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マリッジブルーならぬ”引っ越しブルー”

引っ越しブルーとは、引っ越しに伴うストレスや不安、寂しさなどのネガティブな気持ちを表す言葉です。引っ越しは作業自体や準備、整理など体力を消耗するため、心身ともに疲れることが原因として考えられます。また、慣れ親しんだ環境から離れることで寂しさや不便さを感じ、精神状態が不安定になることもあります。

GoogleのAIによる概要

まさに今、”引っ越しブルー”真っ只中。
あと2週間ほどで、8年間過ごした1Kの部屋に別れを告げる。

夏に入籍し、旦那さんとは別居婚を3ヶ月ほどしている。
夫婦になる前と同じ頻度で互いの家を行き来していて、正直結婚したという実感はあまりない。

新居は分譲マンション。現在リノベーション工事中。
暑い中毎週内覧に行き、時には言い合い(夫婦ディベート)しながら内装を決め、ショールームにも足繁く通った。
Instagramでおしゃれなお家アカウントもたくさん見た。
納得いくような新居に仕上がる予定になっている。
それなのに。私は”引っ越しブルー”。

「新しい家に引っ越すの楽しみだね!」
旦那さんはいつもとっても嬉しそう。
私もワクワクする気持ちも確かにある。
でもふと1人でこの部屋に帰ると、「寂しい」「離れたくない」こんな気持ちが湧き上がる。

現在のマンションに入居するのは、実は2度目だ。
1度目は新卒の時、約半年ほど住んだ。
夢だったグランドスタッフに第二新卒で内定がもらえ、空港近くに引っ越しをすることになった。全く寂しくはなかった。高校時代からの夢をやっと叶えることができてワクワクでいっぱいだった。

2度目の入居を決めた理由は、大好きだった母と繋がれる場所で、前を向いて生きていきたいと思ったからだった。
母はよく実家のある金沢から大阪まで会いにきてくれていた。空港勤務は早番・遅番の交代勤務だったため、早番の日は朝4時半起床し、5時過ぎには家の下に来てくれるタクシーに乗って出勤していた。
母は必ず同じ時間に起きて、「行ってらっしゃい」と玄関で見送ってくれた。幼い頃のからの夢を叶えた私を誰より応援してくれていたと思う。

2015年、母は病気で亡くなってしまった。
母との思い出を忘れたくない、でも毎日泣いてばかりの日々を変えたかった。母とお別れした3ヶ月後、すぐ引っ越しを決めた。

”天国からお母さんがいつでも私を見つけて会いに来てくれますように”

そう願い、あえてこのマンションに住みたいと不動産屋に行った。
同じ部屋は空いていなかったけれど、別の階に引っ越しが叶った。
それから8年、いろんなことがあった。

彼氏に振られ泣いた日
母に会いたくて泣きながら寝た日
眠れなくなって、ベランダから梅田の夜景を眺めた日
友達を家に呼んで、一緒に花火を見た日
仕事で念願だった表彰をされた日
コロナ禍で、おうち時間を過ごした日々
美味しいご飯を旦那さんと食べた時間
大好きな人たちと、一緒に笑った時間

悲しい時、嬉しい時、この部屋でいつも過ごし大事な時間をたくさん過ごした。お気に入りのインテリアも買い揃えた。
そんな思い出のお家とも、あと2週間でさよならする。

30代のほとんどを過ごしたこの8年間。
私はこの家とともに生き、成長してきた。
人生とは、思い通りにならないこともたくさんある中で、様々な感情と向き合い、自分なりの対処方法を見つけ、乗り越えてきて今の自分がいる。
辛いことも多くあったけど、人として大きくなれた。
自分の気持ちに正直に人生を描く素直さ行動力も手に入れられた。
様々な感情が入り混じる。

”引っ越しするところも、きっと見ててくれるよ”

先日、旦那さんがそう言ってくれた。
これからもずっとどこに住んでいても、母は天国から見ててくれるかな。

いろんな思い出も、感情も一緒に段ボールに包み込み、母が安心して見ててくれるような、幸せな新しい人生未来に向けて、明日からも準備を進める。

mico☀️

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