北林みなみ「大切なものは仕舞っておく」(5日目)
河津町滞在5日目
今日は朝から自転車で河津を回った。
現在宿泊している宿の側に巨大なソテツがあった。
ソテツ、こんな風に伸びるの?!暴れているヘビのようです。
その後、涅槃像があるという涅槃堂へ。
お堂が閉まっている。暗闇の向こう側に涅槃像が見える。
通りすがりのおじさんに、そこのボタン押してみ、と言われる。
押すと、突如この像についての音声ガイダンスが女性の声で流れ始めた。
なかなか不思議な雰囲気を醸し出している。
お墓参りに来ていたおばあさんが「普段も扉は閉まってるのよ〜」と教えてくれた。
河津のお墓は、山の斜面に建てられていることが多い。
こちらのお寺の周りも、切り開かれた山の斜面にお墓が並ぶ。最上部のお墓まで登るのはかなり大変だと思うが、気づいたらおばあちゃんはお花と水桶を持ってはるか上の方にいた。
その後、河津桜の原木を見に行った。
民家の庭先にひっそりと生えている。
通りすがりのおばあちゃんが、「すぐそこ下っていくと、もう咲いてる木があるよ〜」と教えてくれる。
おばあちゃんについて行くと、民家の畑の脇、確かにピンク色の花をつけた小さな桜があった。
枝先でちょこんと咲いている数えられる程度の桜。
冬の桜。上品で可愛い。
ちいさな桜を楽しんだ後、河津の有名な観光スポットの一つ、峰温泉大噴湯公園へ。
1時間に1回。温泉が上空へと向かって吹き上がる。
峰温泉は大正15年に誕生した。
昭和初期頃の出兵時のパレードで川沿いを歩く人々の写真にも、峰温泉の看板が写り込んでいる。
日曜日ということもあり、観光客も沢山居た。
湧き出ている湯で、温泉卵を作って食べた。
その後自転車を漕ぎまくり、少し離れた場所にある南禅寺へ。
山の谷間、小さな集落の奥地にある。
途中で猫とおばあちゃん達とおしゃべり。
飼い主が亡くなって野良になってしまった猫達の面倒を、おばあちゃんがみているそうだ。
別のおばあちゃんが「座布団この辺に飛んできてない?」と探しにきた。
強風が吹き荒ぶ河津。干した座布団もどこかへ飛んでいってしまうらしい。
猫たち、道路の真ん中に堂々と座り込んで車を何台か渋滞させる。
おばあちゃんたちが一生懸命猫をどかし、はじの方へと運んでいた。車の運転手さんもそれを見て笑っていた。平和だな。
かわいく凛々しい、ふくふくした猫。近所のみんなに愛されながら、自由に好きな場所を歩き回り、暮らしている。
猫たちはおばあちゃんが大好き。くっついて歩き回っていた。
猫とおばあちゃんにお別れをし、お寺の方へ向かう。
駐車場から寺のお堂まで、かなりの急坂を登っていく。軽い山登りだ。
坂の終点には、巨大な椎の木。樹齢約500年。天狗の伝説が残されている。
河津、大きな植物が多いなあ。
南禅寺には平安時代から残る仏像や神像が展示してある。
ここには平安時代、大きな修行寺があり沢山の仏像や神像が置かれていた。大昔、この谷津と呼ばれる集落のあたりは入り江になっており、船で寺の下まで物を運ぶことができた。まだ陸路での交流が無い時代から、あらゆる地方から仏像をこの地に運んで、船旅の安全を祈った(諸説あり)。とお寺を管理されている方が言っていた。
しかし、15世紀頃、この辺りを山津波が襲い、寺は全て流され消滅した。
その時3体の仏像だけが土砂崩れを逃れその場所に生き残り、地域の人に信仰され続けた。
山津波の100年後、ある和尚がこの地へ来て、土砂に埋まりっぱなしだった仏像や神像を掘り起こし、祀った。
そのため、劣化し見た目がわからなくなっているものが多い。
かっこいい。
自然に溶けていく途中のような姿。
神像や仏像を作る時、木の節や内部に空洞がある木を使用することが多いらしい。雷の落ちた木など、他とは違う特別な木には神が宿っているとし(これを霊木信仰と呼ぶ)、この霊木から神や仏の姿を彫り出していく。
1本の木から顔〜体を彫り出すことを一木造と呼ぶらしく、これが奈良〜平安時代に盛んだった彫り方らしい。その後は、パーツを組み合わせて作る寄木造が定番となっていく。
私も詳しくはないので、学術的なことはわからないが、この朽ちかけの神像たちを美しいと思ったし、見れてよかったと思う。
お寺を管理されている方が、今は使われていない本堂に仕舞われている部落にゆかりのある仏様を見せてくださった。
虚空菩薩。
部落のすぐ横にある山の上に元々あったものだそうだ。
山の上にお堂があり、部落の人々を長い間見下ろしていた。
現在はこのお寺に移動し、大切に仕舞われている。
この古い地図にも山の上に『虚空菩薩』と記載がある。
谷津の部落の人々に長く愛されてきたそうだ。
こんなに立派なのに色々な人に見てもらわないんですか?と聞くと、部落の人達曰く、あまり大勢の人に見せびらかしたくはないらしい。
それくらい、ここに住む人たちにとっては特別な、思い入れのあるものなのだ。
大切なものを隠して仕舞いたくなる気持ち、すごくよくわかる。
(写真、ネットに載せて全然いいですよ。と言ってくださったので掲載します。)
南禅寺では毎年3月8日にお祭りを行う。
それは人を沢山呼び込むお祭りではなく、部落の人々の集い。
自分の家で取れた野菜などを持ち寄り、一緒に調理し、みんなに振る舞う。
内輪の祭りだよ、と言っていた。
このような小さな部落にだけ大切に受け継がれているものが、日本には沢山残っているのだと思う。
人知れず、いつの間にか消えてゆくものたちかもしれない。
強い思い入れや、人に教えたくないくらい大切だと思う気持ち。家族の中での習慣を大多数にはあまり話したくない、と思うのと同じように、内輪で大切にされている文化ほど外の者に伝わる機会は少ないのだと思う。
帰り道、赤い電車が部落を走り抜けていくのを見た。
好きな風景だ、と思った。
帰り道の途中、野生の猿(ニホンザルかな?)の群れに遭遇した。
襲われる…!と思った。でも猿たちは私など眼中になく、ひたすら木の実を食べまくっていた。6、7匹はいた。
以前、広島で大きな野犬に遭遇した時も同じ気持ちになったが、野生の動物と対面した時に感じる、人間という生き物の無防備さを今日久しぶりに思い出した。
夕方。浜で、石と流木拾いをした。
石、実は色々な色をしているんだよなあ。
砂浜の音もいいけど、静かな波がコロコロ石を転がす音が好き。
月と釣り人が綺麗でした。
明日は河津に1日中滞在できる最後の日。
絵でも描こうかなと思っています。
つづく
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