私道かぴ「御殿場の伏線が回収されていく(5日目)」
「茅に興味があるなら、秩父宮記念公園に行ってごらん。毎週火曜日の9時から、茅葺の母屋で火を焚いているから」
お祭りで出会った方にそう教えてもらったので、朝から秩父宮記念公園に向かう。御殿場駅からそちらへむかう無料バスが出ていたので、朝一のものに乗った。小型の車内はお年寄りばかりで静かな雰囲気。ラジオの音が響いていて、ゲストの人がお誕生日だとわいわいしていた。「おめでとうございます~!」という声に、昨日の胎内巡りを思い出す。誕生日を祝う意味は今までよくわかってなかったけれど、きっと「あんなに死ぬ思いして生まれてきたんだもんな、おめでとう」とお互いを称えあい、ねぎらう行事なのではないかと思った。
公園の前で降りる。足を踏み入れると、ずらーっと背の高い木々がきちんと整備されていて、思わず息を深く吸った。朝一だからか人がおらず、虫の声と鳥の声がところどころ聞こえるのみ。雨上がりの砂利道をざりざりと歩く。
受付で「あの、茅葺屋根の建物で火を焚くって聞いて…」と話すと、「ああ、くんじょうですね。やってますよ」と言う。くんじょう…?耳なじみのない言葉だ。「まっすぐ行って記念館入れば、見られますから」。
言われた通り歩いていくと、茅葺屋根の建物と、そのてっぺんからもくもくと煙が立っている様子が見えた。あそこだ!近づいていくにつれ燻した香りが強くなってくる。
くんじょうは「燻蒸」だった。「茅葺屋根保存のためのいぶし作業」と表示がある。建物の中に入ると一帯がもくもくしていて、知らなければ絶対に緊急事態だと思うだろう。火を囲んで座る三人の人影が見えた。「あの、先日お聞きして来たのですが…」と言うと、「ああ、どうぞどうぞ、こちらへ」と囲炉裏の前に座布団を出してくれた。女性が二人、男性が一人で、おそらく紹介されたのはこの男性だろうと思い名前を確認し挨拶をした。女性一人が「じゃあ、私はこれで」と立ち、三人で囲炉裏をかこむ形になった。
段ボール大のプラスチックの箱三つに、枝がたくさん入っている。「これすべて燃やすんですか?」と聞くと、「すべてってわけではないんだけどね」と言う。「もう終わっちゃったんだけど、最初は葉っぱを燃して、もくもくと煙出してね…ああ、もうちょっと早く来たらあれ見せてあげられたのになあ」「ああ、そうですねえ。虫の」二人は残念そうにこちらを見て言った。虫の?
「燻蒸はね、防虫効果があるの。だから煙を焚くと、さっきカメムシがざあーっと窓の方へ、ね」「そうそう、私も初めて見たけど、結構な数のカメムシが窓についててね。どこからか入ってきたんだね」
女性は、それまでこの建物内で虫を見たことがなかったので、てっきり屋根の茅にいるのをいぶして追い出しているのかと思っていたが、今日逃げていくカメムシを初めて見て「ああ、室内にも虫はいたのだ。そして、防虫効果がそれだけ高いのだ」と実感したという。週一回火曜日、月にして約4回、季節を問わず燻蒸しているのだそうだ。「だからこれだけ広いのにね、蜘蛛の巣がはってるの見たことないんだよ」。
男性は燻蒸を10年近くやっていて、前は違う団体がやっていたのを引き継ぎ、ボランティアで回しているのだと言う。女性は「私は5年とか、まだまだ。きっかけは隣の家の人に誘われて。人数が足りないからって。でも、今となってはとてもいい経験させてもらってるなあって。だって、普通はこんなところ入れないから」。言われてみると、確かに囲炉裏の前には【進入禁止】と書いた看板がある。ここは展示の中なのだ。「それに、皇室ゆかりの建物で火を焚くなんて、そうそうできるもんでもないしね」と笑う。
女性が「せっかくだからさ、葉っぱを燃やすのも見ていきなよ。私取ってきますね」と、森に葉っぱを取りに行ってくれた。燃やすのは主に生のヒノキの葉っぱで、やはりヒノキは香りがいいのだそうだ。
男性は20年以上御殿場のガイドをやっていて、この辺りの地理や歴史を勉強していると言う。「御殿場のガイドって言ったら、結局は富士山のことばかりになっちゃう。山を楽しむからね。だから、通り過ぎちゃう中間の土地を案内したいなと思ったんだよ」。学校で習う大きな歴史でなくて、歩いて行ける地元の歴史が楽しいそうだ。「京都の神主さんを二岡神社に案内したら、帰ろうとしないんだよ。京都の寺社仏閣は開けすぎている、ここにはそれがない、とてもいいって」。
もともとは東北の出身で、実家ではこんな風に囲炉裏があるのが当たり前だったという。「火はずっと入れておくんだよ。だから昔の家の木はつよくて再利用できるけど、いまの家はだめだね。虫食いがあってさ」「囲炉裏の灰に栗なんかを埋めておくと、ほくほくしておいしいんだよね。昔は囲炉裏の上に藁の編んだのをかけてさ、そこに入れて保存食を作ったわけ」。話していると女性が帰ってきて、ヒノキの葉っぱ付きの枝を渡してくれた。採れたてなのでみずみずしく、木を折ろうとしてもぐにゃりと曲がるだけだ。葉っぱを少しずつちぎって入れる。ぶわっと火が強くなって、煙がもくもくと立った。パチパチと心地よい音がする。
男性は随分長くガイドをされていて、先日紹介してくれた人にも講習をした縁で仲良くなったと言う。せっかくなので、昨日御胎内公園で見たなぞなぞを聞いてみた(『明治から昭和初期に当地で木炭を使った事業とは?』)。すると「ああ、それはね」と話し出す。「元々は陸軍が終戦間近の燃料がもうなかった頃に、あそこで炭を焼いていたんだよ」。ああ、そうだったのか…!「元々ここら辺は富士山で炭焼きをやってた。箱根に向かう道があって、箱根って言ったら昔から温泉目指して来る人が多かったから、炭を焼いて持っていけば良い収入になったんだ。だから、山に入ると窯跡が結構あるよ」。今でも50、60代の方に聞くと炭焼きの思い出がある人もいるという。御殿場と炭焼き、予想よりもずっと奥が深かった…!
もう一つ、ずっと気になっていたことを聞いてみた。「どうして御殿場には自衛隊の訓練所がいくつも置かれるようになったんですか?」「それは、もともと戦前から陸軍の訓練所があったから」「最初はなんで訓練所が置かれたんですか。誰かゆかりのある人がいたんですかね」「さあ…汽車は走ってたから、交通の便はよかったと思うけど」。よくわからないらしい。
「陸軍駐屯地になり、終戦後には米軍の駐屯地になって、そのあとに自衛隊が入っているからね。最初は大のトイレのドアがなくて恥ずかしかったらしいよ」へえ…!文化の違いだ。
続けて聞いてみた。「御殿場に三つの自衛隊の基地ありますけど、なんで3つに別れているんですか」。「そりゃあ、部隊によってやること違うもん。最初の教育部隊によって基地が変わるんだよ。私だってそうだったもの」
…え?「自衛隊だったのよ」…え!!?
「私は北海道の戦車部隊に行きたかったけどその時分は募集がなくてね、じゃあ富士山見えるところに行こうかなと思って、20歳で来てもうずっとになる」。
傍らで聞いていた女性が「ええーそうなんだ、知らなかった」と声を上げた。「もし北海道に行っていたら、今頃は先住民について話していたかもしれないね」と笑う。
火が弱まってきて、「じゃあ、そろそろ」と言って焼けた木を崩し始める。熱を含んだ短い木を円になるように広げる。その木々が、びっくりするくらい美しかった。
赤色が強くなったり弱くなったりするのを、一定のリズムで繰り返す。ひとつ一つの木が呼応しているように見えた。それはまるで命を与えられたばかりの生き物がしずかに呼吸を繰り返しているようで、はかなく、それでいて力強かった。富士山の火口を思い出す。噴火の直前、山の中ではこのような呼応があったのだろうか。いのちのはじまりは、みんなこのような小さな火からだったのかもしれない。
三人で、無言のまましばらく見続けた。
片付けのあと、女性が「おいで、この建物で私がいちばん好きなところを見せてあげる」と案内してくれた。窓の前で止まり、「見て」と手を添えたのはちいさなわっかのカーテンレールだった。「随分と前からこれがあったのかと思うと感動してね」。あまり人にはわかってもらえないんだけど、と残念そうに笑う。
別れ際、お礼を言ってMAWのポストカードを渡す。男性は「明日の午前中なら開いているよ」と言ってくれ、なんとガイドしてもらえることになった。やったー!
その後は資料館で秩父宮殿下についての展示を見、その素敵な生活ぶりと戦時中の様子に思いを馳せた。展示室にいたボランティアの方が、積極的に話しかけてくるにも関わらず質問をすると「いやー僕にはわかんないですねえー!」とあまり知らない様子で笑ってしまった。「これね、勉強しなきゃと思って読んでるんですけど、読みにくいんですよ。お嬢様言葉って言うのかなあ」と本を差し出す。ここでの暮らしのことも書かれているらしく、「売店で売ってますよ」と言うので帰りに買ってみた。
展示にはきらびやかな文房具や、日常感あふれる写真がたくさんあった。政治と皇室の関係を考えさせる資料もある(麻生さんお母さん似なんだなあ)。
その後も随分話してしまったので、疲れて近くのお茶屋へ。こういう施設の中にある食事処はあまり期待していないのだが、これが驚くほどのおいしさだった。園内で育てている野菜のピクルスに、しょうがの炊き込みご飯。おなかの底から元気が出てくるような食事だ。園内栽培の梅を使ったジュースが身体に染みわたる。お土産に梅干しとみょうがのピクルスを購入した。
園内を歩いていると、防空壕があった。皇室の人の入る防空壕は広々として、将校の防空壕の倍以上はある。先ほど見た記念館を思い出す。療養用の別荘ゆえ、車いすでも移動できるように段差がなかったり、風呂から桜が眺められるようになっていたり、部屋からは富士山が一望できるよう設計されていたりする。風呂を見た時は、なぜか「ああ、そりゃあ皇室の人もお風呂に入るよな…」と当たり前のことを思った。
人間の価値、みたいなものをどうしても考えてしまう。
園内には桜がたくさん植えられていて、そのすべてが美しく見えるように手入れされている。「療養するには富士山が見える場所を」という考えや、周りには旧岸邸をはじめ色々な権力者の別荘が建てられたこと、国を守る自衛隊がここ富士山のふもとにあること。
なんだか色々な伏線が集まってきたような気がする。
せっかくなので旧岸邸に、と思い小雨の中歩いて行って、看板を見て絶望した。
疲れがピークの身体は限界が近づいていて、太ももと尻の筋肉がふるふるし始めている。「温泉…」と思って検索すると、アウトレットの中にある。歩いて30分、散策しながら行くことにした。別荘地とは言えども、少し歩けば昔ながらの家もあり、お墓も団地も、信仰もきちんと存在していた。
巨大なアウトレットに到着したと思ったら、歩いても歩いてもハイブランド地獄から抜け出せなくてどうしようかと思った。橋を渡るとき、下の川がとても深いのが目に入って「とんでもないところにとんでもないもん作ったな…」という感が強くなる。迷いに迷ってあきらめて、案内所で温泉の場所を聞く。まさかの、駐車場のエレベーターから向かうの…?聞かなければ一生たどり着けなかったと思う。
風呂には外国人観光客がたくさんおり、脱衣所にはいろんな香水のにおいが漂っていた。立ち湯なるものがあり、身体の大きさに関係なく楽しめるようにしているのかもしれない。
露天風呂に出ると大砲の音がどーんどーんと聞こえていた。しかし眼前の景色はのどかで、そのギャップが不思議だ。露天は段の構造で、山のふもとを見下ろす形になっている。田畑や高速道路が見えた。途中、アジア系とヨーロッパ系、日本人が同じ湯船に5人ほど入っている時、一人が「わ」と声を上げて空を見た。しだいにぽつ、ぽつと雨が湯をたたく。すると、一人が「Good.」と言った。その言葉でみんな笑顔になり、雨に打たれながらもそのまま湯船に入り続ける。皆が眼前の同じ景色を眺めながら無言で入っている様子を見て、「この景色を一生覚えているかもしれない」と思った。