幸せってポン酢醤油のある家さ
昔々、さんまちゃんがやってたキッコーマンのCMに、幸せ〜ってなんだっけなんだっけ、ポン酢醤油のある家さ〜ってやつがあった。うちにもポン酢醤油はある。でもキッコーマンじゃないかも笑
さて、私の友達が私は幸せだといった。私はそれは嘘だと思った。なぜなら彼女は私から見たら幸せを感じられる状態ではないと思ったから。
この話、はなっから大きなお世話な話なんだけど、はて、なぜ私は彼女は幸せではないと思うのだろうと考えてみた。
本人が幸せならいいよねって話なんだけどね。でももし幸せじゃないのに幸せだとして済ませていたら幸せになるはずの状態への可能性を放棄することになると思うんだよね。私からみてその人の状況はいろんなことを諦めて受け入れているだけに見えるのだ。そして自分を幸せだと納得しているように映るのだ。
幸せなんて人と比較するものでもないと思うし、自分でただ感じるもので自己完結なものだと思うからこそ、自分に嘘をついたらおしまいだと思う。でも自分に嘘をついているかどうかは本人にしかわからないこと。だから本当のところはわからない。
では彼女が自分に嘘をついていないとするなら、幸せの価値観が違うというだけなのかな。
私にとって幸せってなんだろう。私は心の繋がりを他と世界と感じられることかな。その繋がりを彼女はあまり感じられていないと思う。だから私は彼女は幸せではないと感じるのだ。でも人は生きていれば繋がりなんて全くないということはないのだから繋がりはあるんだとは思う。とすれば感度の問題で、彼女は幸せでないと私が思うのは私の尺度でのことなのだろう。逆にいうと、私なら幸せと感じられないような状況で幸せを感じられる彼女は素晴らしいということにならないか。
でもね、もし彼女が幸せと感じているならば、今の状態にはなっていないと思うの。幸せを感じることはいろんなことに感謝の気持ちが湧いてきて、それは人に力を与えると思う。そうなるとどんな状況でも自分や他人を信じる力みたいなものがあるんじゃないのかなと思うの。
息吸うだけでも幸せとか口では言えても、それを心の底から言うのとは次元が違う話だと思うの。
本当に幸せだと感じているならば、その現実にはなっていないと思うのだ。だから自分をごまかさずに向き合えや!と愛のムチを入れたくなるんだよね。自分の価値観の押し売りなのかな。あたし優しい人になりたいのにな。
幸せってなんだろうね。