場合もあるんだとか。その音は子どもにどう説明しているのか聞くと、子どももなれっこでもう何も聞かないそう。もしくは、よそから移り住んできて怖がる子用に、防音マフを準備している園もあるのだとか。駐屯地の祭りは普通に盆踊りなので中で何があるのかは知らない。富士山登る途中に「実弾演習注意」という看板もあるらしい。考えれば危ないが、積極的に中のことを知ろうともしてないかも、と言う(「カズレーザーが自衛隊に潜入」というテレビで初めて知った、など)。平日の夕方はスーパーやココイチに迷彩服の自衛隊がいっぱいいるのだそう。最初見るとびっくりするよ、という言葉が印象に残った。
自衛隊の基地に土地を譲ることでお金が入っているからか、焦っている人がいない雰囲気があるという。大きい家が多い印象もある。自衛隊や工場があり流動性もあるが、受け入れつつのんびりした土壌が育まれてきたのか。御殿場の人々の余裕について考える。

■御殿場の自然とは
東京から移住した人の話では目的は「教育移住」だったという。そういう人は多いだろうなと思う。車でなら東京からそう遠くなく、自然が多い地域。最初、高嶺の森に入ってしばし驚いた。自然があまりにもきちんと管理されているからだった。キャンプ場のコテージはまるで家のようで「虫が苦手な人でもキャンプができる」のだという。真ん中にあるのは湧き水を引いた人工池、子どもたちが通う幼稚園の周りの木々があまりに美しく切られていてぎょっとした。何か、自然(といわれているもの)の中に人間の作為を感じるとドキッとする。この風景どこかで…と思い出すと軽井沢に近い印象だった。東京に近い「自然」はみんな似通っていくのだろうか。

一日の最後にスケジュールを立てていたら、行こうと思っていた胎内巡りは山梨のほうだったらしい。これも何かの縁だと思って、御殿場の方はきちんと行きたいと思いなおした。月曜以降に期待…!

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