町田有理「すそのひろがり」(3日目)
「ここからここらあたりが富士山の裾野だろう、と決めたのは誰だったのでしょうね」
裾野滞在3日目の朝、寝不足にしては意識が妙にはっきりしていたのは、旅人3人で迎えた朝にホテルの窓から富士山が見えたからだ。傍目には全然寝ぼけている、と思われていたかもしれないけれど、前夜にその日中(眠るまでの間)にnoteを書き切った達成感で気分は冴えざえとしていた。
『何にもしない合宿』のある3日目は、ホストの小田さんイチオシの消防団クラブの野球で始まる。事前ミーティングで「室内履きを持ってきてください」と言われた時点で絶対にハードだろう、と思っていたけれど案の定。
「当たっても痛くないボールとは、この球速と打撃で当たったにしては痛くないなと思うボールのことだ」と思うくらいには本格的であるのに、参加者それぞれの習熟度にフィットしつつゲームが進んでいくというミラクルが叶っている。それは、相手が打ちやすいボールを投げるために「バッターの味方がピッチャーを務める」というグランドルールがあるからだった。こういう一見ちょっとしたルールの改変が、全体を決めていく。
大きなフライを打った少年が満塁ホームランを打ったかのごとく塁を踏んでホームに帰ってきたのを、本当にホームランを打ったと勘違いして拍手喝采してしまった私は、休憩時間中に打撃の自主トレをすることに。
すると、
「ベースの横に右足を置いて」
「肩の高さから振り切る」
「当てにいっていると思うんですけど、振れば当たるんですよ」
「腕じゃなくてこう、腰で振っていって」
「ゆりさんは奥の肘がのびているけれど、手前の肘をのばす感じ」
「バットが下に向くと球も下に行くよ」
もはや左見右見どころではない。まるでぐるぐるバットをしているような360 °ビューでクラブのみなさんがコーチとなって現れ、練習のために投球してくれたりする。その後の試合でアドバイスを活かし切ることはできなかったけれど、初めて野球を続けたい、と思った。
お昼は佐野八幡宮のお祭りの屋台へ。モロヘイヤの練り込まれた裾野水餃子が、わんこ水餃子したくなるくらい美味しい。
私が三島甘芋スティックと格闘している間に野球に参加した面々は、射的にかき氷にふわふわ(大きなバルーン状のアスレチック)などを楽しんで、金魚すくい競争を始めた。ポイが全て水に浸かってしまって、おそるおそる粘っていた子に別の子が話しかける。
「めだかをすくおうよ」
「おもんない!(それじゃあ、面白くない!)」
野球も射的も金魚も大物ヒットねらいなのは、日本一の富士山のお膝元、もとい裾野だからだろうか。
お風呂でちょっとしたハプニングがあって再び汗を流したりしつつ、いよいよ18時。午前中に野球をした体育館に続々とこどもっちたちが集まり出す。裾野市おやじの会のポロシャツの胸には、よく見ると一人ひとりのニックネームが刺繍されている。「必ずその日の参加者の名前を覚える」という人狼ゲームや野球のグランドルールはいつ・どこでも徹底されている。
人狼ゲームに混ぜてもらう頃には、一番最初に村から追放されるくらいになって、ちょっと嬉しい。
消灯の9時を過ぎて、10名くらいの一行で台湾料理屋へ。第一回目の合宿の参加者、中学生も合宿に参加できるようになるきっかけの一言を放った方、別地区から合宿に通い、大人になってから東地区に移住した方…など、皆それぞれの物語を淡々と、けれども大切そうに話してくれた。易々と使える言葉ではないけれど、一言で言うならば、場に真心(まごころ)があるのだと思う。
翌朝、こどもっちたちがぎゃーっ、と廊下を一斉に走る声で目が覚めると、既に体育館にはネットが張られており、前夜と何ら変わらず、時間を巻き戻したような賑やかさだった。保護者のお迎えを待つ子どもたちの中に寝袋がうまく仕舞えずに困っている姿を見つけた大人が、教えるふうでもなく仕舞い方を見せている。
「誰かが誰かに懐き、その友達が数珠繋ぎになってくる」という前夜の話を思い出す。
やがて7時を過ぎると、入れ替わりで次に体育館を使うこどもたちの団体が入ってきた。前夜に台湾料理店に送ってくださった方がなんと宿泊しているホテルのご近所さんだということで、お開きの後に、またしても車でホテルまで送っていただけることになる。
「息子は大学の卒論で、何にもしない合宿のことを書いているみたいです」
助手席でそう聞いて、なんて末広がりな話だろう、と思う。
このことをまるっと「すそのひろがり」と名付けたい。