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1月29日(日) 毘沙門天大祭、コロッケ試作

お昼過ぎに吉原本町駅で野口くん、久保田さん、白坂さんとその友人、リサさん、映像担当の中島さんと友人と一緒に吉原駅にほど近い「香久山 妙法寺」で行われている毘沙門天大祭へ出かける。

「日本三大だるま市」のひとつに数えられる毘沙門天大祭は、他の禅宗由来のだるま市(東京都調布市の深大寺だるま市、群馬県高崎市の高崎だるま市)と異なり、達磨があまり関係ない日蓮宗のお寺で行われている。毘沙門天大祭自体は古くから開催されてきたが、だるまは明治時代に静岡の張り子玩具店がお土産品として売り出されたのがきっかけだったそう。(詳しくは下記の記事参照)

他のだるま市と異なり、宗教的な文脈でだるまが用いられていないこと、大衆の支持を得て「毘沙門天=だるま」が人気となったこと、何より他所で生産されただるまも分け隔てなく数多く売り出されている点が、宿場町吉原の名残のように思えた。

線香の煙を浴びることが御利益につながるのだそう
富士のだるまは丸いフォルムで、倒しても起き上がるような形のものが多い。髭があったり耳があったりとよく見るとそれぞれユニークな顔立ちをしてる。

この時私は初めて妙法寺を訪れたのだが、インドや中国など各地の建築様式があると思ったら、ネパール式目玉塔の下をくぐった先に七福神のインドバージョンが祀られインド古謡のBGMがうっすらと流れている「洞窟七福神」(仙台住職のインド研究の賜物がここに集約されている)があったり、日本の風物詩を体験しているはずなのに一瞬で東南アジア旅行に来てしまったようななんとも不思議な時間だった。個人の嗜好が見えているところが富士っぽいような。。。興味ある方は毘沙門天大祭以外の機会にもぜひ体験してほしいです。

各々自由行動していたとき、先ほどの「だるま文化、根付いた理由は」の記事にも登場する全日本だるま研究会の林直輝さんとご家族と偶然すれ違う。
林さんは「吉原の有名人」と勝手ながら認識していた。日本人形やだるま、凧など日本の風物を研究されている愛好家であり、テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」 でも鑑定士を務めていることなど、かねてから話には伺っていた。林さんもYCCCの活動を陰ながら気にかけてくださっていたようで、「野口さんっぽい人をさっき見かけましたよ」と声をかけてくださった。
なんと 1月22日(日)街の人に出会う で蛸みこし研究センターに来ていた親子は林さんのお姉さんとそのお子さんたちで、長男くんに「この前来てくれてありがとう」と言うと、威勢よく笑顔でうなづいてくれた。
明日は林さんがオーナーを務める商店街から少し外れた場所にある喫茶店「骨董喫茶 健康堂」で開催されている展示が最終日で、林さんも数少ない在廊日だという情報を得て別れる。

その後は吉原駅南方の住宅街の中にある「鈴川の富士塚」へ。静岡県に現存する唯一の富士塚とされ、富士市の公式登山ルート「富士山登山ルート3776」の出発点にもなっているが、近代になり石が新しく積み替えられたことが理由で残念ながら文化遺産の構成資産には登録されていない。ちょうどこの時間は富士山の森林限界あたりにかかった雲が見事で、とても良い景色を見ることができた。

帰宅後は田村が仕込んでいた「いもたこなんきん」(1/25日記参照)を店の厨房で野口くん、中島さん、友人と一緒に試作することに。「僕、寿司屋でバイトしてたんで天ぷら揚げられるんですよ〜」と野口くん。中がくり抜かれた土器型のコロッケも何個か作る。

今回はかぼちゃとタコを細かく刻み/すりつぶしすぎたので、断面を切った時の「いもたこなんきん揃って入ってる感」が分かるビジュアルにも気をつけよう、という話に

野口くんは「これは、現代の女子に大ウケすると思います!若い女子が好きなものは大体全員好きなんじゃないかな」と食レポしてくれた。今回の反省を経て三島の蛸みこしツアー前にももう一度試作をすることにした。

(YCCC 瀧瀬記)