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観たら地獄行きのバチェロレッテ3 全話終わっての感想

『グッド・プレイス』というNetflixで配信中のドラマがある。

そこは死後の世界で、生前に善行を積んだ人は『グッド・プレイス』(=天国)へ、悪行を積んだ人は『バッド・プレイス』(=地獄)へ行くという話なのだが、その中で具体的な善行の例と悪行の例が出てくる。

善行の例には「献血」「匿名での多額の寄付」「蜘蛛を優しく外に逃がす」などがあり、
悪行の例には「殺人」「環境汚染」「女性に笑顔を強要する」などがある。
また、「バチェラーやバチェロレッテに出演する。またはSNSに投稿して出演者の恋愛模様について熱く語る」というのも悪行のひとつ、つまり非倫理的で地獄行きの行為としてカウントされるらしい。


バチェロレッテ3は、図らずもこれを証明してしまった。
全員が時間をドブに捨てることとなった地獄のシーズン。
観賞後に感じるものは「無」。
無の境地にたどり着きたい人には坐禅合宿よりもこのバチェロレッテ3の観賞をおすすめする。


今思えば、配信前が一番楽しかった。
海外旅行出発直前の空港が一番楽しいのと同じ。
始まる前にピークを迎え、あとは下る一方。
ファイナルローズの頃にはもはや消化試合と化していた。

これまで日本のバチェラーシリーズは全て観てきたが、
なんだかんだ各シーズンで心に残るシーンや感動があった。
そのため今シーズンも楽しみに観ていたのだが、途中から何やら様子がおかしくなり、
それでも最後の最後には良いことが起こるはずだと諦めずに観続けた。

その結果が、これ、か・・・・・・


バチェロレッテ3を飲み物に例えるなら、
出汁をとっていない味噌汁。
オードリー春日の飴玉ジュース。
母親の作るうっすいカルピス。
真夏の学校の蛇口から出るぬるい水。

心が満たされない、ただ飲めるだけの液体。


私は決して誰かを責めているわけではない。
誰も悪くないのだ。
責任があるとすれば全員にある。
出演者、スタッフ、視聴者、全員の連帯責任。


私が初めてバチェラーという番組を知ったのは約15年前。
留学先のカナダでホストファミリーが観ていたのがバチェラーだった。
その時に番組の趣旨を尋ね、返ってきた答えが全く解せなかったのを覚えている。

ホスト「一人の独身男性を複数の女性が取り合う番組だよ」

わたし「なぜ女性達はその男性が好きなの?」

ホスト「バチェラーは素敵な人だから」

わたし「有名人なの?」

ホスト「一般人だよ」

わたし「じゃあなぜその人が素敵な人だと分かるの?」

ホスト「お金持ちだしハンサムだから」

わたし「それだけじゃ性格は分からないし、相性もあるじゃん」

ホスト「・・・とにかくそういう番組なんだよ!!」


そう、とにかくそういう番組なのだ。そこに理屈なんてない。

そもそもバチェラーシリーズの企画に無理があるということを、私達はいつから忘れてしまったのだろう。
番組が連れてきた15人の中から1人を選んで結婚しろとか頭おかしいだろ。
こんな番組を制作することはもちろん、それを娯楽として視聴することも、非道徳的な行為であることは間違いない。


亜樹さんがアフターファイナルローズで
「全く後悔していない」「かけがえのない旅だった」
と繰り返す度にどんどん苦しくなる。

MC陣も
「これがリアル」
「自分の心の声に従って行動してくれた二人にすごく感謝しています」
「いい旅でしたね」

やめろおおおおおおおおおおおお
「くそつまんなかった」を必死にポジティブワードに変換するのをやめろおおおおおおおお
それやるならせめてぺこぱとアンミカを呼べええええええええ


いいか。この番組から何らかの学びを見出そうとするのをやめろ。

完全に時間の無駄だった。
そう認めた方が楽になれる。


徳の高い人間は、バチェラーシリーズに出演することもなければ、観賞してあーだこーだ言うこともない。

世界的に見れば安全な飲料水にアクセスできる時点で相当恵まれているのに、先進国に生まれた幸運を忘れ、番組への不満を様々な飲み物に例えてしまった自身の業の深さを私は恥じている。
観たら地獄行きのバチェロレッテ3は、愚民である私への当然の報い。甘んじて受け入れよう。


ただ、山本さんはめっちゃ良い奴。

山本さんは天国に行け。


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