町田有理「ただならぬ市民たち」(1日目)
何も起こらなさそうな名前の場所では必ず小さな大事が起こる、といつの頃からか信じるようになっていた。現に九月の私の予定帳は「何にもしない合宿@裾野市」と「ただの店@国立市」の2つで埋まっている。ほとんど言葉の魅力だけを頼りに重ねていく選択が自分の中で唯一のアーティスト(ワークショップデザイナー)らしいところだと思う。
MAWの旅人は2回目。今回は裾野市おやじの会さんの『何にもしない合宿』に参加させてもらうべく、18日(水)まで静岡県裾野市に滞在する。
正午過ぎに裾野駅に到着し、すし・魚料理 大和でお昼を食べ、鈴木図書館で郷土資料を探した後、裾野東消防団の詰所に集合。『何にもしない合宿』の顔合わせも兼ねて、向田小学校の生徒さんたちの集団下校の列に加わる。
裾野駅近くの東小学校との統併合に向けて、新しい通学経路に慣れるための訓練を重ねているのだそうだ。
校舎から生徒さんたちが出て来て列をなす間、下校を見守るチームの方々に「アーツカウンシルしずおかから派遣されたアーティスト」と紹介いただいた私は、赤地に黄や緑模様のシャツ姿。少し前に網走刑務所を旅したというゆらこさんのかぶるキャップには「ABASHIRI」の文字が文字通り颯爽と走り、関さんのトレードマークのブルーの丸メガネはとってもチャーミング。ともすると少し距離を置かれてしまうかもしれない風体だったけれど、朗らかなみなさんの振る舞いと「小田っちのお客さん」で通じる信頼関係の確かさに、かえってこちらの緊張が溶けるようにほぐされていく。
すっかり童心にかえり、こどもっちたち(生徒さんたちのことを小田さんはそう呼ぶ)に混ざって横断歩道を手を上げて渡ったりしていると、小学校低学年くらいの生徒さんがふいに、ゆらこさんに話しかける。
「ねぇ、(ゆらこさんは)ここの人?」
「ううん、ここの人じゃないよ」
「じゃあ、(誰かの)お母さん?」
「ううん、違うよ」
じゃあいったい…?という次の質問は、狐につままれたような表情の彼と一緒に学童保育ルートに飲み込まれ、ついに種明かしされないままになってしまったけれど、たまにはわからないこともおこるんだなぁと、わくわくするふしぎ体験になっていることを願う。
炎天下を無事に集団下校を見守った後、市役所で丹念に編集された広報誌『SUSONO STYLE』をいただく。閉庁間際の訪問にも関わらず、職員さんが資料を丁寧に整えて手渡してくださって、これが裾野スタイルか、と思う。
夜はホストの小田さんのお宅にお招きいただき、奥さまのフローリーさんお手製のルーマニア料理、サルマーレをいただいた。
「アーティストとは何か」「旅人は滞在中に何ができるのか」という話をしながら平らげて一段落着いた頃、小田さんの提案で小田家のみなさんと総勢8名によるコミュニケーションカードゲーム『人狼』が始まる。
旅人は3人ともこのゲームが始めてで左見右見するも、小田家のみなさんのレクチャーで、次第にその面白さを難しさごと理解していった。
当初は「私はただの市民だよ」と、各役職が与えられたプレイヤーが市民のふりをするのが上手いほどゲームが盛り上がるのだと理解していたけれど、小田さんによると、ゲームマスター(場の進行役)が、いかに場を盛り上げるディレクションを都度重ねていくかが、ゲーム全体の面白さを助長し、そのスキルがそのままワークショップの場においてのファシリテーション力に比例するのだそうだ。
…なるほど、すると私たちは「アーティストとは何か」という先ほどの話題のこたえのひとつをホストの小田さんというゲームマスターの手腕によって体感したことになるのだな(!)とひとり合点し、ただただ趣向に唸る。
「ただの市民」に加えて人狼も妖狐もボディーガードも預言者もいるテーブルの景色というのは、安心とは遠い状況にも関わらず、ひたすらに愉快な心地がした。それはゲームだからだろう、と言われてしまえばそれまでだが、昼間の集団下校のお父さん・お母さん、地域の人、駐在さん、先生、子どもたち、あと私たち…といった色とりどりの光景と面白いほど重なって、地域コミュニティそのものの中に居る感覚と二重映しになっていたのだろうと思う。
フローリーさんの運転でホテルに送っていただいた後、ホテルから近くのコンビニまでプラプラと出歩いていく。
ふと見上げると、ただならぬ物語が待ち受けていそうな朧月夜だった。