北林みなみ「安心のかたち」(滞在まとめ)
河津町での滞在が終わり、1週間が経った。
年末へ向かって、私の街は忙しなく動いている。昨日の夕暮れ時に、家の周りを自転車で走ったら、門松や、普段は香らないお線香の匂いが家々から漂っていた。
河津はどうだろう。あの小さな町のみんなは、どんな正月休みを過ごすのだろう。
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“都市の暮らし”と、“自然の側での暮らし”についてよく知りたいと思ったのが、アーツカウンシルしずおかのマイクロ・アート・ワーケーションへ参加したきっかけだった。
例えば私は、都市に生まれ、学校も渋谷にあり、大きな街の真ん中で育ってきたので、“都市の暮らし”が体に染み付いているように感じる。
それは、他人との距離の保ち方
自分が群衆の一部であるという感覚
人混みに紛れ、匿名でいられることの安心感
他人は私に無関心であること
私も他人に無関心であること
お互いに干渉しないこと
満員電車に乗り合わせた人々、交差点ですぐ横を通り過ぎていく人々、混み合った喫茶店のカウンター、アクリル板を挟んで隣の席に座った人。
例えば上空からこの街を見下ろしたら、私たちはくっついているように見えるかもしれない。しかし、私たちの心は、遥か彼方の対岸に取り残されていて、きっとこの先も交わることはない。
個人で自立すること。
自分の責任で、自分を守り、自分がその土地で幸せになること。
そういう生き方が正しいと思って私は暮らしてきたわけだが、学校を卒業してから、色々な国や街を見て回ったりして、この世界には、たくさんの種類の幸せや安心の形があることを知った。
田舎での暮らし、というのはどういうものだろう。
河津町で過ごした日々の中で出会った人々、交わした言葉を思い出す。
今回の滞在で、自然の側で生きる人々の暮らしの雰囲気を、ほんの少し感じることができた気がする。ほんの少しだけ。
ご近所さんは全員知り合い。すぐに顔見知りになれる。
良くも悪くも、誰が何をしているか、すぐにわかる。何をしたのか、どこへ行ったのか、どこから来たのか、どういう人なのか、いつの間にか伝わっていく。伝わってしまう。
何かあった時は、助け合う。手伝う。お互いがお互いを支える。守る。
ここでは、群衆に紛れることも、匿名になることもできない。しっかりと名前や肩書きのついた個人が、町の中にポツポツ点在しているような感じがする。
そういう暮らし方が苦手だと感じる人もいるのかもしれない。
そう思わない人もいるだろう。
正しさは一つではない。
自分にとっての正しさや安心の形を、選び取れる世界であってほしい。
インドネシアにいた時にも同じことを思った。
私はムスリムが多く住む地区の路地裏に住んでいた。そこに住む人々の団結力は、日本の田舎での暮らし、あるいはそれ以上に閉鎖的で、しかし強い絆があった。
そこで暮らすみんなは、自分たちの小さな世界を築き、幸せで、安心で、お互い干渉し合い、助け合って暮らしていた。
ある時、インドネシア人の友人がポツリと言った言葉を今でもよく覚えている。
「私は、大きな都市に住む人たちの『自分が幸せであればいい』って考え方が、別に良いとは思わない。」
世界中に溢れる多種多様な幸せの形を、誰も否定することはできない。
欧米の映画やドラマの登場人物だけが、正しさではないこと。
正しさは、ひとつではないこと。
世界は広く、私が知らないたくさんの種類の暮らし方や生き方が点在していること。
日本にも、あらゆる町に、村に、その土地で生きる人々にとっての安心の形があることを、私は覚えていたい。
世界はひとつにならなくていい。
たくさんの価値観が散らばっていて、それを互いが許容する世界になればいいのに、と思う。
河津町で出会った人々は皆、その地に根ざした暮らしを送っていて、幸せそうだった。マスクの上の目が、視線が、なんだかみんな似ていたな。
それは、都会の人々の視線とは明らかに違う。
ゆったりと流れる時間の中、木々や海を眺めてきた目で、やさしく、私のことを見ていた。
外からやってきた私に、何となく話しかけ、何となく色々教えてくれた。
その、ちょうどいい距離感が嬉しかった。
それは例えるなら『孫の友人に河津のことを教えてあげる』くらいの距離感であった。
出会った人々が、ポツリポツリと語ってくれた言葉から、様々な景色を思い出す。
海があり、森があり、山があり、川がある町。
巨大な木が生えた神社もある、河童の伝説が残る寺も。
かつて大勢の人々で賑わっていた浜辺。閉まった民宿。
今は野原になった、こどもたちの砂場。
丘の上の、閉校予定の小学校から、のんびり下校していく生徒たち。
地面に落ちた、たくさんの黄色い果実。
かつて池だった場所は、木々が生い茂る庭となった。
物置になった大広間。積み上がった漆のお膳。
誰もいない客室に差し込む、埃っぽい光で照らされた、翡翠色の壺。
数十年前そこにいた人々の気配が、今も残り香のように漂っている。
当時の景色を、語られた言葉から想像する。
魚屋のおじいさんが絵を描いた石、今も道端に転がっている。
笑顔のドラえもん、キティちゃん。
海鳥。
山の斜面に大切に隠された神社の、木彫りの装飾。
木影の中でも光っていた、龍の目。
閉じられたお寺の境内の中で見つけた、小さな黒い菩薩像。
かつては山の上でひとり、谷を見下ろしていた。
縄文土器のかけら。
小さな点々模様が、楽しそうに並んでいる。
今はもういない人たちが、この地に残したもの。残ったもの。
残ったものたちの側で、生きる人々。
無意味なものや、役に立たないものを、排除せずに側に置いておくこと。
それが日常の一部になっていくこと。
そこには豊かな心が残ること。
自然の中で暮らす、というのはそういうことなのかもしれない。
自分の力ではどうすることもできない、様々なものに囲まれているから、それを受け入れて生きていくしかない。
縦横無尽に生えていく植物、海風、獣たち、鳥たち、虫たち。
彼らは自由だ。
誰かの自由を許容するとき、自分もまた誰かに受け入れられるのだと思う。
裸の枝だけが伸びた桜並木。影。
道路脇の排水溝から昇る、白い、温泉の湯気。
強風でどこかへ飛ばされていった、おばあちゃんの座布団。
海風で空高く飛んでいった、私の絵。
いいな。そんな生活、いいなあ。
私の普段の生活では、出会えないものばかり。
私は自分のことばっかり考えている。
黒緑色の海の側、大きな街の小さな部屋で、自分の心配事ばかり。
わたしは、一体いつになったら、あの河津の人々のようなおおらかな視線で、誰かと対話することができるのだろう。
心の片隅に、この1週間で出会った沢山のささやかなものたちを並べて置いて、ずっと眺めていたいと思う。
淡々とした日常の中で、こぼれ落ちていくものたちを、出来るだけたくさん、繋ぎ止めておきたい。覚えておきたいと思う。
絵に描きたいと思う。
私は絵描きだから。
帰宅して、河津の空の絵を描いた。
また河津町へ遊びに行きたいと思う。
最後に。
Working Space Bagatelle の和田さん、河津町役場のみなさん、河津町でわたしに出会ってくれたみなさん、本当にありがとうございました!
おわり
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