山本晶大「蒲原散策(3日目)」
日差しの暖かい穏やかな天気が続く。上着を着ているとむしろ暑いくらいで、春を感じる。
午前中はゲストハウスに置いてある自転車をお借りして蒲原の東の先にある岩淵まで行ってみる。昨日も書いた通り富士川の河口近くは田園を埋め立てて工場地帯や新興住宅地となっているので、古い建物はあまり残っていない。蒲原宿のはずれになるので、そもそも家自体が少なかったのだろう。斜面に沿って家が建った蒲原一丁目の急な坂を登り、東名高速道路の上を横切るとお隣の富士市に入る。
そのまま旧東海道に沿って岩淵の市街地に入り、参勤交代で身分の高い人が使用する小休本陣常盤家住宅を目指して進んでいくも、道中は古い町家をほとんど見かけることができない。こうしてみると蒲原は比較的古い町家が残っている方なのだと理解した。
小休本陣常盤家住宅の内部は週末しか見られないので、少し周辺を散策してからとりあえず引き返す。その途中で行きのときは気がつかなかった茅葺屋根の建物が東海道の本筋から少し離れたところに見えた。立ち寄ってみると稲葉家住宅(富士市立富士川民族資料館)と書いてある。どうやらこちらも週末は公開されているみたいなので、小休本陣常盤家住宅と合わせてまた週末に見に訪れよう。
お昼は海を見ながら食べようと駅前のスーパー(工員向けのアパート跡地に作られたイオンタウン)で適当にサンドイッチなどを購入。ついでに併設されているホームセンター(コメリ)で品揃えを確認。滞在制作や仕事でホームセンターをよく使用するので、初めて訪れる地域では余裕があったらホームセンターを確認するのがちょっとした習慣になっている。(ちなみにヨーロッパでも同じことをしていて、ヨーロッパ各地のホームセンターを見て回って集めた情報を参考に書いた記事がこちら。)
さっと見た感じでは地域の特色を示すような変わった品揃えは特に見当たらないものの、針葉樹構造用合板が売ってあるのを見て「あ!」と思わず声が出た。コロナ禍による物流の悪化とウッドショックはまだ回復しておらず、私が住んでいる中四国近辺では建材屋でもホームセンターでも針葉樹構造用合板がほとんど品切れになっている。しかも商品名からして秋田杉から作った針葉樹構造用合板らしい。構造用合板に秋田杉という名前が付いているのは関西の方では見かけないので、こういった違いを見つけるのも楽しい。
昼食を買ったあと、どこを通れば海に出るのだろうかと右往左往しながら一号線に自転車で出そうになっていたところ、たまたま通りかかった警察の人に呼び止められて、海への出方を教えてもらう。堤防のそびえ立つ砂浜はやっぱり私の地元の景色ととても似ていて、心が落ち着く。
ただ、故郷の海とは違い、通常のテトラポットの他にちょっと変わったものが海に設置されている。堤防に掲げられていた説明によると、どうやら実験的に設置されている離岸堤のようだ。この実験的な離岸堤が仮説通りに作用すれば、砂浜が削られず、むしろ砂が堆積して砂浜が広がるのだそう。私の地元の海岸もそうだが、護岸工事や建材のための砂利の採取など様々な要因によって急速に日本各地の海岸から砂浜が姿を消しつつあり、代わりにコンクリートでできたテトラポッドや堤防ばかりが増えつつある。もしこの離岸堤が有効に働くという結果が出たら、ぜひ私の地元にも設置して欲しい。
午後は図書館へ行って郷土資料漁り。いくらインターネットが普及したとはいえ、全ての記録がデジタルアーカイブされているわけではなく、出典の明確でない情報も多いため、結局のところ地域のことを調べるならその地域の図書館に行って郷土資料を読み漁るのが一番効率がいい。司書さんに尋ねれば関連書籍や地元の歴史に詳しい人、求める資料がありそうな資料館を紹介してもらえるのもネットにはない図書館の長所。
ざっと軽く見ただけでも深掘りしていけば面白そうな情報が次々と見つかる。先ほどまでいた海岸の近くには昔塩田があり、塩が作られていたらしい。そして戦国時代にこの近辺で取れる塩を管理していた今川家が武田信玄への供給を止めたことに対して、民には罪はないと上杉謙信が武田領へと塩を送ったのが、かの有名な「敵に塩を送る」という言葉のもとになったとのこと。
他にも安政大地震および東海地震に関する資料、日本軽金属に関連する公害問題、地名の由来、この地域の歴史と主なできごとをまとめた年表、昔の地図などを司書さんに尋ねたりしながら軽く調べて集めていたらあっという間に17時が過ぎてしまっていた。
薄暮れていく空を見ると、いままでずっと東にかかっていた雲がなくなっている。これはもしかしたら富士山が姿を表しているかもしれないと思い、富士山の見える富士川の近くまで自転車を走らせてみたら、夕陽に照らされる綺麗な富士山を見ることができた。今までも新幹線や飛行機で移動中に富士山を見たことはあったが、しっかりと富士山を見たのはこれが初めて。正直、「なんでみんなそんなに富士山が好きなんだろう?」という疑問が今まであったのだが、他の山々とは明らかに異質な存在感を持ってそびえる富士山を見て納得がいった。これは確かに象徴となるにふさわしい威厳がある。
夕方は大澤さんの紹介で、一棟貸しの宿泊所として運営されている素空庵に豊永さんとお邪魔させていただき、素空庵のオーナーであり平成建設の社員でもある牧田さんと、静岡市の地域おこし協力隊としてデザインなどに携わっている小林さんのお話を伺う。
素空庵は取り壊されそうになっていた表具屋の建物を牧田さんが買い取り、できるだけ元の状態を活かしたまま補修および改修を行ない、アート作品を展示した宿として蘇らせている。展示されてある作品は、牧田さんが知り合いのアーティストに頼んで表具屋(襖や掛軸を作る店)に置かれていた紙などの素材を使ってこの空間に合うように制作してもらったとのこと。過剰なデザインや装飾がなく、アート作品が調和している室内は品があり落ち着いている。
また、牧田さんが勤められている平成建設は大学卒の大工希望者を受け入れ育成していることで建築業界界隈では有名で、高学歴大工集団とも言われている。大工希望者の入社試験には体力テストもあるらしく、懸垂が何回できるか、スクワットが何回できるかなどを試されると聞いて思わず笑ってしまった。その入社試験はちょっと受けてみたい。ちなみに牧田さんも一年ほど現場で大工としての研修を受けたそうだが、今勤めているのは企画部で、大工として入社したわけではない様子。会社勤めをしながら自分のスペースを作り、副業として宿泊所を運営することを許してもらえるというのも、勤め先が平成建設だからこそなのかもしれない。
地域おこし協力隊の小林さんは東京のデザイン会社にも勤めながら、静岡市にUターンして行政にデザイン関連のアドバイスやプロデュースなどを行なっているそうだ。地域おこし協力隊というと過疎地域でまちづくりや地域振興に携わっている人々というイメージがあったが、都市部にもあるのだということに少し驚いた。そしてその苦労の内容も過疎地域での取り組みとはちょっと異なっている。合併によって巨大な政令指定都市となった静岡市だが、大きくなり過ぎて色々なエリアが入り乱れ、ごちゃごちゃとした都市になってしまい、市を一つのデザインでまとめ上げることが難しくなっていたり、マーケティングをもとにして理論立ててデザインを進めていっているのに、行政のお偉いさんが勝手な懐古主義をぶっ込んできてかき乱してしまったりなど、面白いと言ってしまうと苦労されている小林さんには失礼かもしれないが、都市部や行政相手ならではの協力隊の姿が垣間見えて興味深い。
蒲原や静岡のことについて色々な情報が集まる充実した滞在が続く。皆さんとても歓迎的なので、フィールドワークがとても楽しい。