「Saturday」の夜、私は5分4秒間の恋をする。
私は、「Saturday」という曲に出逢い、その音、言葉に恋をしたのかもしれない。
と、いうのは比喩で。でも実際、それほどの衝撃を受けた。
これから語るのは、コブクロのアルバム「NAMELESS WORLD」に収録されている楽曲「Saturday」。いたく気に入ってしまったので、その愛をどうにかこうにか言語化してみる。
言わずもがなこのアルバムは、いい作品である。「桜」「ここにしか咲かない花」など人気曲もあるし、アルバム曲も秀逸。
しかも最初から最後まで(最初と最後でもオッケー)聴かないとわからないような、アルバムならではの仕掛けも施されている。
そんな中で、中盤に位置しているバラード曲が「Saturday」。特に分数が長いわけでもないが、歌詞はきゅっとまとまっているように思える。
ではなぜこの一曲だけをピックアップしたかというと、ギター/コーラス・小渕健太郎さんの書いた歌詞が「小説」だからだ。
常々、私はポルノグラフィティの新藤晴一さんの書く歌詞はその芸術性から「詩」だと思っている。
もちろん小渕さんの歌詞も、詩のような芸術的なところもある。でも、全体を通して見るとやはりストーリー性が強く、目の前に情景が浮かぶどころか、自分がそこにいるような感覚になる。
その歌詞を、ぜひ「読んで」もらいたい。
歌い出しは、作詞者の小渕さんパート。
一行目の衝撃。
消えた街灯を揺さぶって灯した⁉
まさかそんなことができるはずもないので、どこか隠喩らしい表現である。いったいどんな脳でいればこんなワードが出てくるのか、不思議でたまらない。
そして「真夜中の公園」。一転ストレートになり、時間帯とシチュエーションが一気に判明する。
そして、公園によくある水道の蛇口。よく砂遊びするときに使ったなぁ…なんて思いながら読み進めると、「まるで少年ね」。
直喩で表したのは、少年のような男性の姿。
「錆びた蛇口を空に開けて」ということは、蛇口が上を向いているらしい。確かに、それは少年のような行動に思える。
とここで、もう一つ判明。
語り手は、恐らく女性だということ。少年のような彼を、微笑ましくなのか呆れながらなのかはわからないが、見つめているその視点は「女の人」であるというのが語尾の「ね」から取れる。
今度は歌唱パートが黒田さんにバトンタッチ。
また、一行目で「月に届きそうな」とロマンティックな表現を散らばせている。「水のロープ」ということは、やはり蛇口を上に向けて水を勢いよく出し、彼はそれを見上げながら浴びている。
そして笑う彼女。
気づけば、2人のいる真夜中の公園は雨が降っていて……
(なんてロマンティック!)
黒田さんが主旋律を、小渕さんが下ハモをするサビへ。
最初、黒田さんのささやくように静かな声でタイトルを回収してから、またまた隠喩。
互いの空に飛び立てない想いとは…?
私、必死に考える。「互いの空」というのは、「互いの心」なのかもしれない。広いのも狭いのも、色を変えるのも空に似ているから。
そこに飛び立てない想いというのは、やはり「恋心」であろう。きっと叶わない恋心を表現しているのだと思われる。
その心を、今夜だけは相手に見せて。
そして、気付けば降っていた雨の中を傘をさすことなく、笑って公園を出て歩いていた。
こういう関係性なのなら、二人は「友達」という可能性もある…。
まず一行目から紐解く。
何度確かめ合っても、同じ答えが出る。これは、やはり「気持ち」のことではないか。「答えが出るのね」というから、女性のほうから男性のほうに気持ちを確かめ、何度も繰り返した質問だけれど答えは変わらない。
なら、女性のほうは男性よりも相手のことが「好き」なのでは?
それを補強するように、「良いの、わかってる」と諦めた調子の言葉が続く。
そして、ここで車に乗っていることがわかる。きっと近くのパーキングにでも停めていた車に2人で乗ったんだろうな、という勝手な想像。雨が降っているから、ワイパーもすなわち起動する。
車内で繰り広げられたであろう「私のことは好きじゃないの?」「友達でいたいんだ」みたいな会話を、掻き消すようにワイパーが忙しなく動いている……。
助手席に座っているのはどちらかわからないが、その息か温もりで曇る窓。車はまだ、走り続けている。
この2行は、1番と打って変わって「描写」が少ない。
真夜中の街を照らすヘッドライトが延びているのは、小渕さんの言う「光のトンネル」。トンネルといえば真っ暗なイメージなのだが、その先に見える光がこの歌詞からは想像できる。
ということは、やっぱり女性は彼と「その中へ」共に行くことを望んでいるんじゃないか?
きっと仕事も休みなのだろう、土曜日の夜。
朝日が昇るまでのわずかな時間だけでも傍に居てほしい、という彼女の切な願い。何もしなくていい。眠るようにそっと、そこに居るだけで。
その朝が来るまで、という表現にも小渕節が表れている。明るく白く煙っている、朝の光。それが、夜を閉じるまで。
なんとも美しい擬人法である。
ここで間奏の感想を。
この時点で、というか全編、本曲はピアノ・ベース・ボーカルだけで構成されている。かなり削りに削った、声も際立つシンプルな編成だ。
間奏はピアノとベースがジャズらしいメロディーを響かせているのだが、そこに綺麗にフェードインしてくる黒田さんのフェイクがたまらない。
もっと言うと、「陽だまりの道」ツアーで披露されたときの、黒田さんからの小渕さんの高音フェイクがこれまた秀逸なアレンジ。
バラードの集大成!来ましたラスサビ!
筆者の勝手な盛り上がりと比例するように(?)、ずっとサビは下ハモをしていた小渕さんが上ハモになるなど、曲の展開も壮大になっていく。やっぱりハモリは上のラインのほうがグッとくるようだ。
歌詞にいこう。
序盤に降り始めていた雨が、あがった。そのとき、二人は手をつないで歩いていた。しかし疲れて、ほどいてしまう。
きっと彼らは、恋人にはなれない。
それでも、手の中には相手の温もりが残っている。もしかしたら二人は、恋人でも友達でもない関係をこれから模索していくのかもしれない。
と、ここでまた小渕さんのハモリを褒めたい!
彼のハモリは、(きっとハモる人はだいたいそうなのだが)主旋律にぴったりとくっついて聴こえる。まるで同じ人が歌っているように。
ビブラートも揃っているし、声の切り方もしっかり合わせている。
その寸分違わぬ「息」が、コブクロの強みである。
ん? ちょっと待って。
2番まで車乗ってましたよね。それなのに、歩き疲れるほどになっている。なぜ今度は徒歩なんだ? 小渕さーん。
まあそんな機微なニュアンスは、作詞者にしかわからない。真相は闇の中である。恐らく。
どこか神秘的で、美しく物語の世界に飛び込んでしまったかのようなこの歌。しかし、歌われているのはとても普遍的な2人のストーリーだ。
こんな文章で曲の魅力が伝わったのかはわからないが、1ミリくらいは伝われば嬉しい。
とにかく実際に聴いてもらえれば、こんなにも熱中している訳がわかるのではないか。
ところで。今日発売の最新アルバム「QUARTER CENTURY」も、期待が高まる。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
mico