秋野 深 「潤いと衝突」【小山町】(3日目) -後編-
小山町滞在3日目の午後はさらに東のエリアへ一人で向かう。
小山町は静岡県の北東端に位置するところなので、神奈川県との県境は間近だ。
そこには、小山町滞在の直前に知った、とある場所がある。
写真の男性が指さしているところが、今日の午後の目的地。
この一見すると何の変哲もない崖の、縦に走るライン。
なんと、本州と伊豆半島の境界線なのだそうだ。
行政区分とか、漠然とした地理的な区分なのではなく。
崖のそばには解説のプレートがあって、こう書かれている。
「・・・させているということです」って、なんだか穏やかな語り口調風だが、これ、とんでもない現場ではないか。
崖を縦に走るラインの右側が衝突してきた伊豆半島で、左側が衝突された本州側、ということになる。
伊豆半島がかつては島で本州に衝突したことは知っていたものの、その境界線があらわになっている場所があることをこれまで知らなかった。
しかも、遠くのほうを眺めて「あのへんがその境目です」と言われるような場所ではなく、「ここです」と目の前で指差せるような、しかもひっそりとした山奥の林道沿いの崖で。
さらに、私の中では、伊豆半島と言われてイメージするのは、漠然と東側は熱海、西側は沼津あたりから南側へ突き出た半島・・・というものだった。
こんなに北側まで伊豆半島が本州へ迫ってきていたというのも驚きだった。
そんな、日常ではちょっと想像できないスケールの衝突の痕跡を目の前にしている。
陸地が陸地にぶつかる、つまりプレートの動きを想像するわけだから、スケールとしては、もう地球全体の話だ。
地球の中の太平洋の端の日本列島、そして伊豆半島を想像する。
誰もいない山奥の崖の上空を、ごうごうと音を立てて風が吹きすさぶ。
衝突の現場にいるのだと思うと、なんだか空恐ろしくなる思いもした。
でも、と思うこともある。
この衝突がもたらしている影響は計り知れない。
富士山を含むこの一帯の自然景観。そして今日の午前中に触れた豊富な水のある暮らし。さらには日本が地震大国であり、温泉天国であることへも想像が膨らんでしまう。
それにしても、目の前のこじんまりとした崖のスケールの小ささと、それが示す地球規模の活動のあまりのスケールの違い。こんなギャップはなかなか体験できないかもしれない。
こういう感覚に襲われた場所が他にあっただろうか・・・と、崖の前であれこれ過去の旅の記憶を掘り起こしてみた。
アメリカのグランドキャニオンを初めて目にした時、「地球にこんなところがあるのか」と驚嘆したが、それとは少し違う・・・。
イエローストーン大峡谷では、「これはもう地球創成期から変わっていない風景なのではないか」と思ったがやっぱりそれとも違う・・・。
中国とパキスタンの国境、標高4830mのフンジェラブ峠に立った瞬間の感慨はまた別のタイプのものだ・・・。
結局、鮮明に脳裏に浮かんだのは、イランでカスピ海を訪れた時のことだった。
世界最大の湖として知られるカスピ海。
湖岸に立ってみると、それはもう、どう見ても大海原だった。
湖岸で何度か車をとめ、海のような湖の情景をそのたびに眺めた。
ただ、思い出したのはその時のことではない。
強烈に記憶に残っているのは、湖岸で見つけた民泊宿の小さな部屋でのことだ。
旅の疲れで私は大の字になって仰向けに寝そべっていた。
その日の夜は強風で、カスピ海の湖岸には大波が打ち寄せ続け、その波音の雷鳴のような爆音たるや恐ろしいほどで部屋を飲み込むような勢いだった。
私はだた、ぼんやりとその小さな部屋の天井を見ていた。
ふと、世界地図の中のカスピ海が脳裏が浮び、そして思った。
あぁ、自分は今、こんなところにいるのだ、と。
実際にカスピ海を目にしているときには一度も思い浮かべなかった世界地図。
それなのに、なぜか小さな部屋の天井を見ている時だけスケールの大きな想像をしていた。そのスケール感のギャップを自分でも不思議に思ったことを覚えている。
それから約20年がたつ。
湖岸のどこでカスピ海を目にしたのかは、写真と地図を持ち出さないと正確には思い出せない。
ただ、その民泊宿があったトネカボンという湖畔の小さな町の名前と、小さな部屋の天井の様子は、私の記憶から一度たりとも消えたことがない。
どんな場所だったかではなく、自分が何を思う場所だったか。
本当に深く染み入る忘れられない記憶とはそういうものなのかもしれない。
なんの変哲もない崖の一角。
でも神縄断層は、私にとって間違いなく忘れられない場所になりそうだ。
Jin Akino
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