新造真人「指先はきっと知っている」(滞在まとめ)
伊豆高原での1週間の滞在はあっという間だった。そもそも、伊豆高原に私を連れて来たのは、1冊の本だった。まだ在学中だった頃に、大学図書館で私は探し物をしていた。当時はまちづくりに関心があり、長野県の小布施町と大分県の湯布院に関しての書籍を探していた。本棚か本棚へと目を写し、ようやくお目当の本がありそうだ。その本は、すぐ隣になったあった。
「伊豆高原アートフェスティバルの不思議 谷川晃一著」
80ページほどの短いブックレットだった。あっという間に読み終えた。伊豆高原では、作り手が、市民が主体となって芸術祭をやっている。しかも、ギャラリーや公共施設ではなく、自宅などを解放して人々に作品を見てもらっている。私も、自分の家の玄関や、人の家をお借りして展示をして来たが、それを多くの人たちがフェスティバルとして実行している。なんと素晴らしいエリアなんだろう。伊豆高原と呼ばれる広々とした大地に、本で描かれていた豊潤な文化と人の心が実っているのだろうか。伊豆高原、なんとなく私の肌に合う気がするんだよな。いつ、訪れることになるのだろう。そんな夢想をしていたのが5年前だ。
ありがたいことに、風の噂でアーツカウンシルしずおかさんのマイクロ・アート・ワーケーションの情報が知った。静岡の中から好きな場所を選んで1週間滞在できる企画だったが、私の中では伊豆高原一択だった。無事にプログラムに採択されて、いざ伊豆に足を運ぶ。やることはnoteを書くこと。成果物の提出も求められていない、なんとも自由な企画だ。しかし、自由度の高い企画ゆえに、自分が試されている、自分はこの土地で何ができるのか?どのように7日間を過ごすのか、意識せざるを得なかった。
観光客としてではなく、旅人として、アーティストとして、伊豆を回る。アーティストとして土地を回るとは、一体どういうことだろう。その一つの方針が、土地で出会う風景、人、機会を、しっかりと咀嚼すること。出会ったものについて、どんな感覚を抱いたか。興味を持ったものについては、足を運んだり、調べたり、深掘りをする。土地に、少しでも潜れるように、土地を巡る。見た、聞いた、触った、嗅いだ、体に取り込んだ、伊豆半島の情報から、少しでもでも表層の下に潜ろうとすること。地下水脈を目指すこと。
そういった考えから自然と、滞在中の行動は変化していった。旅を振り返る中で、一番重要だったのは、同じ場所に何度も足を運んだことだと感じている。初日、旅のホストをしてくださったIZAIZUの船本さんになぎさ公園に連れていってもらった。そこには彫刻家である重岡健治さん(1936~)の作品がいくつも置かれていた。彼が、伊東にゆかりの深い、三浦按針の像を手がけていることを知り、この土地に深く関わっている彫刻家なのだと知った。
なぎさ公園にはじめて訪れた時は、船本さんとお話ししながらでもあったので、ちゃんと彫刻を見れなかった。船本さんが重岡さんや彫刻について教えてくださった情報を元に、2日目もなぎさ公園を訪ねた。3日目も訪ねた。なぎさ公園に何度も行くために、当初の旅程を変更した。結果的に伊東のK's Houseに4泊もした。じっくり、じっくり伊東の町並みを歩いたことで、町中にも重岡さんの作品があることを見知り、東海館という伊東市にとって重要な建物の中でも彼の作品群が展示されていることを知った。
何度も作品を見る中で、見方、触り方、感じ方が変わってくる。どうしてこの形なのだろう。どうしてこのテーマなのだろう。なぜこのようなデフォルメなのだろうか。この題名はどういったことなのだろう。1度見ただけでは、それら小さな疑問はぱっと現れ消える泡のようなものだが、何度も何度も作品に触れる中で、自分なりの答えを考えるようになる。これは、こうではなかろうか。こんな、気持ちなのでは。そうすることで、作者の重岡さんにも興味を抱いた。そして、何度も足を運んだことが功を奏して、滞在四日目、重岡さんのアトリエを訪ねることができた。
手を使うと、指先が喜ぶ。手の腹にたくさんの感触を届ける。皮膚から体の内側に伝わるのは、一体なんだろうか。じぶんのなかの大切なものが掬われる。指先が生き生きとする。呼吸がカラフルになる。吐く息さえも色づいてくる。いや、ずっと吐き出して空気の中に煌めきを見出す眼を、取り戻したのかもしれない。
今回の滞在での一番のハイライトは、彫刻家の重岡建治さんの作品にたくさん触れたことだ。なぎさ公園をはじめ市内に点在する作品、そしてありがたいことにアトリエを訪ね、作品に囲まれながら重岡さんから直接お話を聞くことが叶った。10代から生業として、生きていくために彫刻をされている重岡さんの人生に、ほんのわずかでも触れたことが、今後活動をして行く上での勇気になるだろうと思う。
今回の滞在では、彫刻だけでなく、地形、大地にも興味が湧いた。溶岩台地が作った独特な形をした海岸、柱状節理、大地から湧き出る温泉。それについて考察を、彫刻や、絵や、身体を通して、表出したい。数年前から、木を掘り出したい、とか、立体的なもの、ずっと形が残って行くもの、確かなものを作りたいという気持ちを抱えている。滞在最終日、爪木崎で、立派な流木を拾った。それを使った作品を2022年は作る。
感じたこと、考えたことを、いくら、こうして言葉にまとめようとしても、ずっと限界を感じている。言葉だからこそできることと、言葉以外でできること。今は、作りたい、と思っているのだから、作ることで、この気持ちを整理しようと思う。そして、作ることで、どんなことを感じ、考え、表出して見たかったのか、改めてわかるように思う。指先だけが知っていることが、きっとある。彼が雄弁に語れるように、今後、何度も、伊豆高原に、静岡に足を運ぼうと思います。
最後になりますが、アーツカウンシル静岡様、現地に入る前から多くの手助けをしてくださった船本さん、重岡さん、品川さんをはじめ伊豆高原であった多くの方々、ありがとうございました。今後、活動を続けていくことで、恩返しをさせてください。
おわり
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